ゲームの競技シーンに於いて使用キャラを禁止する議論は古今東西やまないものです。特に1on1のPvPゲームでは盛んです。勝てないことへの怨嗟と、禁止することへの抵抗がある限りやむを得ないでしょう。しかし、感情が先行するが故に “キャラ禁止議論” は余り分類がされていません。
今回はゲーマー上古の時代から伝わる議論に、私視点での分類を加えようとこの文章をまとめました。特に、この議論が私の主義を説明することにすごく向いているため思い立った次第です。
背景
2023年現在、スマブラ勢の間では世界で “キャラ禁止議論” の話題が突沸的に登場しました。
たしかに過去にもスマブラ勢の間でキャラ禁止の話題自体は挙がったことがあります。よく他ゲーの方とお話しすると、
ベヨネッタとか勇者が禁止されたんでしょ?
といった話題のフリを頂きます。これは一部正しいのですが、実情は扇情的なウェブメディアが書いた記事に誇張されています。世界のどこかで 1, 2 箇所禁止する有志の大会が現れたに過ぎず、実際に勇者やベヨネッタを禁止した大会に出場したことがあるプレイヤーには私も会ったことがありません。
最近話題になっているのは「スティーブ」という使用キャラ(ゲーム内では「ファイター」)の禁止についてです。しかしこれも北米にて 1, 2 個のオープン大会がスティーブを禁止したに過ぎず、世界的には「キャラ禁止せず」が従来通りの風向きです。
[スマブラSPで話題のファイター:スティーブ。]
ここまで話題になっているのは権威ある世界ランキングが「スティーブ禁止をする大会も世界ランキングとして集計します」とアナウンスしたことが発端だと思います。以下説明します。
前提としてスマブラの大会というのは世界にわたってユーザーが主催する非公式大会が主です。世界各地にある別々の有志団体が自主的に開催しています。各位が好き勝手にルールを設定できますがそれでもスティーブを禁止する大会、と言うよりもそもそも1キャラでも禁止する大会というのは、今のところ一部勢力に過ぎません。
[ 引用元投稿 ]Steve will be banned at Let's Make Big Moves 2024, a thread 🧵 pic.twitter.com/1RSVGrEe5f
— LG EMG Max Ketchum (@MaxKetchum_) August 29, 2023
2024年1月に開催予定の大会 「LMBM」は多数決の結果としてスティーブの使用禁止を決定しました(上に投稿を引用)。これが昨今の議論の大元となりました(註1)。
更に、この議論に乗って世界ランキングの運営が世界中の大会運営を集めて「スティーブ禁止を容認すべきか?」と呼びかけ投票を行った結果、賛成多数で「スティーブを禁止する大会も世界ランキングに算入する」という結論に至ったまでです(註2)。
[ 引用元投稿 ]Regarding Steve in the 2024.1 Season:
— LumiRank (@LumiRank) October 17, 2023
Last time you heard from us regarding this topic, we said we would be back early October with a decision. Apologies for the delay, as the process took longer than expected. Steve banned events will still be counted for the 2024.1 season, and…
改めて問いますが、多数決の結果特定のキャラ禁止を容認することは認めるべきでしょうか?逆に使用キャラ禁止の議論や手順はどのように進めるべきでしょうか?
本文は現在のスマブラに限らず、どのゲームでも活きるような抽象的分類を行う試みです。
[この記事の基となった 私の投稿 ]大会での特定キャラ禁止を「多数決の結果」で決めるのは危険だと思っています。
— Ayuha Nakamura/アユハ (@ayuha167) August 31, 2023
大会運営の意志で禁止するところがあっても良いですし、禁止しなくても良いんですが、多数決だけはダメという派です。(続
よくある先行事例
キャラ禁止を肯定する議論は色々あります。よくある意見を出します:
このキャラが居るとつまらない。このせいで大会視聴者が減って、界隈全体が盛り下がるのは不利益だから、みんなのために禁止すべき。
このように、「シーン全体の盛り上がり」というものを現役プレイヤーからファンまでもが意識しており、それを優先した考え方です。これは現代特有の発想です。
例えば過去を遡ると禁止キャラで有名な事例では “スパ2X” の豪鬼が挙がります。なぜ豪鬼が禁止されたのか厳密な資料は私も存じ上げないのですが、理由は勿論強すぎるからです。しかし、インターネットが盛んでない当時と現代とで意味が違うと考えています(註3)。今回の議論はインターネットがある現代で、「シーン全体の盛り上がり」を意識して議論を行うことが可能なことを前提とします。
『激闘忍者対戦3』の九尾ナルトのように、そもそもゲームのデザインとして最強キャラが作成されている場合も別です。現代のゲームではPvP を前提としてどの使用キャラも戦えるように設計されているはずです。そのため現代の『League of Legends』では特定キャラが強すぎるという理由で公式大会から BAN が行われることがあります 記事 。
ただ、これらの事例も今回意識した件とは少しズレると思っています。簡単に申せば格闘ゲーム・スマブラでは使用キャラ禁止は死活問題だからです。
感覚的な話ですが、スマブラやストリートファイターではその1キャラを極めることがゲームの上達そのものです。「キャラを乗り換えれば良い」という問題ではありません。比較するのはヤボですが『Apex Legends』や『Overwatch2』でキャラを乗り換える感覚とは異なります。Apex Legends が簡単という訳ではありません。格闘ゲーム・スマブラを上達するにあたり割くリソースとしてキャラの使い込みの要素が大き過ぎるのです。
そのためFPSやMOBAで禁止が出るというのは、カードゲームで禁止カードが出るように〈手段の禁止〉だと私は捉えます。ポケモンVGCで嘗て北米コミュニティの間でソーナンスが禁止されていたという噂がありますが、これも〈手段の禁止〉であると分類します。
一方で格闘ゲーム・スマブラで特定のキャラを禁止するというのは、その使い手全体を界隈から追放するほどの威力があります。これは〈人間の禁止〉です。だから最もキャラ禁止の議論が活発になると考えています。
これらを踏まえた上で次へ進みましょう。
問題提起
では問題提起ですが、競技シーンでキャラ禁止を認めるべきでしょうか?そのための手段として多数決はアリでしょうか?
私の立場としては公式大会と非公式大会(=コミュニティ大会)を対比しながら議論します。そして最も禁止キャラの議論が活発となる 1on1 の PvP タイトル、つまり格闘ゲームとスマブラを中心に話を進めます。
また、私の意見は絶対に正しいとは思っていません。それでも私の立ち位置から逆算するとどうしてもこういう意見になる、ということを知って頂きたいです。
理想のルールはあるのか
議論をはじめるにあたり確認することがあります。この世に「理想のルール」は在ると思いますか?
つまり、競技シーンで活用するルールとして「こうあるべき」という倫理観・上下意識のようなものはお持ちでしょうか?お持ちの方はこの世のどこかにまだ見ぬ「理想のルール」が在ると考えていらして、ルールを改訂するにつれてそれに近づいている発想ということになります。
①「理想のルールは在る!」と思う人は、常により良いルールを求めて改善を続けるでしょう。より良いルールを高く評価し、ダメなルールは低く評価する考え方です。
例えばダブルエリミネーションのほうがシングルエリミネーションよりも「良い」とか、「競技的である」といった捉え方をする人です。特定のキャラを禁止するのは「良い」かどうかを考慮すると思います。
② 一方で「理想のルールは存在しない!」と捉える人も居ます。というより、この世に存在するルールに上下はないという考えです。実際にルールは大会の予算や参加者数、形態や事情によって変わります。各地の運営が自分の環境で最善のルールを選んでいるという視点です。
皆様はどちらでお考えでしょう?(註4)
皆様の腹案を心に秘めて頂いた上で、次の議論に進みます。
公式大会
もし公式大会やゲーム会社の運営の方であれば「理想のルールは在る」「ルールに良し悪しがある」、つまり①のように考えても自然でしょう。
企業にとっては大会の視聴者数が減ることがプロモーション効果やアクティブユーザー数に関わります。旧Twitterでのトレンド入りを目指すこともあるでしょう。より「盛り上がる」ことを「良い」ことだと考えることが可能です。
ならばより「良い」ルールだからという理由でキャラを禁止することはあると思います。上述の League of Legends で禁止キャラが出た件も公式大会です。
公式大会はゲーム会社が運営するものであり、まさしく王国そのものです。王国を運営するにあたって王が全体の盛り上がりを意識するのは当然のことです。私も公式大会、または認可を受けた企業の公認大会では、より「良い」という理由でキャラを禁止することは可能だと考えます。
全体主義
上の「①理想のルールはある」という視点はは善悪的・倫理的であると同時に、全体主義的にも繋がります。つまり、全体の利益を個人の利益よりも優先することです。
今回で言えば、公式大会というものが先んじて存在して、その中にプレイヤー・ユーザーが居るという視座となります。王国と臣民に対する考え方と似ているでしょう。
[全体主義での大会とプレイヤーの関係イメージ。]
現代ではゲームの大会の多くが公式大会となって来ました。もしくは企業が運営する大会です。その結果クオリティが高く、視聴者も多い大会が増えたと思います。
皆様の心にもおたずねしたいのですが、同時視聴者数100未満である何かしらの大会をここ12ヶ月でご覧になったことがあるでしょうか?10年前であればこうした雑な非公式大会が世に溢れ、いつでも見ることができました。
しかし現代ではクオリティの高い公式大会・公認大会ばかり見るようになりました。「視聴者が多い!」という指標は絶対視され、今では小学生ですら「〇〇人くらい見ていたら大きい大会」といった価値観が身についている時代となりました。こうした時代背景から、シーン全体の盛り上がりは誰でも分かる重要指標として守られるものになったでしょう。
参考に嘗て書いた筆者の投稿があります:
この全体主義の視点に立つならば盛り上がりに反するものは除去されるでしょう。例えば「プロゲーマーの不適切発言」はよく話題になります。ゲーマーからすると「ゲーマーのように野蛮な文化で、発言の一つや二つで競技に参加できないのはやり過ぎじゃないか?」という意見もあるのですが、全体主義だと考えれば矛盾はありません。界隈の品位や他所からの見栄えが最重要であり、選手に完全なる自由があるわけでは無いのです。
理想のルールは存在しない
一方、私は「②理想のルールは存在しない」と考えます。そして、非公式大会やコミュニティ大会と呼ばれるものではこう考えるべきだと主張します。
私は「この世はみんな好きなモノが違う」という前提に立っています。人は好きなゲームを自主的にプレイしており、それがアイデンティティに紐づいています。『Rocket League』をプレイするのか『Starcraft』をプレイするのかは、好みであって優劣ではありません。
非公式大会の開催も同様です。大会というものは各自が自主的に好きだから開催するものです。大会が規模や視聴者数で上下や善悪があるわけではありません。ルールにもそうした上下は無いという考え方になります。
ならばルールとはどうあるべきでしょう?私はどの競技シーンでも、ルールは便宜上広まったものに過ぎないと考えます。
ダブルエリミネーションが良いのかスイスドローが良いのか。Bo3 が良いのか Bo5 が良いのか。これらは優劣が証明された訳ではなく、文化的になんとなくそうなっているものだと考えます。(註5)
MOBA で特有の「キャラ Ban/Pick」制度も『League of Legends』と『Dota2』で異なります。このことから、理想のルールがあるわけではなく、歴史や便宜によってルールは決まって来るのだと考えます。
[今年の
Dota2 The International
から。私はこの Ban/Pick 演出がすごく好きなのですが、「他のMOBAもこの方式にすべき」「他所もこの演出にすべき」かと言うとそれは NO だと思います。]
ルールはいかに導入すべきか
これらの視点:
- 理想のルールは存在しない/ルールに上下はない
- みんな好きなモノが違う
に立つならば、特定のキャラを禁止するルールはそれをしたい誰かが開いて頑張って広めるしかありません。
例えばスマブラでの「ステージ Ban/Pick」です。Switch版の発売当初は Ban/Pick が煩雑であることから多くの大会が導入しませんでした。しかし時間をかけて徐々に各所の大会で導入され、今では一般的なルールです。「ステージ Ban/Pick があったほうが客観的に優れている」という訳ではないのですが、主観的に「コレが良い!」と思ったプレイヤーが現れ、徐々に輪を広めて行ったと解釈します。
一部スマブラ勢の間で行われている SSQM や、今流行りの SSDB も似た状況です。
[ SSQMの説明動画 。SSQM とはスマブラSPゲーム内で設定を頑張れば旧作『スマブラDX』と似たゲーム性でプレイできるという特殊ルールのこと。]
遊戯王の “04環境” というルールも似た状態でしょう。PvP ではありませんが RTA のカテゴリも同様だと考えます。目隠ししてプレイをするのは「優れている」とか「そうあるべき」なのではなく、それを好きな人が広めたから存在していると考えます。
[近年話題の「目隠しRTA」から一例。画像は
スーパーマリオ64 - RTA in Japan Winter 2021
から。人はみんなやりたいことが異なることを認め、この文化が存在することを尊重せねばなりません。そもそも Any% ではない全てのカテゴリはキャラ禁止に近い概念であり、一つの模範となります。]
非公式大会の環境で、様々な主体が自由にルールを設定して大会同士で競争する環境では、このようにルールは広まるべきだと私は提案します。
このように広まったならば、私もキャラ禁止のルールを認めるでしょう。ある日「このキャラを禁止したいから」という理由で禁止する大会は出現しても良いですし、現れたらその自主性を容認するべきです。その意志が波として周囲へ広がるかどうか次第です。
そのためスマブラSPでスティーブを禁止するかどうかは、いま禁止派の主催者たちがどれほど文化を広められるかにかかっていると申し上げます。
逆に「大規模大会は界隈の盛り上がりのためにこのキャラを禁止すべき」という考えにはこうした視点で立場が矛盾すると考えます。
事実、:
「〇〇という大会は界隈を代表するイベントなのだから、全体への影響を考えて〜〜をすべき」
という論調をよく見かけます。しかし非公式大会やコミュニティの世界ではそんな倫理観や上下観を持ち込むべきではありません。みんなが好きでゲームをしていないならばアリかもしれませんが、実際はゲーマーには自分の意志があるのです。
多数決ならしょうがないというツッコミ
それでもツッコミはあり得ます。
結局世界ランキングは多数決で容認した。多数決でキャラ禁止が決まったならしょうがないんじゃないか?
という意見です。多数決で決まったのならば世界のみんなはある程度従わないといけないのではないでしょうか?
多数決の前提
現代国家の多数決には前提があります。これが今日の議論に関係するため、ここではもう一つ私の意見として申し上げます。
現代の民主主義国家は “人権” があるところが多いです。これは「国民が先にあり、国家は後から便宜上存在する」という考え方です。多数決でモノを決めるというのは、一人一人の人間が尊重されるべきであり全員が決定に参加できるべきという考えが前提にあります(色々解釈はありますが)。
すると国がルールで一部の国民を痛めつけようとしても、それは「国民が先に存在する」という前提に反するならば受け入れないということになります。
[全体主義(左)と個人主義(右)での大会とプレイヤーの関係対比。]
現代ではゲーマーと非公式大会の関係はこうだと思っています。ゲーマーが先にあり、大会は便宜上存在するものに過ぎません。一人一人の自由を同等に認めるべきであり、不当に誰かを弾圧してはいけません。これは公式大会で述べた全体主義とは逆の発想です。個人主義(リベラル)にあたります。
もし「大会(国)が先に存在しプレイヤー(国民)はその要素なのだ」と解釈するならば、主催者が勝手にルールを設定することもアリです。または特権を持った人(例:貴族・界隈に功績がある者・税金〇〇円を納めた者)が決定して全員に発布することが可能でしょう。
ただ参加者や参加者以外も含めて「誰でも参加できる多数決」という手段を用いて、「これは公正な決定だ」という理屈でキャラを禁止するのは、多数決という手段の前提に矛盾していると私は考えています。
[この考えについては ぴよぴーよ速報にてジョン・ロックについて説明した動画 が詳しい。]
これはゲーマーの前提というか現代でゲームをすることの根本にも関わります。現代ではゲーマーは自分の好きなゲームを自主的に選択しているのであり、この選択がアイデンティティ(= 社会的な立ち位置の自認)に繋がります。これは:
- みんなが好きなモノが違う
- ルールに上下がない
という発想と地続きのものです。
特に格闘ゲームやスマブラでは使用すできるキャラ数には限度があるため、使用キャラとアイデンティティが結びついているでしょう。すると、多数決で特定のキャラを禁止することはその使い手を追放することです。これは上でも申した〈人間の禁止〉です。
すると「ゲーマー/国民が先にある」という前提に反し、容認できません。多数決でキャラの禁止を決めるというのは、私にとっては国家が国民投票で民族迫害を決めるのと同様の理屈なのです。
好きなこととアイデンティティが結びつくという発想は私の理論によく登場するため以下に大元を載せます:
こうした視点から、多数決という手段で「このキャラを民意によって公正に禁止します」と言い渡す理屈は、現代ゲーマーの間では受容できないと考えます。
勿論「このキャラを禁止したいから」という理由で禁止する個別の大会は出現しても良いですが、まるでみんなが同意して従わなければならない論理やシステム、界隈全体の空気を作ってはいけないということです。
特定のキャラ禁止をした大会が自主的に現れ、それを模倣する大会が増えて行くというのは、esports 化が進んで公式大会が盛んな今では中々起き得ないでしょう。ですが公式大会の統一ルールが全てではなく、ゲーマーは自主性を持っても良いという発想は抱いて欲しいです。
究極的には、上述の「スパ2Xの豪鬼禁止」という概念も、口伝で自主的に広まって行ったのだと感じています。
無意識に潜む個人と全体の対立
最後に、①と②の発想が行き着く先の対立について考えます。公式大会が持ちうる全体主義の視点に立つと:
盛り上がらないからこの選手を出場させない!
といった事態があり得ます。「そんなことは起きないよ!」というツッコミがあり得るので現実的なラインを引くと:
この選手/チームは強いかどうかビミョーだが、とてもファンが多いので出場させよう!
という裁定があります。これは多くの公式大会で起きているでしょう。基本的に「出させる」と「出させない」は表裏一体のもので、人気選手がお恵みで出場権を貰っている裏では蹴落とされた実力者が居たはずです。
この発想は「全体が盛り上がるとみんなに利益がある」という前提に立つならば正しいですし、一見採用されます。しかしこの発想をすると「ゲーマーは好きなタイトルを自主的に選んでいる」といった現代の根本に関わるため、私は慎重に考えた方が良いと申し上げます。
これに近いことを述べた投稿が以下にあります:
この議論は選手についてです。公式大会ならば起きうることですし、非公式大会でコレが起きるとよく議論になっているでしょう。これを選手から使用キャラに置き換えたものが今回の「キャラ禁止」の議論です。
ユーザー側・プレイヤー側・消費者側がこういった全体主義の思考に陥ると、新しい文化が生まれなくなり、既存と同じものが再生産され、世代交代も進まなくなると経験上私は思っています。プレイヤー側はやはり個人主義側の発想を持って各自を尊重することがシーンの維持に繋がると思います。
[個人主義について私が一度考えを述べた切り抜きがあるので置いておきます。 動画URL ]
以上
以上でキャラを禁止することに関する議論について、意見を立場で分類したものとなります。その上で、今議論になっているスマブラ勢では非公式大会が多いため、多数決という手段で決定することは望んでいません。今回の内容には:
- ルールに上下はない
- ゲーマーの自主性とアイデンティティ
- 個人主義 vs. 全体主義
- 非公式大会 vs. 公式大会
こうした議論が編まれたように関係し合い、私がゲーマーをどのように見るかその透視図のような題材だったため、こうして文章にまとめました。
勿論私の意見は絶対ではありません。私の見方は非イデア論的なリベラルを是とするものですが、例えばイデア論を持つ理論だったりもっと保守的な理論だったりもあり得ると思います。 私の今回の提案がそういった論客の登場へ繋がればと祈り、今回は締めくくります。
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スティーブの使用禁止を多数決で採用した大会 LMBM は正式名「Luminosity Makes Big Moves 2024」。参加者約400名・行くかどうか半々の者約1200名・行かない者約2100名で投票を行い、いずれでも禁止派が多数だったという結果に。 ↩︎
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この世界ランキングとは「LumiRank」のこと。投票に関しては Discord サーバーを作り、世界の大会運営50名を集めて投票を行ったとあります。この件の内訳は口外するなと言われているため申し上げられません。見ての通り上のスティーブ禁止大会と世界ランキングの運営元は同じ組織(Luminosity Gaming)ですが、「運営は別々で行っている」という声明は出ています。 ↩︎
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“KOF2001” のフォクシー、『ジョジョの奇妙な冒険 未来への遺産』のペットショップなども同様に考えています。 ↩︎
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この対立は ①自然法論 と ②法実証主義から着想を得ています。簡単に言えば①自然法論がイデア論で、②法実証主義が非イデア論です。 ↩︎
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例えばダブルエリミネーションはシングルエリミネーションと比較してそれほど優れていないのでは?といったシミュレーションがこちらのブログで述べられています: 『ダブルエリミネーション方式のトーナメント大会は、どの程度適切な順位付けができるか』 ↩︎