恋心は超グリーディ

普段質問されることを文章起こした場所です。ライブ配信やゲームイベントにまつわるものです。もしくは、たまに筆者の趣味の文章が交じります。

Jun 21, 2021 -

ウメブラ手法史

現代スマブラオフ大会で使われている技術は、けっこう最近のモノが多く、独特です。元はどういう姿をしており、どういう経緯で各手法が選ばれたのかを記録しておきます。

スマブラ勢の方から今後そんなに疑問に思われることは無いでしょうが、主に他のゲームの方から「どういう経緯でスマブラってそうなったの?」というご質問を複数回頂いたため、書いて残すことにしました。

はじまり

時は2014年1月。第一回『ウメブラ』を見てみましょう。

第一回 ウメブラ 告知
[なにやらstaticなページが残っていますが、どこで参加者募集を行ったのか、その経緯は全て消えています。]

ユーザーが主催する非公式オフライン大会『ウメブラ』は、主催が Rain さんからうめきさんにバトンタッチして生まれました。時代は『大乱闘スマッシュブラザーズX』つまり Wii版 です。主催者になるために自動車の免許を取ったうめきさんがブラウン管テレビを20個ほどハイエースで運び込み、当日朝に設営を行っていました。

この時、参加者は40名ほどです。参加者は事前登録します。『スマコム』(厳密には新スマコム)というクローズドSNSが存在し、そこでスレッドが開始され、コメントを書き込むことで参加が確保される方式でした。この時点で「持参枠」のシステム(ゲーム機を持ってくる人は優先的に参加できる権利)はありました。

※「クローズドSNS」:今やぐぐっても説明がありませんが、代表的な例は mixi です。当時は mixi とも別に、自分たちの界隈で1個SNSを作り、登録に一定のハードルを設けることで部外者から見られることを封じる社会を作ることが一般的でした。

着眼点

では、当時は今と何が違ったでしょうか?実際に当時の映像を見てみましょう。2013年のモノをピックアップします:

[https://www.youtube.com/watch?v=xBgCPuYO-T8]

…と言っても、ゲーム自体を録画した実況抜きの映像しか有りません。頑張って探して他の例を挙げます:

[Pioスマ https://www.youtube.com/watch?v=6QspAG07QLQ

スクリーンを直撮りした映像です。心なしか Nietono さんとゆっけさんの実況が入っています。プレイヤーや実況の映像は有りません。筆者は当時の映像スタッフでは有りませんしから、文句は申し上げません。これが当時としては可能な最大の技術であり、記録が残っていること自体が幸いなのです。だって、2014年に開催された第一回ウメブラの映像は残っていないのですから。

こうした事態は、現代の我々が振り返ると「そんなバカな」と思うでしょうが、当時は当然でした。当時は何が違ったのでしょうか。たぶん余り記録には残っていない or 残せないでしょうから、言いづらい温度感を不遜ながら申し上げます。

“スマブラX” は今作のSPにも劣らないくらい本数は売れていましたが、競技シーンの雰囲気が今とだいぶ異なりました。その一番の要因は法的グレーゾーンです。

2008〜2014年というのは基本的に、どんなゲームタイトルもゲーム実況をネット上にアップすれば削除される “と思われている” 時代でした。厳密に全部削除された訳ではありません。ただ、国内のゲーム会社ごとに過去に3件くらいあった「権利者削除依頼」の事例を基に、ユーザーが「ゲーム映像をアップするのは全部アウトじゃね?」という疑心暗鬼に陥っていました。
また、ゲーム会社の利用規約にはどの会社を見ても「営利目的のイベントは開かないでください」といった曖昧な注意書きだけがあり、何を指しているのか消費者には全然分からない状態でした。「参加費を取る個人主催大会は許されるのか?」は全く検討がつきませんでした。この空気が、スマブラ勢の間でもなんとなく同じでした。

総じてゲーマーはこの結論の無い疑心暗鬼に対峙して:

  • 「これはゲームで個人ユーザーが大会を開くのは法的にグレーなのでは?」
  • 「グレーゾーンならいっそのこと何もしないでおこう」

という意見が全うに感じられました。Twitter や Skype が日本で広がり始めた頃で、分からないなりに議論をしていました。
今では筆者は少しくらいゲーム関連の企業と繋がりがありますが、当時はタダの学生であり何も無いノーヒントの状態でした。

https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/200904k

※ 結論を申しますと現代では、厳密には著作権という権利自体をご説明しなければならないのですが、基本的には「ゲーム会社の許す範囲で楽しもう」という見解が支配的です。制作物についても ユーザーガイドライン があります。

翻って、似たジャンルのゲームの2014年を覗いてみましょう。『ストリートファイター4』には大きな公式大会もあり、Topanga リーグもあり、CPT が始まっており、全国各地にコミュニティ主催の個人大会もありました。ノリノリで盛り上がっている空気が目に見えて有りました。
そんな中で、同じ1対1対戦ゲームでも、わざわざ法的なグレーゾーンでもあり40人しか大会に集まらない『スマブラ』というゲームをプレイするといのは、マニアな精神でした。更には本気で勝とうとするモチベ勢は狂気と言えました。

筆者が記録しておきたいと思ったのは、こんな時期があったからこそです。ちょうどこの時期から、スマブラの時代は色々動き出していました。
ラスベガスでの大規模大会 “EVO 2013” にて新種目として『スマブラDX』が加わり、Nintendo of America と北米コミュニティとの有名な抗争がありました。その後、日本の aMSa さんを含めたプロプレイヤーたちが “E3 2014” での公式イベントに招待されました。ゲーム会社からこうした「ユーザー活動を許容しているオーラ」が北米から筆者へ伝わって来ていました。
そもそもアメリカは早い時代から顔出し・ライブ配信・動画化がしっかりしていたのですが、何か意識・解釈の変化が起きようとしていました。

という訳で、筆者は「アメリカでやってる大会を日本でもしたい」という意図が湧きました。これを中心に話を進めます。

この時点で無かったモノ

この時点で、アメリカと比較して日本のスマブラオフ大会は以下のモノが有りませんでした:

  • ① ライブ配信
  • ② トーナメント表
  • ③ 写真撮影

厳密には有ったモノもあるのですが、現代と形式が異なりました。箇条書きでは意味が分からないと思いますが、以下順を追って申し上げます。

①ライブ配信

上でも動画を見ましたが、当時は一定の大会ライブ配信をニコニコ生放送で行っていましたが、今のような「実況音声を入れた試合映像」なんてものは稀でした。アーカイブも中々ありません。
また、試合映像はシェアする機能などありませんでした。ゲーム機が他サービスに接続なんて出来ませんし、Twitter にも映像投稿の機能すら有りませんでした。そこで、ゲーム内の「リプレイ」データがSDカードに保存されていたので、そのベクターデータをネット上で Dropbox 等で公開していました。やる気のある人はそのデータをWiiにフォーマット化したSDカードに入れてWiiに挿してスマブラ内で再生する、という方式で他大会の試合を観察出来ました。今考えると凄く知識を必要とする時代です。

そんな2014年6月、SHIG という組織を作りました。
単純に申せば、「オフ大会を実況付きでライブ配信してアーカイブを切り抜いて動画化する」というだけの組織です。単純ですがこれが当時は日本で珍しいものでした。それも当然で、上述のように「グレーゾーン」だと思われていたからです。敢えてそこに切り込む集団でした。

やろうと思っても当時の筆者には技術の一切が無く、工学部情報系で周りの学生にたずねても・秋葉原のヨドバシに行って店員さんにたずねても「オフ会場でゲームをキャプチャしてライブ配信?」なんて調子でノウハウは全然有りませんでした。そこで筆者が “Apex2014” でアメリカへ遠征した際に、現地で VGBC や CLASH Tournaments の皆さんにたずねたり、帰国してからメッセージなどして質問したりしました。(なので現在の日本スマブラオフ大会配信の源流はVGBC流になります。)

『Twitch視聴者のコメントで操作するポケモン(赤)現状まとめ』
[2014年3月に日本でも流行った TwitchPlaysPokemon。これは視聴者の投票でゲームを操作するという娯楽のはしりなのですが、当時の日本のユーザーまとめには「法的に真っ黒」と明記してあります。]

今はスコアボードで「プレイヤー誰vs誰」とか「スコア 0-1」とか表示すること呼吸の如くですが、当時はスコアボードなんて未知の宇宙科学でした。教えて貰って 8WayRun という所のプログラムを使っていました。そして、当時の全国各地のオフ大会スタッフでこれをしたい担当者を呼びかけ、一つの Skype グループ(窓)に集めて情報共有をしました。

こうして大会ライブ配信の技術は形だけでも揃いました。しかしハードが揃ってもソフトは黎明期です。キャスターをどうするのか、どういった用語が相応しいのか、といった検討が始まりました。
当時は実況で「死ぬ・殺す」といった表現が飛び交う環境だったのですが、アメリカがかなり言葉遣いを改善している時代だったため、日本も直そう派閥が筆者を含め現れました。それを言うのは簡単ですが実行するキャスターはまた大変です。アンケートには「折角のユーザー文化を壊すヤツは要らないから引退しろ」とまで来ました。こうして叩かれながらでしたが、なまーたさんと9Bさんが現代スマブラ実況の型を開発して下さいました。

「こういう大会にしたいよね」という意図を優先していました。

②トーナメント表

続いてトーナメント表の変化です。2014年時点では、トーナメント表というのは現地の Windows PC でローカルソフト( Tio )で作成し、画像保存して大会が終わってから公開するシステムでした。
これですとローカル環境のため、大会スタッフしかトーナメント表が見えず、視聴者はおろか選手すら自分がどこに居るのか分かりませんでした。また、経過・結果は大会が終わるまで技術上公開できませんでした。

“代替メッセージ”

そこで、当時アメリカで流行っていた Challonge の導入が検討されました。現代の皆様ならご存知なサービスだと思いますし、今なら他にも Tonamel や Smash.gg といったサービスが利用可能です。しかし、当時の Challonge というのは英語しかUIが無く、見る側もガラケーの方が多かったため、「Challonge なんかにしたら大会現地のスタッフが不便なのでは?」という意見もスタッフ内にありました。

少し難しそうに見えましたが、ヒバリさんという強力なスタッフの活躍の結果、Challonge は実戦導入されました。それは2014年9月のあの『ウメブラ8』からです。新作の3DS版に移行した大転換の初回でした:

昔話になりますが、実は2014年の7月ごろ、上述のクローズドSNS『スマコム』は急なサービス終了が行われました。土台となるエンジンのようなモノがそもそもサービス終了してしまったためです。これを期にスマブラ勢は Twitter へ進出しました。2009〜2013くらいは部外者は閲覧できない・Google 検索にひっかからないクローズドSNSの方が人気なレベルでした。単純に結び付ければ、グレーゾーンの意識があったからです。ただ、日本全体の解釈・意識の変化に伴って Twitter へ移行しました。
これが Challonge と絶妙に噛み合ったと感じています。大会スタッフがトーナメントのURLをツイートし、現地に居ない視聴者がそれを見て自分もリアルタイムに楽しめます。外で話題を生む時代へ、価値観が移っていました。

そこから数年。思わぬ結果に繋がったのですが、公開形式のトーナメント表は PGR や JPR 作成に活用出来るようになりました。以前は画像ファイルで大会結果が事後で公開されていたのですが、Challonge や後の Smash.gg になってからは API が活用可能になり、自動でランキング向けのデータ収集が出来るようになりました。

世界ランキング PGR に日本の大会が反映された時は「やってて良かった」「コレだよコレ」という実感がありました。

③写真撮影

ここまででお分かりと思いますが、2014年当時は大会での写真撮影や顔出しは全然ありませんでした。グレーゾーンの意識があり、クローズドSNSが主流でした。信じられないかもしれませんが、この時点では梅原大吾さんやときどさんのような格ゲーのプロもアクティブな Twitter アカウントはありませんでした(ときどさんは事務所が連絡をする程度のアカウントだけ有りました)。そういう時代でした。

ただ、今はウメブラを含めた関東のオフ大会では、写真を撮ってアップすることが一般的かと思います。これは時代の追い風もありましたが、スタッフでも意識して促進した部分でもあります。この流れを追います。

2014年7月。ウメブラで試しに実況者だけ顔出しをした際は、ボコボコに叩かれました。「内輪のノリは絶対に見たくない」や「要らない」など、これはアンケートの荒れようが凄いものでした。
ただ、「アメリカっぽい大会が日本でも欲しい」という意図がありましたから、なんとかして実現の方向へ力をかけていました。「こうしたかった」という意志は大事に守っています。

https://www.youtube.com/watch?v=gU_EClaO7Sg

同9月の『ウメブラ8』では配信台のみ選手の顔を映しています。これだけでも当時は画期的でしたが、奇跡的に協力的な方々に配信台へお越し頂き、こうしたコンテンツを残すことが出来ました。
特にアメリカ帰りのプレイヤーたちは、これは一度アメリカ遠征をしたプレイヤーたちのことですが、すごく積極的であり、便乗して下さりました。向こうの大会では配信台はおろか会場全体がカメラだらけであり、異世界を体験して「大会はこうあるべきだ」と感じるプレイヤーも多かったのだと思います。

これは大会当日だけではなく、選手個人の普段からの “見せ方” も影響しました。アメリカに行きまくっていた Abadango さん、プロになった Nietono さん、4連覇した Rain さん、そしてDXではありますが aMSa さん等、様々なプレイヤーが「プレイヤーをスターとして推して行こう」という活動を始め、プレイヤーが顔を出す文化が根付いて行きました。そんな黎明期にはプレイヤーの方々にかなりのヘイトの矢を受け止めて頂きました。

今ではウメブラでは会場全域で撮影が可能です。今も出たくないという方もいらっしゃると思います 「大会はこうあるべき」

これでもなお発生する問題

以上、①〜③ の変化を追いかけました。プレイヤー全体の意識の問題でもあるので、時代の変化もありながら、スタッフが総出で変化を促した背景をご覧になったと思います。

この辺りで筆者がアメリカに有るゲーム実況の会社に就職したので、日米の技術ノウハウはかなり得られるようになりました。ただ、マインド的な部分:つまり「日本で非公式ユーザー大会・個人イベントってこうするべきだよね」という知見は中々得られない、というところが見えて来ました。

特に企業イベントでは無いならではの弱点・脆弱性があります。持続可能性です。

例を挙げましょう。
ある日、しみたけさんという強力なスタッフがいました。この方は「影分身する」「複数人いる」といった伝説があるほど熱心なスタッフでした。全国各地を巡って大会を配信し、アーカイブ化しつつも、進行や設営なども担当していました。
しかし、諸事情があり2016年に一度引退されてしまいました。そうなってから急いでスタッフ業を整理したのですが、かなりしみたけさんに頼っていた業務がありました。あたふたして慌てて整備し直しました。

その結果「持続可能な運営方法が必要だ」という発想に至りました。

やっぱりアメリカの大会って大量に開かれていて、いつも参加できるオフ大会があるからこその盛り上がりがあります。今の日本はそれに勝るような勢いが有ると思います。筆者はアメリカのこのような頻度、それに必要な持続性も真似しなきゃいけないと思いました。いつまでもしみたけさんに甘えていては拡張可能性が出来ません。

現代のスマブラの大会方式は、凄くよく出来ています:スタッフはモニタだけ用意し、参加者がゲーム機・コントローラーを持参し、オンライン上でトーナメント進行を行い、会場費を賄う参加費を頂きます。ラクであり、どの地域でも真似しやすく、続けやすいからこその大会数が有ります。更に、大量の大会があることで、着実にノウハウが貯まり、日本で大会を開きやすい方式が全国を通して確立されて来ました。

他にも持続可能性の事例があります。
オフ大会のライブ配信スタッフに対して、「なんでオフ大会ってすぐ試合の動画化しないの?」「アーカイブ動画のサムネイル作らないの?」という声がちょくちょく Twitter で挙がりました。 引き合いに出してしまって恐縮ですが、当時は Sameki さん&タミスマと比較して、「個人でもすぐ動画化できるのに、なんでオフ大会は団体なのに出来ないの?」というご意見で結構ボコボコにされました。

今では「Sameki さんは超人だから他の人はしょうがない」「そもそも大会の全試合動画化する大会が異常」という認識がある程度広まっていると思います。お断りしますが Sameki さんは一切悪くないです。また、当時は不満をもたれる方もご尤もです。スタッフが労力の情報共有なんぞをしていませんでしたから。しかし、ネットで叩かれた結果オフ大会のスタッフのモチベが下がってしまったり、引退してしまったりといった事案が発生しました。

これでは本末顛倒です。余計に大会サービスのパフォーマンスは落ちてしまいます。ユーザー主催のオフ大会を持続可能にするためには、ある程度のラクを許容しないと限界があります。

どうかスタッフをボコボコにしないで下さい。筆者はボコボコにされたことは無いのですが、他の方は一般的に叩かれると引退してしまいます。大会の不満箇所を改善する方法は常に一緒です。不満に気付かれた方がスタッフになって下さい。もしくは、不満でも許して下さい。運営をしているのは、同じ消費者でもありプレイヤーでも有るスマブラ勢であることをどうか一度思い出して下さい。(改善案や気付いた点がある場合、是非大会のアンケートフォームからお願いします。)

この結果

じゃあこの結果、皆さんの地元の近くの大会も「こうして欲しい!」という要望を押し付け過ぎないで下さい。

どの大会も、大会全体でやりたいこと・実現したい何か目標があり、それを意識的・無意識的に各機能で実現しています。大会という大きな生き物の内、一つのパーツだけ取り出して「あっちの大会はこうしてるから合わせた方が良い」と言うのはちょっと無理があります。それは喩えるとマンガ『ジョジョの奇妙な冒険』を読んで、「顔は矢吹健太朗の画風にして」と作者にアドバイスするような状態です。

今の大会主催者にも「こういう大会がしたい」という意志があります。ご自身が違うコンセプトの大会を体験したい場合は、もう開くしかないです。

他にも、持続可能性のハードルが有ります。オープン形式のオフ大会は朝準備して夜には片付けることが多いです。「あっちの大会で入れてるこの機能入れて欲しい」という要望もあるかもしれませんが、「疲れるから嫌です」という要素もあります。 勿論、頑張って凄いシステムを入れている大会は凄いです(例:ステージBan/Pick表示, プレイヤー過去stats表示)。ですが、入れてない大会も「やる気が無い界隈の癌」と呼ばずに、継続して大会を開くために頑張っているんだなあと解釈して下さい。

「あ〜それ出来るよ…300万円で」みたいなケースがあります。

以上

技術と言いましたが、 最終的に心の話です。

恩着せがましく言うことも出来ないのですが、 他のゲームタイトルでも、スマブラ勢が開拓した技術・精神は活用されています。

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コミュニティとは - 定義と歴史