「Esports はスポーツなのか」…そう語ろうとした方は古今東西多数いらっしゃいます。ただ、「スポーツとは何か」をしっかり定義していなければ、バラバラの内容になっています。本文は過去に「esports はスポーツか」と議論した専門家たちの議論を追います。
本文の内容は、一個前の投稿 『スポーツ哲学まとめ』 をご覧になっていることを前提に話します。
導入
「Esports はスポーツなのか?」と論じる際、様々な視点があります:
- 競技人口・賞金といった数値的要素
- 興行の仕組み
- リトルリーグや学生部活リーグの存在
- etc
これらについて、ゲームの競技シーン(= esports) と・世間一般のイメージするスポーツとで共通要素を探す手法が一般的でした。この論調については日本でも英語圏でも、筆者の拝見する限り、大体同じです。
では、現代そうであるように、esports が部活動として普及するようになったら、esports はスポーツになるのでしょうか?果たしてどこまで満たしていたら esports はスポーツと言えるのでしょう?もしくは、任意のXをスポーツと呼びたい場合に、何を基準にすればよいのでしょう?
どこまで比較すれば充分でしょうか?そこで先人の知恵を借りようと思い立ちました。
一つ前の筆者ブログ投稿 では、既存の「スポーツとは何か」という定義を考えた人たちの視点をまとめました。これが「スポーツ哲学」です。スポーツ哲学の専門家には既に「esports はスポーツか」と論じた方々も居ます。こうした議論を実際に紹介し、それに付け足す形でゲーマー側の視点である筆者の意見を述べられればと思った次第です。
ちなみに “esports” の定義については、今回の議論展開としてそこまで大事になりません。今回しっかり扱わないのですが、参考までに筆者は過去に以下のような esports 観を持っていることを申し上げました:
スポーツ哲学項目
『スポーツ哲学まとめ』 では、Stanford 大学からの 原論文 があり、それに基づいて章立てをしました:
- 1章:スポーツ哲学史
- 2章:スポーツとは何か
- 3章:スポーツ哲学の議題
こちらを基に、今回の議論を進めます。
1章はスポーツ哲学という学問の成り立ちについてですので、他ジャンルとの比較にはほぼ不要です。今回は用いません。残る部分から論点を絞ります。
リトルリーグは議論に必要か
早速ですが、原論文3章に関するものも「esports はスポーツか」に関する決定的な事項たりえません。なぜなら3章の内容は「スポーツの中の議論対象」に過ぎないからです。3章とはつまり:
- スポーツマンシップ
- ファン
- スポーツ美学
- etc
といった個々のテーマです。3章の内容はスポーツの「要素」であり、その要素を一つ選び取って esports と比較して否定しても、それは esports とスポーツ全体像の比較にはなりません。
例えばドーピングや性別に関しては3章に入っていました。ということは「esports は男女が平等な舞台で対戦できる、よってスポーツではない」といった結論は導けません。逆に「esports にもドーピング問題があるからスポーツだ」とも言えません。
たまに見かけますが「スポーツにはもっとエンジョイ勢のファンボがいるけど、esports には余り居ない、よって esports はスポーツではない」論があります。これは3章の内容ですので、判断基準にはなりません。例えば筆者がやっていたボートという競技は、Partisan(エンジョイ勢のファンボ)よりも Purist(ガチ勢)的ファンが多いのではないでしょうか。
実際に Llorens 氏の論文では:
Esports にはリトルリーグがないからスポーツじゃない
といった主張がありますが(註1)、全体を決定づけるほどの論理性はないと考えます。同じように、ボートは小中学生の試合がありませんから、こちらもリトルリーグがありません。だからといって「ボートはスポーツではない」と言い切ることは出来ません。
こうした理由から、上でも紹介した:
- 競技人口・賞金といった数値的要素
- 興行の仕組み
- リトルリーグや学生リーグの存在
これらの要素は「esports = スポーツ」を論じるに不充分な要素です。これらを証明したからといって、=や≠を結論づけることは出来ません。
「Esports はスポーツか」を論じるには、2章で扱った内容で決着をつけることになります。
スポーツとは何か
第2章は「スポーツとは何か」を述べたパートです。スポーツ全体を統括して、その定義を求めた概念論になります。Esports がこの第2章で述べた内容に適するかどうかが、スポーツ全体と合致するかどうかを握っています。
2章の中身を再確認しましょう。スポーツとは何かを描く際に、その立場は以下のように分類されました:
- Descriptive(である派)
- Normative(べき派)
- Externalist(外在主義)
- Internalist(内在主義)
筆者の提案ですが、Normative 派に関する内容(= スポーツはこうあるべきという理想論)は、全て esports に当てはまります。Normative 派は元々は「ゲーム(= 競技)」に関する「べき論」です。実際の esports 競技シーンを見渡しても、直観的に合致します。
例を挙げましょう。Externalist を esports に当てはめると「対戦ゲームのうち社会的意義があるものがesportsだ」という主張になります。これは是非はさておき、実際に似た主張を見つけることが出来ます。例えば esports の重要性として観客や賞金がメディア(例:Newzoo, The Esports Observer)でよく挙げられますが、これらは明確な「ゲーム外の社会的意義」です。
Internalist はどうでしょう。Internalist は中が細分化されていましたが、esports にも競技のための「ルール」はありますし、メタゲームのような「慣習」もあり、選手の公正・腕前の向上といった「原理」もあります。全く以て Internalist の主張は esports にも当てはまるのです。
ならば「esports はスポーツだ!」と飛びつけるでしょうか?いえ、たった一箇所、Descriptive 派の見解を議論しきっていません。いやむしろ、古今東西の「esports はスポーツなのか」の議論は全て Descriptive な範囲に集約されているのです。
スポーツではない論
今回の標的を Descriptive 派に絞ったところで、実際に「esports はスポーツではない」と述べた論文をご紹介します。これらが Descriptive 派(= スポーツや esports とはこうであると現状分析したもの)であることを念頭に置いて下さい。
「デジタルゲームはスポーツたりうるか?」という議論自体は1999年に遡ります(註2)。ただ、今回は学術論文からの内容を追いかけます。
例えば J. Parry 氏はスポーツに軸足を置く論客であり、この方の論文ではとても強く「esports はスポーツではない」と主張しています。同氏は “スポーツに共通する要素” を並べて、それらと esports が合致しないからという理由で否定しようとしました(註3)。彼はスポーツを以下の6要素にまとめています。参考に見てみましょう。:
必要事項 | 補足 |
---|---|
人間 | (= 動物はダメ) |
身体的 | (= チェスはダメ) |
スキルを伴う | (= 運ゲーではない) |
競技を伴う | (= 登山はダメ) |
ルールが有る | (= 登山はダメ) |
Institution がある | (= フラフープなどを含めない) |
(表.2)
この現状分析から要素を並べるという行為が Descriptive 派的です。
一個前のブログ投稿でも似たような 表.1 を掲載しました。表.1 は Guttman 氏, Suits 氏の定義を元にまとめたものです(註4)。表. 1, 2 はお互いに似ているため、概ねスポーツ哲学では共通要素に同意が取れていると考えられます。
Parry 氏は「人間」「身体的」「Institution がある」を伴わないため、esports はスポーツではないとしています。
他に Jenny 氏も esports は「身体」「institution」を欠いていると述べています(註5)。Jenny 氏はやはりスポーツ寄りの専門の方ですが、ゲームとスポーツを扱った論文の中では筆者が見た限り最もゲームに理解があると感じました。是非御覧ください。
逆に Llorens 氏, Hemphill 氏は esports = sports 論に肯定的な主張を出しています(註6)。この2氏は「esports に physical 要素はある」と言っています(Suits 氏の定義にも当てはまる、とまで言及)。つまり、上で述べたような Parry氏, Jenny氏のような内容を知った上で、それでも esports はスポーツの条件を満たすと言っています。
スポーツ哲学の専門家の間でも、ここは決着できている訳ではありません。ただ先程申したように、今回の筆者の流れとしては 表.2 がどう転ぶかは重要ではありません。どちらでも良いのです。
Esports がこの表.2(および表.1)にどう合致し・どう合致しないかの詳細は其々元の論文をご覧ください。今回はそこは重要では無いのです。
補足集
※ 上で述べた「リトルリーグ」と 表.2 は決定的に違うことに注意。専門家が探した “全スポーツに共通する要素” である 表.2 と、「野球にはあるけれどボートにはない」という “具体的要素” であるリトルリーグは異なるカテゴリです。
※ ここで筆者の意見ですが、「身体的」の部分は英語では physical でした。英語という言語では physical が「物理的」と「身体的」が同じ単語で表されており、そのせいで解釈に語弊があると感じました。つまり、ある時は physical を「人間の体」という意味で用いていたのに、別の場所では「実世界」という意味で使っており、日本語を母語とする筆者からすると違和感がありました。
※ Jenny 氏, Parry 氏は esports に Institution の要素が欠けていると述べましたが、筆者は esports には「ゲーム会社」という絶対的な institution があると自明に感じています。『 主観 Esports の歴史 』では、2011年以降第三者大会(= institution)よりもゲーム会社が強くなったという自説を述べていますので、institution を超越したものが esports には有ると思います。Esports の institution が不充分だと言うのなら、スポーツでも IOC と FIFA が別組織として存在しているのだから、スポーツにも institution はなく、スポーツはスポーツではなくなってしまうのです。
※ Parry 氏はオリンピックを基準に見た結果 esports はスポーツでないとしていますが、IOC 自体が「トランプ種目をスポーツにしても良い」と理解を示しており、矛盾しています(註7)。
※ 一つ筆者の目に留まった狂気の論文があります。Holt 氏の論文は「esports もスポーツも変わらない」という結論でしたが、その理由が他と大きく異なります。「現実もバーチャルな世界だから、ゲームの中がバーチャルだろうと現実と変わらない」というものでした。(註8)
消極的な結論
スポーツ哲学を用いた本文の議論にて、最後の関門となったのはこの Descriptive 派の行方でした。「現状のスポーツに共通する要素」を並べると、esports はスポーツと言えるところもあるし、否定される意見もあります。
しかし、Parry 氏のような「esports ≠ スポーツ」派が作る 表.2 のような図解は、根本的に今回の議論を決着させられないと筆者は思っています。これが今回メインのご提案です。
表.2 は「過去のスポーツがこうである」と言っているに過ぎません。「スポーツはこうあるべき」「これならばスポーツだ」という価値判断を証明出来ないと考えています。
これは「ヒュームの法則」と呼ばれるもので、一般的に「今 A=B だからといって、A=B であるべきとは言えない」というものです。
例を出しましょう:例えば今戦争状態にある地域Xがあったとします。ならば「地域Xは戦争地帯であるべき」でしょうか?そんなはずがありません。他にも、今は就活でコンサル会社が大人気です。ならば「コンサルが人気なのは倫理的に・経済的にふさわしい」と言えるでしょうか?そんなことはありません。どんな職業や会社も人気たりうる充分な理由があるでしょう。これがヒュームの法則と呼ばれるものです。
今回論点に挙げた Descriptive 派の主張は、ヒュームの法則で考えると、esports はスポーツと言えるかどうかを決定付けられません。現在のスポーツに確かに physical 要素はありますが、これらが本当にスポーツの条件であるべきかどうかは証明できないのです。
すると、筆者の結論としては「esports ≠ スポーツ」は証明できない、というものになります。
同じように「esports = スポーツ」を証明しきることも難しいです。例えば esports をスポーツとして認定している国は60箇所ありますが(註9)、同様にヒュームの法則から、これから「esports はスポーツであるべき」といった価値判断は下せません。
消極的な結論ですが、このような次第です。スポーツ哲学を用いての筆者の旅路は、一旦ここで完結します。
最後の展望
筆者も・スポーツ哲学も・おそらくインターネットにあるあらゆる理論もそうなのですが、「スポーツと esports の共通点を探して、イエスかノーか判断する」という内容となっています。それが原論文で言う第3章の内容であっても、Descriptive 派の内容であっても。
今回はスポーツ哲学の内容を巡りましたが、言えるのはここまででしょう。この手法では、筆者は限界を感じています。
最後に、筆者からぜんぜん違う突飛な視点を指摘だけしておきます。「Esports はスポーツか」という問いは「ウイルスは生物か」「冥王星は惑星か」という議論に近いと感じています。
生物という概念は太古より知られていました。おそらく人間が言語を使い始める前から生物と無生物の区別はついていたでしょう。そんなある日、西暦1900年くらいになってから突然「ウイルス」という存在が解明されました。ウイルスはすごく生物っぽい動きをするのですが、代謝系を持ちません。そこで科学者たちは「ウイルスは生物なのか?」と問いはじめました。代謝系が無いので学術的な定義では「生物ではない」という意見が多数派です。それでも「ウイルスは生物だ」と言う科学者もいますし、我々一般人にとっては「え!ウイルスって生物じゃなかったん?!」という温度感でしょう。
ずっと知られていた概念に、ある日突然新入りが名乗り出るとこのように意見対立が発生します。冥王星についても同様です。惑星は紀元前から肉眼で確認され、1800年代に天王星・海王星は観測技術の発展に伴い順調に発見されましたが、冥王星だけは長い探求の末に1930年に突如観測されました。その結果、長きにわたる議論が続きました。
これと似た議論が、スポーツと esports にも言えます。満を持して、原論文の第一章「スポーツの歴史」に帰りましょう。
太古の昔から、スポーツは人間教育のために推進されて来ました。それは原論文の第一章で扱いました。寧ろ紀元前に軍人教練や人間教育としてスポーツは生まれ(当時はスポーツとは呼ばれていなかったにしろ)、その社会的意義の部分に着目されて長らく議論され、今ではようやく「スポーツ自体に意味がある」と言われるようになったものがスポーツです。
一方で esports は「21世紀になってポッと突然現れたスポーツの条件を満たす謎の存在」です。おそらく我々が抱く「esports はスポーツか」という違和感は、この「ウイルスは生物か」議論が最も近いのではないかと思います。急に新しく現れた似ているモノは、一般的に古株に拒絶されます。
そのため今後の議論も、従来のようなスポーツと esports の比較よりも、「ウイルスは生物か」といった「古株が新参を受け入れられるかの一般論」に繋げられると決着が出来るかなあと筆者は感じました。
以上
本文では「esports はスポーツか」についてスポーツ哲学を用いた議論をご紹介し、その限界を述べました。これで決着、とはなりませんが、本文をご覧になって過去に専門家がこうした議論をしていたことを知って頂ければ幸いです。
特に、スポーツに共通する要素を 表.2 のように完全にまとめ終えたとしても、依然「esports ≠ スポーツ」は証明出来るわけではありません。よく用いられるこの手法にはヒュームの法則という壁があることを認識頂ければ、筆者がスポーツ哲学をご紹介したことに意味があったかなあと思います。
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Llorens, M. R., 2017, “eSport Gaming: The Rise of a New Sports Practice” Sport Ethics and Philosophy ↩︎
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Parry, J., 2018, “E-sports are Not Sports” Sport Ethics and Philosophy ↩︎
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Guttmann, A., 1978, “From Ritual to Record: The Nature of Modern Sports”;
および Suits, B., 2007, “The elements of sport,” Ethics in sport p.9-19. ↩︎ -
Jenny, S.E., Manning, D., Kelper, M. C., & Olrich, T., 2016, “Virtual(ly) Athletes: Where eSports Fit Within the Definition of Sports” Quest -Illinois- National Association for Physical Education in Higher Education ↩︎
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Hemphill, D., 2005, “Cybersport,” Journal of the Philosophy of Sport;
および M.R. Llorens, 2017, “eSport Gaming: The Rise of a New Sports Practice,” Sport, Ethics and Philosophy; ↩︎ -
Vinall, M., 2015 “Is Bridge a sport?” ↩︎
-
Holt, J., 2016, “Virtual domains for sports and games,” Journal of the Philosophy of Sport ↩︎
-
Witkowski, E., 2009, “Probing the Sportiness of eSports,” J. Christophers & T. M. Scholz (Eds.), eSports Yearbook 2009 (pp. 53-56) ↩︎