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Aug 13, 2020 - gamerlogy tournament esports

ゲーム:公式大会と非公式大会

昨今は esports が潮流ですが、ゲームイベントの中でも公式大会と非公式大会の立ち位置について、筆者がどう捉えているかをまとめたものです。

特に、非公式大会を開かれる方は、ご自身の経験と価値観に照らし合わせて、議論頂けますと幸いです。もし皆様の見方がありましたらお教え頂けましたら拝読します。

註:今日は「コミュニティ大会」「ユーザー大会」「非公式大会」など、これらの単語を同義で用います。特に公式大会と比較するため、コミュニティイベント・個人イベントも「非公式大会」という呼称を用います。

導入

Esports は、主にデジタルゲームを用いて競技を行うこと全般を指します。特に競技シーンが大きく熱量が大きなものを 指すことが一般的です。
本来は esports は Starcraft や Counter-Strike の時代(00年代)に西洋圏で普及した英単語で、元はといえば「PCゲームの対人戦のことでしょ」といったニュアンスでした(Twitch 本社社員談)。時を経て拡張され、現在の MOBA, FPS, 格闘ゲームに適用されるような広義の用語となって来ました。

2020年の現代で広い esports の定義を採ると、その中には公式大会と非公式大会があります。

[↑[CS:GO 公認大会 “StarLadder Major Berlin 2019”](oembed https://www.youtube.com/watch?v=c2uQV59-tbI ) 決勝。 “公認” 大会ですが公式大会と同じ括りで捉えます。 ]

[↑スマブラX 非公式大会 “Apex2012” 。]

このように↑公式大会・非公式大会の例を挙げました。対戦ゲームの歴史ある限り公式大会が存在しています(日本では1991年にストⅡの公認大会が開催)が、非公式大会も同様に長い歴史があります。日本では特に家庭用ゲーム関連で多く、海外では ESL, DreamHack, EVO も元は非公式イベントでした。
筆者の場合、仕事で公式・公認大会と対話することが多いのですが、スマブラシリーズで『ウメブラ』という非公式大会のスタッフをして来ました。その結果、こういった疑問がありました:

  • 「ゲーマーがここまでして非公式大会を開きたいと思う熱意はどこから?」
  • 「非公式大会はどのような構造で立つべきなのか?」

です。そこで今回はこちらで、非公式と公式に対比しながら自分の考え方を述べます。
非公式大会を開く際に絶対的に考えていることについては、過去に記しました 『コミュニティ大会運営をする時に考えていること2020』 を御覧ください。特にゲームの個人利用のガイドラインの在り方やその精神性については、こちらの↑文章をば。

コンテンツ産業でも、音楽やアニメ/マンガでは、公式・非公式イベントに明確な差があります。参加する側・運営する側も発想のレベルから異なるのですが、ゲームの場合は公式・非公式イベントのエクスペリエンスが似ているため一緒くたにされがちです。

今回は対比することで、両者の明確な像を提案できればといいう試みです。特に昨今では、非公式大会・コミュニティイベントを名乗りながらも、もはや企業イベント・公認イベントである例が産まれています。その差は何であり、何故明確にすることで警鐘を鳴らすのかをご理解頂けますと幸いです。

公式大会

公式大会とは、ゲーム会社が自ら開催する競技的な大会のことです。こちらについては、もはや説明不要かもしれません。
当然ですが、トップダウンで全てを決定することが出来ます。(ゲーム会社ではない第三者の企業が行うサードパーティのイベントである「公認大会」は、こちらの公式大会側に入れて議論します。)

誤解されがちですが、グローバルで展開される MOBA や FPS は、赤字でもプロモーションをするために esports を活用しているのではなく、esports をした方が利益が挙がるから導入しています。Esports とは企画部のプロモーション事業なのではなく、開発部を含めたゲームの体の一部となっています。ゲーム内に大会・選手の情報があり、競技を応援する課金があります。

“代替メッセージ”
[Dota2 では、バトルパス(シーズンパス)を購入したユーザーはゲーム内から優勝予想が出来たり、自分のアイコン・スキン等を贔屓のチームで彩ったりと可能です。画像 : Negitaku より。]

公式大会は、例えるならば絶対王政的です。競技ルールは会社の都合で決めて大丈夫であり、参加者の合議や多数決は採りません。筆者は別に公式大会を “古い体制” として批判しているのではありません。ゲーム会社は著作権者ですので、王権神授説は所与のものとして当然だと捉えています。「朕は国家なり」どころか、公式とはゲームそのものです。ゲームを発信するメッセージとして大会は機能します。大会の告知面でプレイヤーへの影響力は強いですし、優勝者にとっては公式大会は錦の旗であります。

ただ、「地球上の全ての公式大会がユーザーに望まれているモノ」という訳ではありません。
まずゲーム会社は一つの法人組織に過ぎません。どこかに物理的に存在する一集団です。地球上の全ユーザーを精神的・物理的にカバーする大会を大量に開き続けることは不可能です。絶対王政国家も一つの国土を治めることが精一杯でしたから、現代の一法人で全世界をカバーすることは困難です。
また、絶対王政はトップダウン式です。公式大会の内容・時期・見せ方が、ゲーマー側の意志と運悪く一致しなかった場合、ゲーマーは折角の機会を「押し付けがましい」と感じてしまい、盛り上げに加担してくれない場合があります。耳聡い方々であれば、ご自身がプレイされているゲームの公式大会で、そこまで集客できなかったり視聴者が伸びなかったりといった実際の事例をご覧になった経験がおありでしょう。
これらについては、筆者が過去に 『共同体感覚とゲームシーン』 で記した共同体感覚と繋がります。ゲーマーが自分自身と公式大会と地続きな実感がない場合、公式大会を他人事に捉える傾向が現れます。

絶対王政としての公式大会は、このようにゲームとの一体性、権威や大義名分があります。この強さは何にも替えられないものであり、ゲームを愛する限り尊重するべきです。

非公式大会

非公式大会は日本でも数多く開かれます。オンライン大会の多くは非公式大会であり、COVID-19に伴う自粛状況以前は Red Bull Gaming Sphere Tokyo など施設を貸し切ってプレイヤー達が自主的に開催していました。非公式大会の定義には、筆者は過去に 『コミュニティ大会運営をする時に考えていること2020』 にて以下を挙げています:

  • ①ゲームについては個人利用
  • ②会計は非営利であり独立している
  • ③イベント運営の意思が独立している

詳しくは元の文面を御覧ください。これを文で表しますと、非公式大会とはゲームを好きな者たちが、ただゲームをしたいから集まるという勝負至上主義のもとに実行されるものです。(ゲーム会社が個人で開催するガイドラインを提示している場合がありますが、それに従っていても以上の定義に当てはまるものは非公式大会として議論します。 オオギさんによるガイドラインまとめ
非公式大会でも、広告価値とか賞金は大事ですが、それは結果であって目的ではないと筆者は考えています。例えば「賞金を出したいから非公式大会開くかぁ…タイトルはぐぐった感じ凄そうだから Dota2 で」と言い出す人が居たら「いやいやいや」とツッコミが入るでしょう。賞金が先行し、ゲームタイトルをぐぐって選ぶべきではありません。先行すべきは好きなゲームで勝負したいという熱意であり、数字については結果を甘受するべきです。

認識すべきこととして、非公式大会には弱点があります。まずプレイヤーが個人の力で参加者を呼びかけるため、参加者数は必ずしも公式大会ほどは大きくなりません(数十人から百人程度)。ゲーマーは対戦がしたいのかもしれませんが、数ある非公式大会の中から態々その一つに行くという大義名分が見えづらいからです。
また、基本的にはゲーム会社に利益を返還しません(ゲーム会社が何かしらの還元システムを提供している場合を除く)。そのため、非公式大会の成長はゲームにとって直接のメリットが有る訳ではありません。
単一の非公式大会を見れば以上ですが、現実的に非公式大会はたいてい日本語圏に複数存在します。すると参加する側・視聴する側にとっては、どの大会がどれくらい凄いのか定量的に伝わりづらいです。

それでも非公式大会を運営する者にとっては、上の弱点はどうでも良いことです。視聴者やフォロワーが欲しいから大会をするのではありません。定義の通り、非公式大会は開催したいから開催します。
特に筆者は一般的に、リベラルな状態でその人が持つ意志を重視しています。これはつまり、いま1兆円を非課税で貰っても、親兄弟友人の全員が自分に服従する状態に至っても、そのゲームをやりたいと思うかという意志です。コンテンツ産業というものは元来自由な状態での意志が先導するべきです。読者の方でも人間を見た時に、この人は「ゲームが好きなんだな」と「ゲームを利用して自己実現しようと思っているな」の差は見抜けるはずです。

この「ゲームをしたい」という発想を第一に置くことで、非公式大会を説明する手法を一つ思い立ちました。以下に申し上げます。

非公式大会の社会契約

ゲームの非公式大会は、社会契約的であると考えています。

念の為、社会契約を簡易に説明します。社会契約は政府のあり方についての捉え方です。人は本来ほっといても生きていけるのですが、それでは揉めたり争ったりした時に解決方法がありません。そこで、人は仕方なく政府を作りました。人は権利を少しずつ献上し、ルール決め・揉め事の裁定などを政府が行うようにしました。この理論の特徴は、人権が先んじて存在し、国や政府は後付けであるという配置順序にあります。社会契約の発想は現代でも多くの国で引き継がれています。

絶対王政と社会契約については、こちらの動画をオススメいたします。

ぴよぴーよ速報

ところでゲーマーは、ほっといてもゲームをします。対戦ゲームをする方はずっと対戦をしているでしょう。最近ではオンラインでマッチングして対戦することも出来ます。この「ゲーマーはゲームをしたい」という意志は、全てに先立つ前提(自然状態)となるものと考えています。
しかし、腕試しをしたくとも同じルール(例:ゲーム内のパラメーターや Bo1/トーナメント方式などの外部要素)でないと全員と自分の実力を比較することが出来ません。また、対戦トラブル(機材の不具合・断線など)時の裁定については善意だけでは解決できません。

そこで、ゲーマーが已むを得ず、場所・時間・ルールを決めて開催するものが非公式大会です。ゲーマーが対戦したいという前提のために、時間や裁定といった一部の人権を大会運営に委ねて開催されます。この類似性から筆者は、ゲームの非公式大会は社会契約的であると考えています。(今回は競技的な大会を想定している文章のため、対戦にまつわる内容を軸に話していますが、交流が中心のイベントをされる方は適宜軸を置き換えてご考慮ください。)

社会契約の理屈で言えば、非公式大会については以下の認識が生まれます:

  • ゲーマーは対戦したいという意志が前提
  • 非公式大会の主体はゲーマー/参加者側にあり、「ゲーマー権」が第一に存在
  • 運営はゲーマーの一部
  • 運営はゲーマーの中でも妙に運営モチベが高い人に任されている形
  • 参加費とは運営費の割り勘である

です。大会は社会契約的と言っても共和制となってはいないので、スタッフは選挙で選ばれた訳ではありません。ただ参加者とスタッフが同じ目線にあり、同族意識があります。また、誰でも大会運営に意見したり一緒に設営を手伝ったりが出来ます。極論、誰でも大会運営の一部と解釈も出来ます(参加者全員スタッフ理論)。誰でも貢献することが出来るため、参加者個人の心中での共同体感覚も大きくなります。

ここまで読まれても「それはそうでしょ」と思われるでしょう。では、提案を明確にするために、逆に「非公式大会は何ではないのか」をリスト化して述べます:

  • 大会運営は “神” ではない
  • 参加するゲーマーと大会運営は、客とサービスの関係ではない
  • ゲーム会社への貢献ではない
  • スポンサーの都合はゲーマーの都合を上回るべきではない

です。(なお、大会運営は社会地位的に神ではなくとも、技術やノウハウ的に神である場合があります。)

蛇足ですが、非公式大会を政府に例えるならば、大会運営では一切の主観・属人性を排除すべきでしょうか。つまり、大会をこういうカラーにしたいとか、デザインの方向とか、雰囲気とかを恣意的に決めることは駄目なことでしょうか。これについては、主観を排除しなくてよいと筆者は考えています。どの政府も、政治哲学的になにかしらの主観が入っており(三権分立を採用する・二院制にする etc)、政府に関する建造物や、議会の手続きにも文化的な背景が入っています。

という訳で、ここまで絶対王政的である公式大会と、社会契約的な非公式大会の差に理由付けを試みて来ました。最後に、この両者の可能性について意見を述べます。

絶対王政と社会契約の融和

人類の実際の歴史を振り返ると、絶対王政は社会契約に転覆されました。順序としては、絶対王政であった西洋世間に社会契約の考え方が広がり、アメリカ独立やフランス革命が発生して絶対王政を解脱してしまいました。現代のゲーム/esports で適用しますと「非公式大会がゲーム会社を転覆すべきだ」となりますが、これは推奨しません。

筆者が思いますに、現代の公式大会と非公式大会の良い部分が融合した時に、理想の大会構造が生まれると考えています。アメリカ独立に貢献したジェファーソンやフランクリンも、王政と議会が両立するイギリスの立憲君主制度(既に革命後)に一定の評価をしていました。今日は最後にこの王政と社会契約の融和について述べます。

“代替メッセージ”
[歴代の CS:GO Major の一覧。 Liquipedia より。このうち “StarLadder Berlin Major 2019” は上述の動画。]

例えば CS:GO (Counter-Strike: Global Offensive) です。CS:GO の前身 Counter-Strike シリーズは世界中で10年以上に亘り流行っており大会も多数存在しましたが、ゲーム会社 (Valve) はどんな大会との関係も明示していませんでした。そのため世界的に著名な大会は有りましたが、コミュニティから底上げで盛り上がっており、序列や権威が勲章的に明示されている訳ではありません。意志・熱意が先導している状態でした。

2013年に CS:GO が正式リリースされますと、ゲーム会社はその時点で定着していた諸大会に公認を与えて、公式の競技ピラミッド構造を作りました(上画像)。Major や Minor の段階構造を作り、世界各地から多数の大会を組み込みました。その結果、それまでのユーザー側の盛り上がり・習慣はそのままに、権威や大義名分が結びつきました。特にこちらに挙げた Major とは年1-2回ほどの頻度で開催される栄誉のイベントであり、世界各地の大会運営はこの枠を懸けて提案・ポスティングをゲーム会社側へ行います。選手・ファンとしても毎年競技がある安心感があります。

この Major リストに載っている DreamHack や ESL は昔は非公式大会でした。参加者の熱量と共に徐々に発展して法人化し、今はこうして公式大会の一部として認定されています。

これが、公式大会と非公式大会の融和と申し上げるものです。

公式大会の絶対王政的な在り方には、上で述べたような物理的な限界があったり、共同体感覚の限界があったりと弱点がありました。一方の非公式大会の社会契約的な在り方では、大義名分や序列の可視性に欠ける弱点がありました。そこで、充分に確立された非公式大会を公式大会の枠組みに当てはめることで、大会の重要性が明文化され・ゲーマーが共同体感覚を持った競技構造が生まれます。
今回は便宜上 CS:GO の例を挙げましたが、文句なしに esports として世界的に普及しているゲームタイトルは、どこかしらで非公式大会と公式大会の側面を融和させていると筆者は捉えています。(本当に話半分で聴いて欲しいのですが、Capcom Pro Tour の草案を始動する際に CS:GO は参考に挙がっていたと弊社側の人間が言っていました。)

ならば「日本のゲーム会社も個人主催の非公式大会に公認を与え、一緒に協力するべきだ」と結論に飛びつく方もいらっしゃるでしょう。それはまた早計です。ここまで述べていた非公式大会は個人開催であり、ゲーマー同士で繋がっている側面を述べましたが、公認を得ることで「しっかりした大会」へ運営方針の舵を切ることが想定されます。しっかりしていることや無難であることを優先しますと、参加者の意見や対話が大会運営に反映されなくなり、社会契約の前提が崩れます。「オフィシャル感が出ることで盛り下がる」という状態です。ここの匙加減は非常に難しいため、ゲーマーの方々も過度な要望をゲーム会社・大会運営の方へ寄せないようどうか申し上げます。
匙加減が見えて、次のステップを取らないといけないフェーズに入った時、自ずと非公式大会やゲーム会社は動きがあるはずです。その機をどうかお待ち下さい。

以上

好きなことは、好きである感情が先導するべきです。今回は非公式大会・公式大会の構造を比較することで、非公式大会の社会契約的な発想が、自由で純粋な意志に紐付いていることを述べられればと思いました。

だからといって、熱意以外の感情があってはいけない訳ではありません。大会運営を通じて就活向けに実績を積みたいとか、運営方式を学びたいといった動機もあるでしょう。それでも、実績稼ぎに制作会社の日雇いや店舗のバイトではなく非公式大会を選んだ時点でそのゲームが好きな精神がどこかに有るはずですし、運営方式を学びたいのも自分が好きなゲームがどこかにあるからそう判断したはずです。
逆に数字を稼ぎたいとか、他人よりも凄いことがしたいという感情が先行している場合は、余り適していないという意味です。

こういった観念の部分に触れて、思索をしていても、現実的には非公式大会を運営するときはゲーマーの誰かが言い出して人を集めるという手続きになります。手続き的には非公式大会もトップダウンな側面が有ります。ただ、手続きに思想が伴っていなければ、なにかのきっかけで暴走すると筆者は危惧しています。
例えばスポンサーを貰う時や賞金を出す時、その判断は大会の理念に合うでしょうか。他にも、参加者の意志と運営の手間が対立した際に、その解決策はどのような思想に基づいているでしょうか。大会から告知/アピールをするために何かを発信する時、どういったメッセージをどういった形で届けるべきでしょうか。

競技的な大会に有名人ゲストを呼ぶ際。大会を開催する際に「Esportsを盛り上げたい」というメッセージをウェブサイトの一番上に書く際。こういった一種のゲーム外要素で行動をおこす際は、大会を開きたいという先導する熱意に基づいているかに照合するべきというのが筆者の意見です。
筆者は筆者の意見なので従う必要はないのですが、行動はどういった思想に基づいて統一が取れているのかという命題は普遍的なものであると信じています。

(読まれた方はお気付きかもしれませんが、「大会」の定義って何でしょう?という部分が未解決です。これは検討中なのでまた後の機会に。)

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