恋心は超グリーディ

普段質問されることを文章起こした場所です。ライブ配信やゲームイベントにまつわるものです。もしくは、たまに筆者の趣味の文章が交じります。

Jul 29, 2020 - others

ガリレオは何故有名なのか

近世に天動説を否定し、地動説を唱えた代表的人物が3名居ました。その中でもガリレオさんが人気があるなあと思ったため探って見た結果、自分でも予想していなかった疑問が湧きました。

背景

ことの発端は「なんでガリレオってこんなに有名なんだろう?」という筆者の疑問からです。

中世ヨーロッパでは魔術的自然観があり、ルネサンス期で寧ろ魔術は興隆しました。1500年ごろのパラケルススさんは有名な錬金術師です。その直後、近世に入ってコペルニクスさんから始まった「近代科学革命」は、200年くらいの間に我々の高校で習う数学・物理学を一挙に開発します。ケプラーの惑星運動・ガリレオの落下法則・デカルトの慣性原理を経て、ニュートンがまとめたと言われています。筆者は科学に関して最も功績が大きいのはニュートンさんであり、次いでケプラーさんかと思っています。「それにしてはガリレオさんの知名度が高くはないか?」という違和感が以前よりありました。自分でも一度まとめたいと思っており、これについて調べたので申し上げます。

また、ガリレオさんは科学者の中でも “エピソード” が有名な人物です。エピソードで有名なものとはローマ教会に刃向かうものです。しかしこれは上に楯突く市民を描いており、儒学が色濃い日本で広まるにはかなり異様なエピソードであると考えています。

註:毎度申し上げますが筆者はこの辺(科学史)の専門ではありません。ご了承下さい。そのため学術的な慣習と離れますが、人物名は明確にするため「さん」付けにしています。また、「地動説」と述べますが、英語では Heliocentrism(太陽中心説)が一般的であり日本語でも表記にバラつきがありますが、今日は「地動説」で統一します。科学者(scientist)という単語も後世に出来たものですが、ここでは便宜上「科学者」と呼びます。

導入:今日の範囲

筆者が考え始めたきっかけは、天体に関しての提案をした3名:コペルニクスさん・ケプラーさん・ガリレオさんの比較からでした。そのためその3名を比べながら進めます。
コペルニクスさん・ケプラーさん・ガリレオさんは、いずれも当時のローマ教会が支持していたと言われる「天動説」とは異なる「地動説」を唱えた人物で、全員おおむね1500年代に活動していたほぼ同時代のメンバーです。日本の戦国時代の期間(1467 - 1615)に3名が大体収まります。最初に生まれたコペルニクスは残りの2名を知りませんが、ケプラーとガリレオは勿論他の2名を認知しています。

現代日本の方はガリレオさんに馴染みがあります。Canon 社はカメラに強い会社ということもあり、望遠鏡を活用した ガリレオについての記事 があります。 Wired さんの記事 でもガリレオについての内容があります。しかし、共にケプラーさんやコペルニクスさんについては単独記事はありません。

一方で、ガリレオさんの成績評価には個人的には疑問があります。 2017年末の朝日新聞デジタル にて、高校の歴史教科書から用語を削るニュースが掲載されていました。そこにはこのような記述があります:

「クレオパトラ」「ガリレオ・ガリレイ」「武田信玄」「上杉謙信」「吉田松陰」「坂本龍馬」などは「実際の歴史上の役割や意味が大きくない」などとして削った。

これらの人物は、筆者も歴史的な役割が他と比べて大きくないと感じていました。年々難易度が上がる入試に調整を入れる意味では有効だと思っています。この中にガリレオも居ます。寧ろコペルニクスさんの成績はより評価されて然るべきです。1700年代の哲学者:カントさんが自身の発想の逆転のことを「コペルニクス的転回」と名付けたように、「1700年代くらいではその道の者たちにとってはコペルニクスこそ有名人だったのでは?」という疑問が筆者にはありました。

では実際に誰がどのくらい有名なのか探ってみようと思いました。以下に進みます。

知名度調査

デカルトさんやニュートンさんといった科学の大家と比べても、ガリレオさんは已然知名度が高いと筆者は感じています。これは皆様の感覚とも合致すると思いますが、実際に比較してみましょう。上記地動説の風雲児たち3名を持ってきました。以下の図を御覧ください:

“代替メッセージ”
[Google Trends, 国内比較, 過去5年. 凡例がグラフに被る無礼をお許しください。]

上は Google Trends です。日本の方がどのくらい各科学者を検索しているのかを比較しています。ガリレオさんやニュートンさんに関しては、小説・ドラマ・雑誌・競走馬など様々なモノに転用して名付けられていますが、その影響もコミで知名度であると考えています。その結果、日本ではガリレオさんが人気であり、ニュートンさんがそれに互角ということが分かりました。地動説を唱えた3名の中では、ガリレオさんはとびっきり強いです。(この文章では、「人気」と「知名度が高い」を同じ意味で用いています。区別していません。)

それでは翻って、海外ではいかがでしょうか。同様に Google Trends で比較します。

“代替メッセージ”
[Google Trends, 世界, 過去5年. ニュートンが人気。]

予想外でしたが、ニュートン (Newton) が知名度にして群を抜いていることが浮かびました。(ちなみにコペルニクスは Kopernik でも Copernicus でも結果は余り変わりません。)
少し調べてみようと思い、Google にて “define: " 関数を使いました。これは言語の使用歴を見せてくれるものですが、define: 関数で確かに Newton は 1800 年代以降人類が記してきた形跡が出たのですが、他の科学者は浮上しませんでした。Google 検索をしても、グローバルで “Newton” からのヒット件数は 2.96 億件に対し、“Galileo” からのヒット件数は 0.73 億件でした。やはりグローバルで見るとガリレオさんよりはニュートンさんに軍配が上がるようです。

断りますがこれは「ガリレオさんが世界では知名度がない」ということを意味する訳ではありません。バンド Queen の有名曲 “Bohemian Rhapsody” の歌詞にも “Galileo” は登場します。ただ逆に、NASA が活用していた宇宙観測機に「ケプラー望遠鏡」という名前がついていたこともあります。彼らを超えてニュートンさんは強いということです。

気になったため、他の方とも比較します。世界最強の候補でアインシュタインさんを対抗馬に筆者が選びました。

日本ではいかがでしょう。日本で最強であったガリレオさんとアインシュタインさんを、そしてゲスト1名とを比較しましょう。

“代替メッセージ”
[Google Trends, 国内比較, 過去5年. 山中先生が強い。]

ノーベル賞受賞の山中先生が最強であるという結果となりました。また、アインシュタインさんとガリレオさんは五分となっています。(ちなみに山中先生の次にヒットする「山中」は『NARUTO』に登場する「山中いの」でしたので、山中による誤差は無いと考えています。)

それでは海外も比較します。海外でランキング1位であったニュートンさんを比較します↓

“代替メッセージ”
[Google Trends, 世界, 過去5年. ニュートンが若干上。]

このように、世界ではアインシュタインさんでさえニュートンさんには勝てないという結果でした。

まとめますと、本日想定している登場人物では、

  • 日本ではガリレオさんが一番人気
  • 海外ではニュートンさんが一番人気

という結果でした。ガリレオさん・ニュートンさんは400-500年前の人物にも拘らず、共に20世紀のアインシュタインさんに勝るとも劣らない知名度がありました。

“代替メッセージ”
[本日の登場人物、日本・海外の知名度をまとめました]

科学者の成果

科学者の知名度については上の通りです。しかしツッコミが入るかと思います:

  • 結局ガリレオさんが一番成果がある人なのではないか?
  • ガリレオさんが日本で知名度が高いのは、彼の成果が日本にとって大事だからではないか?
  • ガリレオさんは教会に楯突いたエピソードが人気の原因なのでは?

という点です。実際、筆者がこの話題のツイートをした際にも「教会に刃向かうガリレオのエピソードが人気なのでは?」という意見を2件ほど頂きました。しかしコペルニクスさんもケプラーさんも、しっかりした結果を出していますし教会にまつわるエピソードがあります。ここからは原点に帰り、地動説の3名を実績で比較して見て行きます。

厳密には、科学者の成果を現代の価値観で測定することは変なことです。しかしながら、筆者がなぜ疑問に思ったのか、その裏付けとして各人の成果を述べます。筆者としてはコペルニクスさんとケプラーさんを大きく評価していますので、今回の発端がここにあります。

■ コペルニクス

コペルニクスさんは司祭でした。教会聖職者の中でもゴリゴリのエリートです。
ある時「地動説」に気が付き、それを文字に起こして周りの教会の友達に見せました。口コミでこの話題は広まり、自身の本拠地ポーランドを越えて、当時のローマ教皇の耳にまで入っています。 村上陽一郎先生の『奇跡を考える 科学と宗教』 では、更にローマ教会は早急な出版を促したとあります。しかし已然コペルニクスさん本人はこの本を出版に後ろ向きでした。プロテスタント側のボスであるルターさんがエアリプでコペルニクスさんを罵倒していた事実が理由の一つに考えられます。邪推しますと、教会の司祭であったコペルニクスさんにとっては、対立するプロテスタント達も敵ではなく同じ仲間だったのでしょう。
本人はその後、周りの勧めがあったり、プロテスタント側の人が応援してくれたりとあって、漸く出版を決意しますが、その過程で急逝し、完成を見ることなく亡くなります。(こちらを読まれている多くの人にとって、地動説をローマ教会が支持しておりプロテスタントが反発していたイメージは逆かもしれません。)

この遺作『天体の回転について』は、ちょうど生まれた活版印刷術を用いて出版されます。世に広く行き渡り、天動説が定まってから地動説を唱えた最初の人物となりました。が、世間的にはこの説はスキャンダルをもたらしませんでした。それはそのはずで、コペルニクスさんの書はガリレオさんの時代になってはじめて禁書となっているからです( 学習研究社 )。それまでは出版されていましたが、格別批判されたわけでもなく、勝手に話語におこすならば「ふ〜んそういうのあるんだ」という温度感であったと想定されます。
また、コペルニクスさんの説明には文章や図による解説はありますが、数式のモデルはありませんでした。数式のない科学は今でこそ小学生の感想文のようですが、当時はまだ数式の発想がありませんでした。

そのためコペルニクスは、近世以降に地動説の “発想” を提起した人物として位置づけられます。

■ ケプラー

地動説の提示について、筆者が最も成果があると考えている人物です。
コペルニクスさんの後に、ドイツ地方に生まれました。ケプラーさんは小さい頃に母に連れて行かれて彗星を見て天体に興味を持ったと言われています。彼は成人すると運命に導かれ、貴族:ティコ・ブラーエさんが持っていた膨大な天体観測データを引き継ぎます。それを基に、「天体の観測結果に厳密には合わない」という理由から天動説を否定し、逆に厳密に合致するモデルとして地動説に至ります。コペルニクスさんの説を完全に支持したのは、ケプラーさんが初めてでした。(『コペルニクス 地球を動かし天空の美しい秩序へ』大月書店)

しかし晩年、ケプラーさんの母が魔女裁判にかけられます。これは地動説と関係があるという説明は見つけることが出来ません。ケプラー一家はプロテスタントであり、当時揺れていた神聖ローマ帝国領に住んでいたため、その関係でローマ教会側(カトリック)の魔女裁判に呼ばれたと考えられます。ケプラーは裁判で多忙になりますが、その合間に、神聖ローマ皇帝の勅命で地動説の証明を仕上げて発表します。そして裁判後数年の間に母子ともに亡くなります。ケプラーの母は教育について孟母的であり、裁判に際して王陵の母のような姿勢があり、日本でもウケそうなエピソードを持っています。

ケプラーさんの成果は:

  • 科学の説明をするにあたり、数学的な式で表した最初の人物である
  • 観測データを基に数学的モデルに起こす

という点にあります。そのためケプラーさんの提示した地動説の説明が画期的だったのみならず、この「自然現象を説明するのに数学を使う」という発想自体が重要です。この姿勢はその後ニュートンさんに引き継がれて、現代で習う科学に至ります。

■ ガリレオ

今日のターゲットです。ガリレオさんはイタリアに生まれ、ケプラーさんとは国は違えども同時代を生きました。ケプラーさんの地動説に「賛同する」という手紙を送っています。
ガリレオさんは寧ろ「物体の落下」について成果があります。皆さんもピサの斜塔から物体を落としたという逸話をご存知でしょう。これは弟子の創作であったとされています。

ただ地動説についてはそこまででもないと筆者は考えています。筆者の主観で成果を挙げますと:

  • 論理を用いて「質量を問わず落下速度はみな同じ」を説明した
  • 望遠鏡を使って天体を観察した
  • 実験結果を公表した
  • 説明を口語で記した(当時は専門言語のラテン語で記すのが一般的)

という点があります。地動説については、天体の運動について数式モデルを初めて出したケプラーさんと比較すると見劣りします。ローマ教会の異端審問が地動説に関するものであったためガリレオさんは地動説のイメージがありますが、これはどのように形成された概念でしょうか。

ガリレオさんは現役時代から人気であり影響力がありました。むしろ橋本毅彦先生が指摘しているように(『<科学の発想>をたずねて』)、口語でみんなに読めるように説明し、それが文学的にも優れていたという点が成果として大きいです。人気や影響力があったがゆえに、『世界の名著26 ガリレオ』(中央公論社)では、ガリレオさんは教会よりもキリスト教の本質を理解しており、ぐうの音も出ない説明をしたため、キレられて異端審問にかけられた主旨が記されています。2013年にはガリレオ異端審問に関する新しい資料が現代のローマ教会より公開されましたので、日本語でも多くの記述を見つけることが出来ます。新旧情報を併せて、当時は異端審問に積極的な自警団が登場したり, 一度はフィレンツェで告訴されたのに棄却に終わったり, ガリレオさんが弁が立ちすぎたり…と内容的よりは感情的なことが原因で異端審問が進んでいた様子がうかがえます。こうしてガリレオさんは一度は放免になるのですが、懲りずに『天文対話』を出版したので二度目の異端審問に突入します。
これは現代知っているガリレオさん像とは、異なるイメージかと思います。

そのためガリレオさんは、成果はケプラーさんに及ばないもののエピソードが有名な人物と筆者は考えています。また、エピソードについても、実際の内容は知っている像とは異なるものです。

“代替メッセージ”
[参考『ヴァティカンの宗教裁判に引き出されたガリレオ』, ただしガリレオさんの死後300年での絵画です Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Hervé Lewandowski /distributed by AMF-DNPartcom]

…以上、本日比較したかった地動説の3名を比較しました。Google Trends で比較したニュートンさん・デカルトさんは同じテーマで論じた方ではないのでここでは挙げません。こうして見ますと、ガリレオさんの成果は小さくは無いながら、ガリレオさんがコペルニクス先輩・ケプラーさんを差し置いて3名の中では飛び抜けて知名度があることは不思議に感じます。物体の落下についての成果を見た場合も、海外と同様に、「物体の落下」理論をまとめたニュートンさんに日本でもより知名度が集中してもおかしくないと感じます。

改めて、なぜ教会という権威に楯突く人物が日本で広まったのでしょうか。ひねった考え方をしますと、「一番手はコペルニクスで、数式ではケプラーだけど、頑張った姿勢を見せたのはガリレオくんだから」という、「姿勢評価」の側面を感じ取れます。日本の教育現場では結果よりも努める姿勢が大事という点はいつも指摘されていますので。それを示すにしても、大の大人がローマ教会に反発して意見を曲げない姿勢はどこか子供っぽいです。日本の科学者の間でならともかく、日本全員に受け入れられるものでしょうか。

ここまで、近世に地動説を唱えた3名の間で比較すると、なぜ日本でガリレオさんが知名度が高いか分からないことについて述べました。また、海外ではニュートンさんの知名度が高いことも見えました。実績だけから見ると限界があったため、ここで視点を変えて今回の提案に移ります。

提案1.(ボツ案)

実績的にではなく、なにか文化的にガリレオが推されている部分が有るのではないかと疑いました。改めて注目したいのは、科学者の知名度と国との対応です。Google Trends にて、各国で上の科学者のうち、どの者が最も検索されているかを表示しました。

“代替メッセージ”
[Google Trends, 世界, 過去5年. 多数派の緑色はニュートン]

多くの国ではニュートンの知名度が No.1 です。しかし、例外が幾つかあります。まずはコペルニクスの祖国ポーランドでは、コペルニクスが1位です。同様に、デカルトの祖国フランスではデカルトが1位でした。そして、ドイツとイタリアでは日本と同様にガリレオが1位という結果でした。イタリアはガリレオの祖国ですから納得できますが、ドイツと日本は異様です。

そこで「もしかして、第二次世界大戦中に紹介されていたのではないか?」と筆者は思い立ちました。

そもそも「科学」が登場したのは1800年代であり、世界でも科学(理科)教育が登場したのは1800年代の末となっています。イギリスで1870年ごろ・アメリカで1890年ごろです( Wikipedia )。推測ですが、この科学教育の形成期に第二次世界大戦に突入したため、各国で一度理科に関する教育的逸話の整理が行われ、

  • 枢軸国側ではニュートンが排除され
  • 連合国側ではガリレオが排除された

のではないでしょうか?更に言えば、日本では特に敵対国家の宗教としてキリスト教を否定するため、この「真理のガリレオと押し付けがましい教会」という見せ方をした可能性があります。

しかしこの説は容易にツッコミが可能です。連合国側の主力アメリカ・イギリスはプロテスタントで、教会の本丸は寧ろ日本の仲間のドイツ(神聖ローマ)とイタリアだったからです。また、同じく枢軸国であったルーマニア・ハンガリー・フィンランドではこの傾向(ガリレオ > ニュートン)は見られませんでした。ただ、第二次世界大戦を軸に探していたら別の可能性に行き着きました。次に移ります。

提案2.

戯曲『ガリレイの生涯』というものがございます。申し訳ないのですが、寡聞にして存じ上げませんでした。これは第二次世界大戦中の1943年にスイスで初演となったドイツ語の戯曲です。もう少し年代が上の方はご存知なのでしょうか。日本語では動画が一本も登場せず、ドイツ語でしか見つかりませんでした。アメリカで上演した際に余りヒットしなかったそうです。Google Trends では調べた結果、現代ではアメリカ・イギリスよりもインド・パキスタン・オーストラリアの方が『ガリレイの生涯』についての検索件数が多いということでした。
例えば この戯曲『ガリレイの生涯』についての考察 (HONZ)がこちらにございます。

この戯曲は、第二次世界大戦を受けて「科学を知る者が権力に屈することは正当化できない」というテーマを扱いました。大戦後も核と冷戦の時代に入り、このテーマは重く受け止められたとのことです。背景として原爆は大戦中にアメリカのグループが初めて実現するのですが、当の科学者たち(アインシュタインさん等)は使用に反対でした。しかしアメリカ政府の意向で使用してしまいました。戯曲『ガリレイの生涯』は、科学と権力の対立を描いたという点で原爆を匂わせる側面があります。実際に作者のブレヒトさんは、原爆が日本で使用されてのちに脚本に手を加えており、強い関連性を念頭にこれを観劇することが王道のようです。

このテーマを描くために、ガリレオさんの史実との整合性については英語の Wikipedia にて:

takes significant liberties with his personal life (訳:めっちゃいじってる)

とあります。筆者は上で現代で知っているガリレオさんの像と実際の裁判が食い違う点を指摘しました。しかしこの戯曲ならば現代のイメージにストーリーが合致します。つまり、ガリレオさんは核戦争の時代を比喩するために史実を少し曲げられて20世紀の戯曲になったということです。この戯曲が日本・ドイツで一度広まり、後に教材としても定着したことが今回の原因であると今回ご提案します。(日本では初演1958年でした。)

上では日本でなぜ権力に楯突く人物が教育的逸話として広まったのか疑問でしたが、確かに核兵器についての議論ならば日本で受容された可能性はあります。これは同じ枢軸国であったドイツでも同様ですし、戯曲が検索されているインド・パキスタンについても現代の核兵器での文脈が当てはまります。
今となってはある程度の年月が経ったため、日本では第二次世界大戦やその後の核/冷戦の文脈が抜け落ちてガリレオさんの逸話の部分だけが残っていると推測出来ます。例えば戯曲でのガリレオさんは、科学を続けたいがために権力に屈する自分を卑下する姿が描かれていましたが、現代では寧ろ権力に立ち向かうイメージが持たれていると思います。こうした時間経過によるメッセージの変化はありますが、概ね現代像と戯曲とでストーリーは合致してるため、きっかけはこの作品で間違いないと推測しています。
いまガリレオさんの逸話をマンガや教材にしている方が何から影響を受けて、どこから情報を集めたのかをトラッキング出来なければ証明は出来ないのですが、この戯曲が今日の主張です。地動説の3名という由来ではなく、第二次世界大戦にまつわる戯曲が知名度に影響を与えたというものです。雑に言えば、核兵器を親身に感じる国ではガリレオさんの知名度が高いということになります。

結果的にはガリレオさんが日本で知名度が高い理由は「エピソードが有名だから」ということなのですが、今日はまずはガリレオさんが日本で殊更有名であることを確認し、その背景には第二次世界大戦と戯曲の関連が可能性があることを推測しました。

これを証明する方法が筆者にはありませんが、もしご存知の方がいらしたらどうか @ayuha167 へお教え頂けますと幸いです。

以上

今日のメインはここまでです。おそらく「科学的成果の割にはガリレオの知名度が日本では高くない?」という道筋から疑問を発した人が余りいなさそうだったので、筆者のアプローチでは疑問を解決出来ませんでした。そこで、第二次世界大戦をヒントに戯曲『ガリレイの生涯』に行き着きました。

上でも述べましたが、歴史的な意義で言えばガリレオさんは世界史の教科書からアプデで削除される境界線上の人物であったと感じます。しかしながら、現代のフィクションでメッセージを伝えたイメージから、今後も語られて行く存在であると予感しています。

以下に、筆者の趣味で細かい説明を追加します。

おまけ:天動説と異端審問

ここからは完全に蛇足です。今回は近代の科学革命を行った人たちを見ましたが、彼らには天動説・教会・異端審問といったものが密接に関わっていました。すると、耳聡い方であれば:

「旧約聖書には地球は平らって書いてなかった?」

と思い出されるはずです。 現代でも地球は平らであると信じる人 が居ると言われていますが、天動説・地動説以前に、平面の話はどうなったのでしょうか。また、異端審問ははじめからあった訳ではありません。キリスト教も最初の使徒ペテロさんが街を歩いて「はいお前異端」と摘発していたはずがありません。どこかで一定の時点を以て、異端審問の風習が始まっています。
それではいつローマ教会の教義に天動説が組み込まれ、いつから異端審問をやっていたのかについて説明します。

天動説

確かにヘブライ語圏で書かれた旧約聖書には地球が平面であることを暗示する記述が幾つかあります( こちら )。
これはさておき、古代ギリシアでは既に「たぶん地球は丸い」と思っていました。更に古代ギリシアで有名なピタゴラスさんは「たぶん地動説」と唱えていました。しかしその後、大人気になったアリストテレスさんが「天動説」と言い出しました。この頃はまだ理論的には曖昧だったのですが、アリストテレスさんの死後600年くらい(紀元200年ごろ)に居たプトレマイオスさんが理論を綺麗に整えます。

そこから時は過ぎます。1200年代、ローマ教会にトマス・アクィナスさんが登場します。この頃はヨーロッパ世界にはローマ教会の影響は行き渡っています。トマス・アクィナスさんは神学の基礎を作った人でした。迷信とか慣習ではなく、論理で考えるべきという発想を作り出した人です。(これはスコラ哲学として大きな派閥を作ります。)
トマス・アクィナスさんは、それまで知識層で連綿と受け継がれてきた古代ギリシアの思想家たちの思考アプローチを特に参考にし、キリスト教の教義を論理的に整理しました。というわけでアリストテレスさんを参考に「地球は丸い」および「天動説」を支持しました。ここで平面説は教義としては姿を消し、そして天動説の説明にはプトレマイオスさんのものを活用しました。

このため、ガリレオの時代の1500年代になっても、已然アリストテレスさんの天動説は支持されていました。ただ、そこまで必死で天動説を堅守していたわけでもない、というのが振り返っての見解です。この辺りはこちらでも概要説明があります: 地動説 - 世界史の窓

惑星

古代ギリシアの人たちは地球が丸いことに気付いていたように、人類の測量技術は意外と高いです。すると、天動説なんて教義で採用していてもすぐ間違いって分かるんじゃないの?と一見感じます。何故ありとあらゆる星を観測し、1年が365日であることが分かっていながら、万有引力や慣性の法則の時代まで天動説はまかり通っていたのでしょうか。トマス・アクィナスさんが採用したアリストテレスさんの理論がよっぽど合理的でない限り誤魔化しきれないと思うはずです。

そもそも惑星とは、逆行運動をする例外的な天体であるため、英語の planet とは「さまよう者」という意味のギリシア語で名付けられました。逆行運動をご存じない方は、動きが必要なのでこちらの Wikipedia の gif を御覧ください。逆行運動や惑星の存在については、紀元前2000年くらいには既にメソポタミア文明で発見されていたと考えられています。

この逆行運動を説明するために、プトレマイオスさんは天動説を活用しました。こちらのモデルも動きが必要ですので、以下の動画から該当パートを御覧ください。

{%oembed https://www.youtube.com/watch?v=erqsxNFOw4I %}

{%oembed https://www.youtube.com/watch?v=wGjlT3XHb9A %}

また、こちらの 東工大のスライド にて画像での説明もございます。

これらを総合しますと、逆行運動を説明するのには寧ろ天動説の方が好都合で、そこまで誤差を発見することが出来ませんでした。上で述べたケプラーさんの頃になってようやく、大量のデータを基に検証した結果「なんか違う」と分かった程度です。こういった背景から、余り疑問無く天動説は活用されて来ました。

異端審問

少し別の話題となりますが、異端審問についてです。

ローマ教会が出来、次第にキリスト教の考え方が整理されて教義というものが出来てのち、徐々に「異端」という考え方が登場します。実際には1000年代ごろに摘発がなされはじめ、1200年ごろ(かのイノケンティス3世, トマス・アクィナスさんの時代)に異端の摘発が義務化され、事態はエスカレートします。

また、ローマ教会の歴史と並行して修道院運動がありました。大まかに説明すると「ローマ教会が堕落している時には自分たちが頑張ろう」という志有る者たちの集まりが本来の修道院運動です。トマス・アクィナスさんの時代の1200年ごろは特に盛んになりました。中には過激になりすぎたところもございます。修道院派閥によっては当時自発的に「異端」の人を見つけてはガンガン摘発していました。(現代でも social media で問題を見つけては騒ぎ立てる問題提起人のような方がいますが、当時のそういった感じかと推定しています。)この文化はガリレオさんの時代にも残っており、ガリレオさんを初期に敵視したコロンべさんも一つの修道院に所属する人物でした。(分かりづらいですが、コペルニクスさんを批判したのは当時新興のプロテスタントの方であり、ガリレオさんを摘発したのは修道院というカトリックの方です。)

『世界史の窓』の 異端異端審問 の項目にざっとした流れがあります。

現代ではガリレオさんの審問結果は撤回されていますが、史実を振り返るならば、戯曲の内容に囚われず中立でありたいです。ローマ教会や修道院の方々が頭ごなしに科学を否定した訳ではありません。コペルニクスさん・ケプラーさんと比較しますと、ガリレオさんは寧ろコミュニケーションの問題であったことが推測できます。お互い感情的にならずに議論することを覚えておきたいです。

『NARUTO』ストーリー考察 ゲーム:公式大会と非公式大会

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