「コア層が全体をダメにする」とは、日本語でよく言われる説です。しかしこの表現はバラバラな場面で画一的に使われており、時には当てはまらないケースがあります。本文ではそれを分類し、その視点を提案します。
背景
ある日、私は自分の淹れたコーヒーを左手で飲みながら右手で Macbook を操作してインターネットを見ていました。すると、こんなニュースが舞い込んで来ました。
Overwatch League がヤバいらしい
あれほど権勢を極め、巨大な規模で運営されていた esports リーグ(= The Overwatch League, 以下 OWL)が、新作の発売直後にネガティブな噂が出ることがあるんだなあと驚いたものです。まだリーグが閉幕するとは決まったわけではありませんし、来年新しい形態でプロシーンを続けるそうです。Overwatch 自体がなくなるわけではありません。
[現状の詳細は こちらの動画↑から ]
後日。立食パーティーで一つのテーブルにふらっと集まった面々で喋っていました。私と相手はある程度 esports を追いかけている者。OWL の話はある程度通じます。ちょうど時事ニュースでしたので、OWL がどうなるのか今後を想像して喋っていました。
すると、それを横で聴いていた第三者のビジネススーツマンがこう言いました:
まあ、やっぱりコア層は全体をダメにするって言うからね
この一言に、私は大きな違和感を抱きました。確かに OWL というのは Overwatch というゲームの競技シーンであり、所謂〈コア層〉です。しかし、OWL が存在して OWL が閉幕するかもしれないというのは〈コア層〉と〈全体〉とに全然関係がないはずです。
この世にはそこそこ定着した定型文が幾つもあり、それらを何も考えずに押し売りする人がいっぱいいます。Esports 業界やゲーミング業界という異質な世界で生きていると、こうした旧来的な価値観を無理に当てはめようとする外部からのビジネスアドバイスに多く立ち会うことでしょう。
そこで本文では、「コア層が全体をダメにする」という定型文について、
- どういったパターンがあるのか
- どういったケースでは実用性が証明されているのか
- 中には真偽不明と言える場合がある
について分類したいと思います。
本文で全てを解決できるとは限らないのですが、おそらくこの言葉に苦しんだことがある同志がどこかに居ると思いました。Esportsやゲーマーに関する産業, 趣味をやっている方ですと何かしら似た場面に遭遇したことがあるでしょう。そういった方々になにか助けを提供できれば、というくらいの気持ちで用意しました。
※ また次の章では1から議論するため、上の OWL の例は一旦忘れて下さい。OWL の話は最後にまとめて話します。
コア層は全体をダメにするのか
まず前提として申し上げたいのは、私はゲームの競技シーンが好きな人物なので、「コア層は全体をダメにする」という説には否定的ということです。
例えば世の中で盛り上がっているもの:野球やサッカーなどはコア層が存在します。プロリーグがあり、それを観戦するファンも居ます。私は全然野球を経験していませんが:
- 「野球部には甲子園という目標がある」
- 「野球は大人になってもプロリーグがあってすごい」
- 「大谷翔平というすごいのが居るらしい」
- 「WBCで日本が活躍していた」
ということはだいたい知っている訳です。これはコアなファンが居るから私が何か知ることができた良いケースだと思います。
いやそもそも、コア層が無いジャンルのほうが珍しいのです。プリキュアどころかドラえもんやアンパンマンにもコア層は居ます。そのため〈コア層〉が〈全体〉をダメにするという法則は必ず成立するわけではありません。
ならばなぜ「コア層が全体をダメにする」と言われるのでしょう?のぞいてみると、たしかに世の中には「コア層が全体をダメにする」という言葉が当てはまる場合もあります。ここはしっかり区別せねばなりません。
最もよくあるコア層と全体
「コア層が全体をダメにする!」ということのエビデンスとして今日最もよく使用されるのはこちらの内容でしょう:
[上記 President Online 記事のスクリーンショット]
ブシロード社が新日本プロレスを買収し、 木谷社長がこう述べました:
すべてのジャンルはマニアが潰す。これまでの私の発言の中で最も物議を醸し、また最も広く知られている言葉です。一部の熱狂的なファンの要望を受け入れ続けると、新規ユーザーが入りづらくなり、その結果ジャンルは衰退してしまう
これはまさしく「コア層が全体をダメにする」の例です。私はこの事例には一定の真実が有ると思っています。
消費者と運営の分類
ただ、この例は幾つかの要素を分類して見る必要があります。
- ① 〈消費者〉の内の〈コア層〉の意見を〈運営〉が聴きすぎることで起きた問題である
- ② プロレスラーそのものを〈コア層〉と呼ぶべきか
よくこれらの視点は混同されがちなので注意せねばなりません。
① については本文で最もしっかり提案するところです。〈消費者〉のコア層と、〈運営〉がコア層偏重になることは意味が違うということです。
何かコンテンツがあった時にコア層とそれ以外はどうしても発生してしまうでしょう。そしてコア層はたいていごく一部の人間です(もしくは一部の限られた人間をコア層と呼んでいます)。運営がコア層の意見に寄り添い過ぎるというのは、ごく一部のファン向けにビジネスの舵を切るということで、統計的・経済的に言って誤った作戦です。
② についてもよくごっちゃにされます。プロレスラーというのはかなり格闘技の経験を積んでいる人であり、パフォーマンスのプロでもあります。プロレスのファン = 消費者と比較すると、かなりやり込んでいる人間です。野球やサッカーのプロ選手も、消費者/ファンと比べればかなりやり込んでいる人間ですので、プロレスラーと同じ区分になるでしょう。では、プロレスラーを〈コア層〉と呼ぶべきでしょうか?
最初に例に挙げました OWL が閉幕すること、もしくはデジタルゲームのプロリーグが終了すること一般、を指して「コア層が全体をダメにする」と表現することは、プロレスラーをコア層と呼んでいる状態になります。ただ、プロレスの主体であるプロレスラーと、プロレスのファンの中の〈コア層〉は地続きですが少し異なる存在であり、議論をするときは注意せねばなりません。
本文で提案したいことは、上の2つに紐づいて以下のようになります:
- ① あるコンテンツ・競技があるときに〈運営〉と〈消費者〉は違う
- ② 本文では〈コア層〉とは〈消費者〉のうち非常に熱意がある人のこととする(= プロレスに於けるプロレスラーをコア層とは自明には呼びません)
[上図:本文でイメージするコンテンツの内訳。消費者と運営の関係。]
ゲーム会社はゲーマーを採用しないのか
ここで〈消費者〉と〈運営〉を区分する議論として、次の例を見ましょう。
ゲーム会社はゲーマーを採用しない
これはよく言われる説です。この説を喋っている人に私はよく会うのですが、理由を訊いてみると、
マニアはダメだから
趣味を仕事にするべきじゃないから
といった理由で信じられていることが多いです。これも「コア層が全体を悪くする」からという文脈で信じられていることわざです。これは果たして実態に即しているでしょうか?
これは明確なソースを出すことはできないのですが、「昔はそうだと言われていたけど今は違う」でしょう。私は近い業界で働いているのでゲーム会社で働いている人をある程度見知っていますが、ゲームをしている人が多いです。こうした反例があるから「ゲーム会社はゲーマーを採らない」という法則は否定できるでしょう。(註1)
この真偽はさておき、本文で重要なことは分類をすることです。
ここでゲーム会社は〈運営〉であり、ゲーマーは〈消費者〉です。「消費者の中のコア層を新卒で採用すると運営で上手く行かないのではないか?」がこの説の本質です。こうした問題は、上の新日本プロレスと同様に「運営 vs. 消費者」のコア層問題構造であることを認識されて下さい。
[上図:今回の「ゲーム会社とゲーマー」事例を消費者と運営に分類したもの。]
消費者の中で抗争
多くのコア層/マニアに関する議論は〈運営〉と〈消費者〉の対立構造に当てはまります。しかし、これに当てはまらないときがあります。それは〈消費者〉同士の中で抗争が起きるときです。
コア層に関して「消費者 vs. 運営」の議論と、「消費者 vs. 消費者」の構造は全く違うにも拘わらず、ごっちゃにされがちです。そして誰かが「消費者 vs. 消費者」の議論をするときは常に注意して聴かねばなりません。
例を挙げましょう。最近 Twitter の調子が悪いので、頂いたツイートを改変・解釈してこちらに記します:
スマホゲーム『ポケモンマスターズ EX』では、かつてルガルガン(当時最強アタッカー)を持っていなかったら切断されるなどマルチプレイヤーモードではほぼ遊べない状態に陥りました。まあスマホゲームなので似たような例は多いと思います。
[ 引用元 ]
こうした事例はゲームのオンライン要素でよく起きます。「PvE でほかプレイヤーと協力する時に自分がゲームの最適解を使っていないと切断する味方」というものです。これは「消費者 vs. 消費者」での問題です。〈運営〉は直接的には関与していませんし、商業的な視点も直接は絡んでいません。
他にも同様の例があります。人狼系のゲームではやり込むと理論上の最適解が見えてくるため、理論的な行動を採らないプレイヤーをひとまず “吊る” (註2)という現象が起きます。
人狼でなくとも、アナログのボードゲームでは定石通りの動きをしない人や、プレイイングに向上心がない人に改善要求をする現象がしばしば発生します。たいてい、改善要求をする側もされる側も不満を持ち、揉めます。そして改善要求をされた側がこう言います:
コア層が初心者お断りの雰囲気を作り、全体をダメにする
と。
こうしたコア層は「ガチ勢」と呼ばれることもあります。
こうしたスマホゲームでの過度な【最適解追求問題】や、ボードゲームでの【改善要求問題】の善悪はさておき、本文で申し上げたいのは分類です。こうした問題は上の新日本プロレス事例とは異なり、消費者同士で起きています。
これはどうすれば解決するでしょう?消費者同士がプレイする前に前提を確認したり、プレイする熱量を確認したりと、コミュニケーションによって解決することが考えられます。
(デジタルゲームならば運営側がバランス調整を行えば解決する問題かもしれませんが、この解決方法には私は懐疑的です。常に現状への不満は発生するからです。)
コンテンツ産業の経営者が自戒として述べた「コア層が全体をダメにする」と、消費者同士が争いを表現するために用いる同フレーズでは、扱う対象も実態も違います。前者は経営者の運営方針に関するものですが、後者は消費者同士が遊ぶにあたってコミュニケーションをどうするべきか?といったマナーや倫理観に持っていくべき内容です。この2つは全然違うのですが、同じ表現であるがゆえに過度に一般化されていると私は感じています。
[上図:消費者vs.運営と、消費者同士の対立は違うということ。]
コア層の定義
さて、そこで考えねばなりません。〈消費者〉同士が〈コア層〉問題について悩んでいるならば、その〈コア層〉という存在をしっかり把握すべきです。〈コア層〉とは一体何なのでしょう?どういった消費者を指すのでしょうか?
〈コア層〉の定義は非常に曖昧です。皆様は自分のことをコア層だと思うでしょうか?おそらくこのブログに辿り着いている時点でなにかのコア層とも言えるはずです。
例えばある会社が外部のリサーチ会社へ市場調査を依頼した際に、コア層を分類するときの定義は「自分をコア層だと思いますか?」というアンケートベースであることも多いです。
一方でコンテンツ運営、たとえばブシロードさんであったりいろんなゲーム会社やアイドル事務所にとって〈コア層〉というのは:
- 年間〇〇円以上出費するファン
- ファンクラブに入っている人
といった明確な線引をしているはずです。(註3)
問題は、こうしたアンケート・出費額を基にした〈コア層〉の定義は、最適解追求問題・改善要求問題と何ら関係がないことです。この相関関係は示されていないはずです。逆に例えば「いや自分はエンジョイ勢であってコア層じゃないです」と語る人がボードゲームで初心者へ最適解追求を出すこともありますし、ファンクラブに入っている人がみんな改善要求問題を起こすわけではありません。
また、根本的な問題もあります。多くの人が最適解追求問題・改善要求問題の話を聴いたことがあるのだとしたら、オンラインマッチングで当たるほどの事態であるのだとしたら、この原因となる人はもはや〈コア層〉なのではなく “ボリューム層” なのではないでしょうか?ユーザーが離れることを懸念して運営が調整を入れねばならないほどならば、それは経営者から見ても「一部のガチ勢」とは言えず全体の問題でしょう。
どちらかと言えば最適解追求問題・改善要求問題に関して言えばコミュニケーションの問題です。なにか改善要求を受けたときに心を自衛したい人が「コア層は全体をダメにする悪の陣営だ」という結論を導きたい心理がどこかにあったと思われます。むしろ最適解を追求しようとしたキビしい人間を「コア層」と逆転の定義をしているとも言えます。
私の体感として、ボードゲームや人狼の人口は減っているとは思えません。コア層/ガチ勢がいると全体がダメになると言うならば、既にダメになっているはずです。そのため「コア層が全体をダメにする」が実態に即しているかもビミョーなところです。
[
ボードゲームの Google Trends
。今も上昇中。]
これらから導かれるのは、コア層を定義しようとするときに現れる視点(= 出費額・プレイ時間)と、「消費者 vs. 消費者」で問題になる際のコア層(= 改善要求問題を起こす人)は別の存在と考えられるということです。
コア層にハッキリとした定義がないのならば、そもそも「コア層が全体をダメにする」という表現を用いること自体が危険なことです。特にコア層問題の構造が「消費者 vs. 消費者」のときにこの表現を用いるのは非常に曖昧であり、この警鐘を鳴らしたいです。
全体をダメにするの定義
同様に「全体をダメにする」とは何でしょう?
「運営vs.消費者」の構図の場合、例えば新日本プロレスの場合、は〈全体〉とは売上のことであったりライト層も含めたファン全体人数のことであったりするでしょう。そこはどちらに定義しても同様の結論になるはずです。運営が一部の層に向けた策で熱心になり過ぎて、全体売上が下がったりファン数が減ったりするという意味です。コンテンツを「マニアが潰す」という言い方に替えても同じ解釈ができます。
一方で「消費者vs.消費者」の場合はどうでしょう?コア層が居ると売上やファン数が下降すると言えるでしょうか?コア層の定義はまばらなのですが、野球でコア層のファンが居て盛り上がっていることやボードゲームの Google Trend が伸びていることを見ても、コア層の定義が何であれ実態とは合致しないと思います。
仮に最適解追求問題を起こしたりコミュニケーションに難があるプレイヤーが今よりも比率的に遥かに大きくなれば、ファン数・プレイヤー数全体が下がる可能性は有るでしょう。しかし他者の引退に影響あるプレイヤーがそれほど支配的になっているのは異例な状態です。例えば競技人口が少ないゲーム、所謂 “過疎った” 状態では起きうると思います。皆様も過疎ったゲームで上位勢がその他をシバいて問題が起きることをご覧になったことは有るでしょう。ただそれは過疎った結果コミュニケーションに問題が発生するのであって、結果として下位勢をシバく上位勢の存在自体が問題か?というと検討の必要があると私は解釈しています。
以上が「全体をダメにする」に関する私の視点です。やはり〈コア層〉の定義に依存するところがあるのですが、場合によってよく考えねばならないと考えます。
コア層自体は悪なのか
こうした議論の中で登場するのが「コア層の否定」論調です。最初に私が挙げた OWL の寓話でもそうですが「コア層は居ない方が良い」という結論に持っていく人がいらっしゃいます。私は本文最後の主張としてここを否定したいと思っています。
木谷社長も〈コア層〉存在が発生すること自体の善悪は議論されていません。むしろ私がコンテンツオーナーであったならば、ハマってくれて時間とお金を使うファンが居ることは良いことと感じるでしょう。「運営 vs. 消費者」の構造で「運営がコア層の意見を訊いてビジネス戦略を立てる失敗」についてと、「コア層自体が悪かどうか」は異なる視点です。主語が運営と消費者で全然違うからです。
極論〈コア層〉がいなければコンテンツは盛り上がるのでしょうか?実態としては野球やサッカーには競技シーンがあり、〈コア層〉と呼べる常連のお客さんがいらっしゃいます。部活動は〈コア層〉とも呼べるでしょう。すべての事例でコア層/競技シーンがなければ良い、という訳ではないのです。ここで述べたいのは、プロの競技者が居て、そこにコア層となるファンがいるからできる産業があるということです。
上記のことは現代のゲーマーの方には当然の感覚かもしれませんが、「コア層は一切いないほうが良い」と言うビジネスマンの方に会ってきましたので本文で述べました。
じゃあ最終的に、消費者同士のあいだで最適解追求問題・改善要求問題が起きることを防ぐのは誰の責任になるでしょうか?スキル向上心のある人が現状維持に満足している人をシバいたりすることを防いでアクティブユーザーを残すことは誰の責任なのでしょうか?
意外と人間社会では「できる人とできない人が交わる場所」がありません。学校ではだいたい全員が同じような学習進度であることが前提であり、スクール/教室でも先生がついてクラス別に教えてくれるでしょう。おそらくデジタルゲームでは珍しくいろんな方とランダムに遭遇するため、ランクマッチ・競技シーンが発展して来たのかと推測もできます。
ここは結論の出ない難しい議論ですが、ここに近いテーマについて次のブログ投稿で扱います。
まとめ
本文で挙げたコア層にまつわる問題を分類しましょう。
新日本プロレスのように「運営 vs. 消費者」の構図でコア層が問題になる場合は、「運営がコア層という狭い勢力だけに向けたビジネスプランを行うこと」が問題であり、一定の正当性があると思います。
一方で「消費者同士の争い」では、コア層の定義がハッキリしませんでした。そのため「消費者 vs. 消費者」の構図の際は「コア層が全体を悪くする」という表現を使うことに気をつけなければならない、と申し上げたいです。
では最初の「OWL が閉鎖するかも」というテーマに関して吟味しましょう。このテーマは余り「コア層が全体をダメにする」とは関係がなさそうです。そもそも OWL はプロレスラーに相当する部分であり、新日本プロレスの事例(運営vs.消費者)にもボードゲームの事例(消費者vs.消費者)にも関係がありません。このフレーズを使う意味は余り無いかなあと考えます。
※ ちなみに、本文は次の投稿『競技シーンは誰のためのものか』を意図した前提議論となっています。もし興味がございましたら、次もご覧頂けますと幸いです。
以上
正直なところ、本文は自信がありません。特に網羅性をどう取れば良いか悩んでいます。「〈コア層〉と〈全体〉」にまつわるパターンはコレで全部じゃないとも思います。ゲーマーの皆様からするとなにか見落としていることが有るでしょう。ただ、コンテンツオーナーの企業側の発想と、ボードゲームやオンラインマッチングでの問題は異なるということは、広くビジネスマンの方々向けに述べたかったです。
今回 ちょっとツイートをしまして アイデアを頂きました。リプライでアイデアをくれた皆様に感謝を申し上げます。
少し踏み込んで申し上げたいのは、「ボードゲームで最適解を目指す人」は “ガチ勢” として恐れられがちですが、怖いわけではなく楽しんでいるということです。こういう “ガチ勢” はゲーム内で同じ手を打ち続けると飽きるため、変化がないことを恐れています。試行錯誤して楽しんでいるのであって、一種のエンジョイ勢なのです。たぶんデジタルゲームでPvPをやっている方々には当然の概念かと思いますが、本文から色々知って頂いた方にはこれを期に知って頂ければ幸いです。
逆にコア層・ガチ勢の皆様に申し上げたいのは、コミュニケーション問題は存在するということです。「スキルアップは面白い」ということは社会ではあまり自明ではなく、私も含めて発信していく必要はあるなあと今も感じます。最近は esports やゲームの競技シーン・ストリーマーがかなり若者に広まり、ゲームでスキルを向上させることの面白さは広まって来たと思います。RTA のイベントもそこにかなり貢献していると思います。それでもまだ活動が必要だと感じます。
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私が素性を明かしていいか分からない方からこうした支援発言も来ていますのでご参考に: https://twitter.com/akuochiken/status/1672446805408362496 ↩︎
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“吊る” とは人狼用語で、会議で多数決の結果ゲームから除外することです。人狼というゲームは概ねいずれもはじめに各プレイヤーに役職が割り振られ、多数の人間と少数の狼陣営で議論をものです。役職は非公開のため、ゲームの途中の会議で多数決を行い、誰かを処刑して行きます。 ↩︎