陰キャと陽キャは現代でよく用いられますが、伝統的な「陰陽」の概念を含む面白い単語です。その本来の陰陽が表すように、実は界隈を作るにあたって陰キャと陽キャの双方が必要なのではないか?という私の視点を紹介します。
今回はのほほさんが呼びかけている「Streamer Advent Calendar 2024」で参加します。( 告知 )
[今回の 「Streamer Advent Calendar 2024」 ]今回は「ライブ配信」がテーマということで、私が元々持っていた腹案を文に起こすことにしました。今回は特に「界隈」のことを描くのでライブ配信に関係がありますが、競技シーンやイベント、それ以外の趣味サークルなど幅広く適用できる内容だと感じています。
導入
界隈とはどのようにできるでしょう?
界隈はなにかの目的のために人が集まってできます。現代ではライブ配信やストリーマーのチャンネルそのものが界隈であり、明確に界隈を形成しているでしょう。他にも競技シーンの参加者だったり、マンガやアニメ作品の二次創作サークルであったりします。今だとインターネット、特に Twitter(新X)や Discord でできることが多いです。物理的にいつも同じ場所にいるから界隈が形成される場合があるでしょう。
人が集まって界隈が形成されるとき、目的は大きく同じであっても小さな好みは厳密にはバラバラです。人に依って何が好きか、何に価値があると感じるかは異なります。例えば勝負することや成長することが好きな人もいれば、単に喋ることが好きな人もいれば有名人に会いたい人もいます。同じチャンネルを視聴していても、視聴者によって目的や好みはバラバラでしょう。
外的価値と内的価値
はじめに必要な概念の説明をします。外的価値と内的価値です。
人が集まる場所で物事を運営すると、そこで「良い」とされるものには2種類があります。
- 外的価値:客観的に価値があるもの。例)視聴者数・賞金・参加人数・有名人
- 内的価値:それをやっていないと価値がないもの。例)チャンネルのミーム/内輪ネタ・読み合いの内訳・高度な試合内容
特に外的価値を重視する人を外在主義者、内的価値を重視する人を内在主義者と言います。
外在主義者は例えばスポーツでは「スポーツをすると人間として立派になる」といった価値を重視します。イメージとしては体育会系で、規律を重視し、先輩後輩の序列を大事にするでしょう。たぶんムキムキで声が大きく、礼儀正しいイメージもあります。
一方、内在主義者はその競技そのものの面白さを重視します。スポーツならば「バッターとピッチャーの駆け引き」を純粋に楽しむタイプでしょう。大会に行って他者の試合を見ることよりも、自分が誰かと手合わせ練習をすることを優先したい人はこちらでしょう。極端な実例ですがイチローさんのような求道者のタイプもそうです。
この両者には明確な違いがあることは、多くの人が人生で経験していると思います。
[
前回ブログ
からそのままの利用ですが、内的価値・外的価値と置き換えて問題ありません。この概念は古くはアリストテレスから提唱され、現代では有名なマッキンタイアが利用しました。]
陰キャと陽キャ
今回、私独自の視点でこじつけですがこの2つの価値を
- 外的価値(外在主義者) : 陽キャ
- 内的価値(内在主義者) : 陰キャ
と分類します。
上記の具体例とだいたい合致することは見えると思いますが詳細を申し上げます。陽キャというのは他者と関わるタイプで、オシャレに気を遣います。これは外的価値を重視することとほぼ同義です。
一方で陰キャは他者とかかわらずに自分の好きなことを追求します。他者と関わらないところが「陰」と呼ばれる所以だと思います。こういう人たちは学校で人気がなくても自分が気に入ったアニメが好きで、好きなことを他者に干渉されるのを嫌います。
ここまでが外的/内的価値や陰キャ/陽キャの説明です。
[ 元動画URL 心理学者ジョナサン・ハイトは人は生まれながらに何かしらの価値観を持ってしまっているという研究結果を紹介しています。要約すると他者に関すること or 自分が好きなことのどちらに興味を示すかはある程度決まっています。これも陰キャと陽キャが存在する背景とも言えるでしょう。]
陰陽調和
ここで一旦「陰と陽」についての説明をしましょう。
外的価値と内的価値、陰キャと陽キャは、排他的ではありません。一人の人間の中に・一つのコンテンツの中に両立しえます。その比率があるだけです。
これは本来の「陰陽」道の考え方です。陰陽という考え方は『易経』に登場するので、紀元前1000年ごろからアジア文化圏を支配して来ました。本来、陰と陽とは万物に当てはまると考えられ、19世紀ごろまでこれがアジアの物理学だったはずです。
陰と陽は優劣があるわけではなく、ペアでワンセットです。例えば南北(南が陽)であり、男女(男が陽)であり、日月(太陽が陽)であるわけです。儒学的な聖人の訪れを告げる麒麟や鳳凰といった聖獣もオスメスペアの名称です(麒がオスで麟がメス)。今も祝日(奇数のゾロ目が節句)や干支、風水、姓名判断などの文化でも色を残しています。
陰と陽はバランスがとれていないといけません。一見すると「陽が多いことが良いことなのでは?」と考えがちですが、そうではありません。陰陽が50:50でバランスがとれていることが理想です。昔は風邪をひいたとき、身体の中の陰陽バランスが崩れたと考えました。
これらが陰陽の考え方です。
[太極図。陰と陽とはこれのことです。黒が陰で白が陽、そのバランスで成り立っています。]
陰陽が必要
議論を「界隈」に戻しましょう。陰陽の発想からすると、一つの界隈には陰と陽の両方が必要です。界隈には必ず陰キャと陽キャがいるはずで、不思議なことにこの実態は陰陽の古来からの思想と合致しているのです。
例えば界隈は陽キャ(外在主義)だけではダメです。これは皆様なんとなくご存知でしょう。
例えば大学サークルで陽キャしかいないところがあります。そういう所は:
- 「テニスサークルなのにテニスをしてない」
- 「実質飲みサーだ」
と揶揄されます。これはテニスそのものをしたいという意志(内的価値)が無いため、本来の文化的名目・活動に取り組まない現象が起きたからです。陽キャだけが集まると人数は集まるのですが、文化・界隈に必要なコンテンツ軸にこだわりが無い状態が生まれます。(そして陰キャはだいたいこういうサークルが嫌いです。)
テニスをしないテニサーに問題があるわけでは無いのですが、界隈を作る・文化を作るという今日の視点では不向きであるという意味です。
[画像はアメリカのドラマ “Silicon Valley”(HBO)。この作品では陽キャの営業チームを否定的に描いています。特にシリコンバレーのITベンチャーでは文化的に馴染まないところがあるでしょう。]
一方で見落とされがちですが、陰キャ(内在主義)だけでもダメです。
陰キャはネット上で強いユーザーベースを持っている界隈では多数派になります。例えば競技シーンが発達しているゲームタイトルでは、自宅でインターネットを通してランクマッチに励んでいたり、トレーニングモードを頑張っていたりするため、なんとなく陰キャが多いイメージは皆様にもあると思いますし、そうあるべきだと思います。こうした熱心な陰キャがいなければ、文化の軸ができないのです。ライブ配信のようなメディア活動の世界でも、ゲームやランクマと地続きであることから、陰キャが軸にあると思います。
しかし、陰キャの視点だけになると人が集まりにくくなります。
界隈を広めるのに必要なことは布教です。陰キャは自分が他者に干渉されるのが嫌いであるため、逆に自分が他者に何かをすることに遠慮があります。客引きや布教が苦手です。大学の新歓で、あまり陰キャが新入生を強引に次から次へと勧誘する姿はイメージできないでしょう。
更に極端に陰キャの視点が強まると、プロゲーマーに対して「強い選手は配信をしている場合ではない」という方向に意見を投げがちになります。すると布教にはより適さない環境になります。
陰キャが熱心に取り組み、イベントや大会が開かれるようになり、「このジャンルはこういうものだ」という像が洗練されて来ると、着実に文化の軸はしっかり形成されるのですが、逆に言えば文化の軸しかできません。学校・会社に居るリア友やに広がったり、参加者が親兄弟に説明することで文化は認知が広がるのですが、陰キャの文化がどうしてもここと相性が悪いです。
界隈をつくるには、文化の軸も必要ですが布教する要素も必要です。陰キャと陽キャの両方が必要であるというのが本文の主張です。
運営にどう活かすか
ではこれを受けて、界隈を運営する者、例えばストリーマーであったりそのDiscordサーバーのadmin/moderatorはどうすべきでしょう?他にも大会運営などはどのように動くべきでしょうか?自分の界隈をどのように持って行くべきでしょうか?
どちらかと言えば、ゲーマー社会や esports シーン・視聴者界隈では陰キャ(内在主義)の声が大きくなりがちです。
例えばライブ配信ではサブスクライバー/メンバーシップの特典で「このゲームの指導をしてあげる」という返礼を用意することが多いです。他にも競技シーンに新規プレイヤーを呼び込もうとしたとき、「初心者向け動画を作ろう」「操作方法の入門を解説しよう」といった策を使いたがります。これは陰キャの発想でしょう。実際にゲーム内の要素を扱うからです。
これらは良い行為の一種ではありますが、これだけやっていれば界隈が保つとは限りません。 例えば競技シーンでは、ちょっと片足をつっこんで楽しみたいファンだったり最近ハマって “推し” を持ちたくなったユーザーだったりは、最上位プレイヤーの外見だったりストーリーが気になります。そのためゲームの操作方法だけではなく、プレイヤーのインタビューや番外vlogが求められたりします。陽キャを呼び込むにはこうした策も欲しいです。
[出典:
ZETA DIVISION YouTube
。現代では選手やストリーマーのvlogや屋外配信を見せることが当然になって来ました。]
たしかに2010年ごろまでは:
- 「別に陰キャだけいればそれでいいじゃないか」(註1)
- 「リア友に広める意味なんて無い」
で済んでいました。
- 「一般人にオタク趣味を見せて迷惑をかけるな」
- 「趣味は隠れて楽しめ」
という意見が圧倒的多数派だったでしょう。
私もそういう意見だったのですが、現代はそうも行かなくなって来ました。社会やインフラが変わったからです。スマホが普及し、YouTube や Twitter(新X)が大幅に広まった結果、今ではあらゆるジャンルが強力になって来ており、ほっとくと文化が滅してしまいます。
上記 YouTube や Twitter といった情報拡散サービスでは何に需要があってどこが過疎っているのか一目瞭然です。少しでも陽キャの心を持っている人は大きな文明に移ってしまいます。自分の好きな文化は積極的に守らなければいけない時代に突入したと感じています。テレビが弱くなってインターネットで多趣味の時代が来たと言われますが、その結果むしろ趣味の世界がより弱肉強食になったと感じます。
現代で流行っている界隈は、かなり陽キャを取り込んでいるでしょう。VALORANT や『ストグラ』の世界はかなり陽キャが多いでしょう。ファンは学校や会社でこうした “推し” を布教し、グッズのシャツを着て見せていると思います。
もはや「陽キャの間で流行ったものだけが流行である」という見方すらできるでしょう。
これはなにも陰キャに対して、みんな青いスーツを着て日焼けしてムキムキになれと申しているわけではありません。布教したり、楽しそうな姿勢を見せたりすることも大事だということです。現代では陰陽に基づいてそういった視点も持っていただければと提案したいです。
以上
今回の陰陽の内容は以上です。
私がよく使っている Authenticity という概念は陰と陽を両方必要としていると考えます。自分が本当に好きなものでありながら、社会的である必要があるからです。
Authenticity について詳細は直前のブログで述べています。
陰陽を表した太極図で言うと、白い点・黒い点が authenticity であるということになります。
こうした東洋思想系の記事はたまに書いています。興味がありましたら参考にされてください:
「ホントにそんなに陽キャに配慮する必要があるのか?」と訊かれることもありますが、たぶん種族として人類は圧倒的に陽キャが多いようにできてるんですよね。あれほど騒がれていた東京オリンピックでのボランティアは5万人の枠が一瞬で埋まりましたし、会社に行けば全員が箱根駅伝・24時間テレビを見ているし、空手の道場に行くと全員が野球の国際戦を見ています。こうした視点に対抗するためにも、界隈を運営するには「陽キャも意識する」という点を提案できればと思いました。
こちらの Streamer Advent Calendar 2024, 私の次は りーマック さんです。明日の記事をお待ち下さい。
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厳密には2015年くらいまで、陰キャのことは「非リア」と呼んでいたと思います。 ↩︎