「Esportsはなぜプレイヤー名(= 偽名)でやるのか?本名でやるべきじゃないか?」という提案は常に行われます。この議論が思ったよりも勝負にまつわる様々な概念につながっているため、今回取り上げます。
Esports はゲームと地続きであるため、自分がプレイしているゲーム内アカウント名で大会にそのまま出場することが多いです。Steam のユーザー名や、PSN のアカウント名などです。Start.gg のアカウント名で表示されることもあります。

[
Evo Japan 2025 Start.gg画面
。トーナメント表には日本および海外の選手がプレイヤー名で表記されています。Momochiさんは例外です。]
これが「Esportsはプレイヤー名でやる」という実態です。ただ、これをゲーム内アカウント名ではなく、本名で表示するべきでは?という議論はいろいろあります。
古い議論では、かずのこ選手が Capcom Cup 2015 を優勝してテレビ出演が多くなった際に、基本的に本名で紹介され、「やっぱりプレイヤー名じゃダメなんだろうか?」という話題がファンの間で広まりました。
背景
今回、コトの発端は、Twitter [X] 上で
eスポーツも本名で戦った方が競技の重みが伝わる気はする
(
出典URL
)という発言に対して、
MamE
さんが反論したのを私が見かけたからです。
Abaraさんもおっしゃっていた
のを拝見しています。
勿論元のご意見にも一定の根拠があります。フィジカルスポーツは本名で行うことが一般的ですし、直観的に言って本名で競技を行う良さは何となく分かります。一方で、現役ゲーマーがこの意見に反発することも多いです。この2つが対立する背景には一体何があるのでしょう?
したほうが良い
私はこうした「〜〜したほうが良い」といった議論の多くは、重要な情報が抜けていると思います。
私はこの世に絶対的に「良い」ものは無いと常に申し上げています。例えばesportsでは試合がBo1からBo3になれば「競技の価値が上がる」といった声がよく挙がります。実際Bo3の方が選手にとってメリットがありますが、試合時間が長くなって予算がかかるため運営には負担です。
「常に良いもの」はほぼ存在せず、何かにとってメリットならば何かにとってデメリットです。
そのため、esports で本名を使うべきかどうかも:
- 誰が提案しているのか
- 誰にメリットがあるのか
という情報を考えないといけません。ここに具体例が伴わなければ実態には繋がりません。だいたいの議論は「〈抽象的なもの〉は〈抽象的な行為〉したほうが良い」という提案に留まっています。しかし具体的な視点が欠如している結果、インターネットでは現実的に:
- 多くのスポーツは本名でやっている
- でもイチローは本名ではない
- そもそも日本人は昔から偽名を使っていた
といった内容が具体例として挙げられるのですが、これらの例がesportsに適用される保証はないと私は考えています(註1)。メリットを受ける人間と推進している人間の関係が合致するとは限らないからです。
本文では、esports で本名を使うメリットとプレイヤー名を使うメリットを検討します。
本名のメリット
Esports で本名を使うメリットは明白です。Esports はデジタルゲームの中で行いますが、それを現実と繋げることができるという点です。コンプライアンス面が保証されます。
このメリットはゲーム会社や各種スポンサーが興味があるでしょう。日本では伝統的にポケモンの公式大会が本名で行われて来ました(註2)。JeSUさんが発行するプロライセンス制度では認定された選手は本名が公開されます。 こうした下地があると地域・自治体・学校に繋げ易く、保護者の方に競技を見せ易くなります。
国内でも Gran Turismo をはじめとしたeモータースポーツ系は本名で出場することが主流です。これはそもそもリアルのモータースポーツという現実と接点があるからと考えられます。

[日本eスポーツアワード]
私も日本eスポーツアワードの審査員をしたりすることがあるので、「ゲーマーを社会に接続すること」の重要さはとても分かります。その競技・ゲームタイトルの社会的な価値(= 外的な価値・外的な善)を大きくすると言えます。
プレイヤー名に本名を併記することが多い韓国では、StarCraft以来、LCK や Overwatch League でこの文化が使われています。韓国はKeSPAを通じてesportsが国と関わることが多いと言われています。
そのため、何かを運営したり社会に繋げることをメリットに感じる人達が、esportsと本名を推進してきたはずです。
一方で、本名を用いるデメリットというか、トレードオフもあります。本名が出ることでプレイヤーはどうしても現実と結びつきます。「Esportsは背景や出自に関係なく誰でもできる」といったメッセージが用いられることがありますが、この文言は通用しなくなるでしょう。
また、この流れから「プレイヤーはマナーが大事」といった価値観が常にセットで付き添うことになります。ゲーム会社やスポンサーからしたらそれは望ましいことですが、プレイヤーにとっては息苦しいことです(註3)。
プレイヤー名のメリット
プレイヤー名を用いるメリットもあります。ゲーマー本来の形に合うということです。プレイヤーはそもそも自分のことを本名ではなく、プレイヤー名で認識しています。もはやメリットとかではなく、「そうじゃないとおかしい」とさえ感じているはずです。
デジタルゲームでPvPを行っているプレイヤーのほぼ全て(99.9%以上)は、そのプレイ時間のほぼ全てをプレイヤー名で行うからです。ランクマッチをするときは勿論、どこかのDiscordに入ってカスタムをするときも、そこで人と喋ったりするとき、ライブ配信を見て書き込むときもそのプレイヤー名を用います。

[プレイヤー名の例。s1mple は s1mple と呼ばれています。出典:
s1mple - HLTV MVP by Bitskins of BLAST Premier World Final 2021
]
実情として南北アメリカ・東西ヨーロッパではいずれも試合はプレイヤー名(= gamer tag)で行います。ニュース記事で本名と併記されることはありますが、試合の中ではプレイヤー名で呼ぶことがほぼ支配的です。特にesportsで取り上げられる League of Legends, Counter-Strike 2, Dota2 はプレイヤー名です。
典型的ですが s1mple, ZywOo, dev1ce, Dendi, Ceb といった名前はそのプレイヤー名で記憶されています。彼らの出身国に “日本の匿名文化” があるわけではありませんが、それでもプレイヤー名を用いることが一般的です。
たしかにアルファベット圏でも選手紹介でプレイヤー名と本名を併記することは多いですが、その舞台に立てるのはごく一部の強豪です。ユーザー数の99.9%以上は本名を出すことで受けられる恩恵(例:記事で紹介される)まで辿りつけません。
私はesports = デジタルゲームの競技シーンとは、根本的にプレイヤーのメリットのためにやっているという視点を持っています。現代ではesportsは「ゲーム会社にメリットがあるからやっている」と語られることもありますが、そうではないという主張です。過去のブログ投稿にあります:
そのため、esports ではプレイヤーの都合で物事が決定されているし、そうあるべきだとも思っています。また、「自分が自分のことを何と自認しているか?」という〈アイデンティティ〉の側面はとても重要だと考えています。
比較すると、スポーツでは地域の大会で1回戦に出場する小学生も本名です。ただ、今回の理屈だとそれはスポーツをやっている時点で本名を使っているからだと言えます。スポーツとesportsではその前提がだいぶ異なるため(例:保護者/地域がコストを払うか・オンラインでのセキュリティ問題があるか)、esportsでそのまま同じように比較をできるかは懐疑的です。
競技の重みについて
私の立場をしっかり申し上げたいのですが、プレイヤー名だろうと本名だろうと、競技の重みは変わりません。それは「競技の重み」は内的な善(= 内的な価値)だからです。
簡単に説明しますと、競技の価値・勝敗の価値というのはその競技の中でだけ規定されるもの(= 内的な善)です。その人やチームがどういった勝敗歴があり、その試合がどういった内容・レベルであったかで決定します。その競技を追っていないと分からない価値であるため、内的と表現されます。

[内的・外的な善の図解。以下の『競技シーンの哲学』から引用。]
一方、外的な善(= 外的な価値)とは、競技を追っていなくても分かる価値です。賞金や視聴者数がこれにあたります。試合で本名を使うという動機は、esportsと社会を繋げるものですから、esportsの外的な善を強めようというものであると言えるでしょう。こうした外的な善は競技を見ていない人でも分かる便利なものでありますが、外的な善でその勝敗自体の価値が変わるわけではありません。外的な善(= 賞金・視聴者数)と内的な善(= 試合自体の面白さ)は別物であると考えるからです。(註4)
これについては別途書きました『競技シーンの哲学』で述べています。
※上述の〈アイデンティティ〉の重要さについても述べています。
上の文章ですと少し長めですので、ブログ投稿ですと以下のものがあります:
そのため、本名を使うかプレイヤー名を使うかは競技の価値には関係がないと考えます。イチローやロナウジーニョは仮に本名でやっていたとしてもその偉業は変わらないでしょうし、「本名でやっている松井秀喜は、プレイヤー名でやっている朝青龍より凄い」みたいな比較はできないと考えます。
提案
本文では、本名とプレイヤー名のメリットを検討しました。いずれにも一長一短があることを見ました。本名はゲーム会社や大会運営にメリットがある一方、プレイヤー名はプレイヤーにメリットがあります。
私の今回の結論としましては、プレイヤー名文化が主流な今、「本名でやるべき」という主張を持った人間がなにかの大会を開いたり・ゲーム会社に入ったり・オーガナイザー企業に入ったりして、その文化を実戦投入するしかない、というものになります。
理由としては「esportsでのシステムはだいたいそういう風にやって来たから」です。日本のesportsで顔出しをさせるのも、リーグ制を導入するのも、最初は少数派でしたが誰かが推し進めて来ました。
いまプレイヤー文化で一定の実態を構築している現場にやって来て、「理論上メリットがあるから、本名でやるように作り変えるべき」と提案しても、あまり導入までは届かない体感があります。
以上
今回は以上です。
私もプレイヤー出身ですから、プレイヤー名だけがあって、身分や背景など関係なくとにかく対戦して友達が増えるこのesportsの環境が好きです。
私はあまり理解されないタイプの人間なのですが、私は「プレイヤー名表示+顔出し」を推進しています。この2つは相容れないように見えますが、簡単に申しますとゲーマーは現実社会の価値観に乗るべきではなく、ゲーマー社会というものを作ってそこの価値観を作るべきと考えています。それを形成するのに「プレイヤー名+顔出し」は丁度良いと考えています。
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「日本は昔から匿名文化がある」という発想には一定の実態があるのですが、これはesportsに完全に適用はできないと思っています。それは 梅原大吾・及川浩一・ふじたみか のように90年代は本名で試合をしていた実態もあるからです。ここまでプレイヤー名文化が根付いたのは00年代のインターネット匿名文化が現れてからだと私は感じています。 ↩︎
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ポケモンの公式大会は『第1回 ポケモンリーグ 任天堂公式大会 ニンテンドウカップ1997』の時点で本名での出場となっていました。2004年以降の通称『ポケモンWCS』体制になってからも本名での出場です。 ↩︎
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最近決勝戦での勝利パフォーマンスが影響で敗北処理となった裁定があり、話題になりました。実態はヘッドセットを投げたことが裁定の理由でしたが、ご参考に。 https://x.com/ItsAXN/status/2040924406827086032 ↩︎
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厳密には外的な善(= 社会的な価値)と内的な善(= 試合自体の面白さ)が別物であると証明した科学的なエビデンスがあるわけではありません。私がその理論を信じているというだけです。スポーツ哲学というジャンルがあり、現代のスポーツや競技全般の定義を行った理論であり、私はこれに基本的に則っています。 ↩︎