恋心は超グリーディ

普段質問されることを文章起こした場所です。ライブ配信やゲームイベントにまつわるものです。もしくは、たまに筆者の趣味の文章が交じります。

Apr 26, 2023 - gamerlogy tournament philosophy esports

プレイヤーファーストの使われ方

プレイヤーファーストとはなんでしょう?この単語は近年神聖化されて定着して来ました。本文ではこの単語の持っている意味と、esports シーンでどう実用されているかについて総合的に述べます。

背景

今回はいつも通りゲーマーの競技シーンでの使用例を見ていきます。
また、本文で「プレイヤー」というのは、デジタルゲームの大会での競技者を主に指します。場合によっては参加者・見学者を意味することがありますが、ここでは概ね競技者です。

「プレイヤーファースト」とはそのまま「競技者第一」という意味です。競技的な大会で競技者を大事にするという意味で用いられます。または、esports チームで所属している選手を大事にするという意味でも用いるでしょう。

背景として、現代では「プレイヤーファースト」という単語はさも絶対に正しい概念であり、必ず持て囃されるモノとして一般的に扱われていると筆者は感じています。なぜなら:

  • 大会運営の企業は権力とお金を持っている
  • プレイヤーは本当にファンから愛されている

という対立構造をファンが考えて、運営が行った何かしらの行為によってプレイヤーが被害者になると、ファンはびっくりするからです。ファンはプレイヤーのファンであり、「プレイヤーは絶対にみんなで守らねばならない」という視点が定着していることでしょう。

これは日本のスポーツでも同様のはずです。現代はこのように「プレイヤーを大事にする」という潮流にあると感じています。こうした前提の上で、具体的内容に進みましょう。

※ なお、本文はなにか特定の大会を意識した内容にはしないのでご注意ください。

“代替メッセージ”
[2015年にアメリカで発売された書籍 “Players First : Coaching from the inside Out”。このキーワードは日本語特有のものではありません。]

プレイヤーファーストの使用例

「プレイヤーファースト」という単語はどういった場面で使われるでしょう?

私は登場場面の多くがプレイヤーファースト「じゃない」という否定語とセットだと感じています。

例えば大会で運営がミスった時に使われます。予選ウェーブCが本当は14時開始だったのに押して16時開始になってしまった時など、参加者からしたら大変な迷惑です。すると大会のライブ配信を見ている視聴者やこの事態を Twitter で知ったゲーマーが:

この大会はプレイヤーファーストじゃない!

と言います。競技者にとって好ましくない失敗を大会運営がしているからです。

他にも esports チームがミスった時に使うでしょう。チームが選手に不利な契約にしており、何かトラブルが起きた時に犠牲になるプレイヤーを見てこの言葉は使われます。

“代替メッセージ”
日本サッカー協会 は2015年より若手育成に「プレイヤーズファースト」という言葉を前面に押し出しています。]

プレイヤーファーストという単語は、スポーツでも2018年に話題になりました( 東洋経済 )。厳密にはプレイヤー “ズ” ファーストという呼称でしたが、レスリング・野球・サッカーなど様々な競技で議論されました。

前提とされているのはやはり「プレイヤーを優先するのは絶対に良いこと」という概念です。特に既存のスポーツでは、運営が巨大で確立した組織であり、その存続のためにプレイヤーが犠牲を強いられるという先入観があるでしょう。 ※私の偏見です。

一方で大会運営の人間からすると、「プレイヤーファースト」という単語はどこか耳が痛い・嫌いなものだと思います。なぜなら、もちろん大会運営の人だってプレイヤーを大事にしたいと思っているのですが、この単語が振りかざされる時はたいていなにか運営がミスった時だからです。この言葉は現状ミスを叩く万能の道具になっています。

それはプレイヤーファーストか?

まずはこれら「プレイヤーファースト」という表現は、言葉と実態が合致しているでしょうか?ここに注目したいです。

私の視点では予選が2時間遅れてしまう(上述)のは「プレイヤーファースト」という単語と関係ありません。これはただ運営がミスっただけです。なにか運営が「進行を遅らせたい事情がある」とかなら別ですが、運営も疲れるので進行を押したい訳がありません。確かにプレイヤー・参加者にとって損ではあるのですが、大会運営にとっても損であり、所謂 lose-lose の状態です。

プレイヤーファーストという表現は、プレイヤーと他のなにかを天秤にかけてプレイヤーをとること、であるはずです。そうでなければ「ファースト(=第一)」という序列の表現をしないはずです。

https://twitter.com/ayuha167/status/1376495474648178688
[過去の私のツイート↑。プレイヤーはゲーム会社・スポンサーなどと天秤にかけられると主張。]

例えば日本サッカー協会のページでは、プレイヤー(ズ)ファーストの定義についてこのように記しています:

育成年代のサッカー環境に関わる大人、すなわち指導者、審判、大会の形式、保護者・サポーターが力を合わせて、さまざまな困難にも、 子どもたちにとって何が一番良いのか、という観点で判断し、解決に向けて努力していきたいと考えます。

つまりは 指導者・審判・保護者・ファン …etc とプレイヤーの利益が衝突する時があり、その時にプレイヤーを優先することだと私は解釈しています。このように、他の何かとプレイヤーが衝突するから「ファースト(第一)」と表現するのが語義上の自然な流れのはずです。

“代替メッセージ”
[マーキャリMEDIAより Bizreachさんのインタビュー 。カスタマー “ファースト” に関する内容ですが、自分の企業や利益と比較して顧客を第一に考える対比に焦点が当たっています。]

定義

ここで一旦プレイヤーファーストの定義をしましょう。

■ プレイヤーファーストとは、スポンサー・視聴者・運営・観戦者などと比較して、競技者を最も大事にすること。

と私は捉えます。

なにかを運営していると、どうしてもプレイヤーとそれ以外がぶつかることがあります。それは時間・予算・手間・スペース等様々な理由があります(特に予算)。その時にプレイヤーの利便性を優先しましょう、ということです。

具体的事例

プレイヤーファーストの具体例を見ていきましょう。

例えば大会を運営する時、予算が限られていた場合にどうするでしょう?数値的な結果を求めるなら広告費に充てることもできますが、プレイヤーのために良いモニターとヘッドセットを揃えることを優先した、という場合はプレイヤーファーストです。

他にも例えば、敗者側決勝が終わった後グランドファイナルが迫る中、連戦となるプレイヤーの休憩に関してよく議論になります(用語が分からない方は「連戦が起きる」とだけご理解下さい)。連戦となる該当選手が「トイレ行きたい」「ちょっと休憩したい」と言うことがあります。すると視聴者的にはすかさず連戦して頂いた方が熱が冷めなくて良いのですが、選手の主張を運営が呑むならば休憩を許します。その間視聴者はずっと待たされますから、この判断はプレイヤーファーストです。

プレイヤーは競技の基盤であり、競技の単位です。プレイヤーなしではあらゆる競技はできません。そのため私は、何かしらの運営が自己を犠牲にしてでもプレイヤーファーストの理念を掲げて行動することは立派なことだと思っています。また、あらゆる運営は心のどこかでプレイヤーファーストの端緒を持っているはずだと感じています。私もプレイヤー・競技者の知り合いはたくさんいますから、「あの人達に何か良いことをしてあげたい」という気持ちがあるのは木石にあらねば当然のことです。

ここまでプレイヤーファーストの定義と具体例を紹介しました。

プレイヤーファーストは良いことか?

今回論じたいのはここです。プレイヤーファーストは絶対に・無条件に良い偶像として扱われていますが、果たしてそうでしょうか?

ここからは「極端なプレイヤーファーストを実現したら」という例を挙げてみましょう:

  • 本当にプレイヤーファーストならば多少遅刻したプレイヤーも許すべきです。多くの既存の大会は少しでも選手が遅刻したら失格にしてしまうと思いますが、プレイヤーファーストというのは大会運営の進行スケジュールよりも個々のプレイヤーを優先するという定義がありますので、多少程度ならば遅刻は許すべきです。

  • スポンサーに関して:ある大会に選手が自分私用のマイモニターを持ち込んで「大会が用意したモニターじゃなくて自分のモニターでプレイしたい!」と主張した場合、プレイヤーファーストな大会ならばその主張に応えるべきです。大会にスポンサーがついていてそのA社モニターで揃えていたとしても、そこに選手がB社のモニターを持ち込んで来たとしても許可すべきです。実際に EVO 2016 のスマブラDX部門Top8では、スポンサーから提供された壇上の液晶モニターを引きずり下ろして、ブラウン管テレビが設置されました。これに多少設営時間がかかろうとも、プレイヤーファーストならばやるべきでしょう。

“代替メッセージ”
[EVO2016 スマブラDX の壇上。写真は ESPN より。今大会にはモニタースポンサーとして BenQ ZOWIE さんがついていましたが、そこには着実にブラウン管テレビがあります。]

このように、プレイヤーファーストにした結果大会全体の進行が遅れることがあり得ます。スポンサーの意に反することが起き得ます。

しかし、その結果会場の延長料金がかかったりスポンサーがそっぽを向いたりして、予算が厳しくなることが有るでしょう。他にも参加者の意見を聴き過ぎて対応に疲弊してしまうスタッフも居るでしょう。現代ならばスタッフが少しでもミスをすれば Twitter で悪口の拡散をすることもありますから。
すると予算が厳しくなり・多数のスタッフが傷ついてしまい、運営組織自体の存続が危ぶまれることがあります。特に企業大会は担当者が楽しいと感じたか?が重要です。いろいろ大変だった結果大会そのものが継続されないというのは、長期的に見ればプレイヤーへの不利益とも言えるはずです。

皆様にも思考実験頂きたいのですが、もし仮にご自身が大会運営だったとして、スポンサーの意向が所属選手とぶつかった場合に選手を守れるでしょうか?例えば選手が不祥事や問題を起こして、スポンサーから「イメージ悪いのでその選手を失格にして下さい, しないとスポンサー料を引き上げます」と言われた時に、選手を守ることを決断できますでしょうか?プレイヤーファーストならば選手を庇わねばなりません。ただそれは現代の実情には反するでしょう。

今のところプレイヤーファーストにし過ぎた結果運営が揺らぐほどのイベント・チームは見たことがありません。しかし本文で一番申し上げたいのは、プレイヤーファーストは「良いこととして絶対的に受け入れられられるべき万能ツール」という訳でも無いということです。

https://twitter.com/bonanza_JP/status/1642656405663662080
[Bonanza さんのツイート↑]

これにてプレイヤーファーストに関する議論は一旦締めます。

トッププレイヤー

更には「プレイヤーファーストで賞金を大きくすべき」という意見もお見かけしたことがあります。私はこれに関して、「プレイヤーファーストとは少し違くない?」という意見を持っています。

大会の予算というのは数百万円〜数千万円。EVO Japan 2023 レベルで予算は(現場で)1億円くらいでしょう(本当に憶測です)。 そこで賞金に1千万円くらい回してしまうと、なにかしらの装飾・ブース・対戦設備などが弱くなってしまいます。オープン制の大会では予選で敗退するプレイヤーやただ見学に来ただけの人が参加者の大多数(= 9割以上)を占めますが、これらの人にとって賞金は余り関係のないことです。それならば「自分の対戦する台が豪華設備の方が良い」であったり「会場の装飾がカッコいい方が良い」であったりの意見は多いはずです。
実情として賞金は誰にでも手に入れられるものではありませんから。

そのため、賞金を大きくする策は「限られた少数のプレイヤー」を優先することであり、プレイヤーファーストか?と問われると少し違うと感じます。
賞金を優先する運営というのは、プレイヤーファーストというよりも「トッププレイヤーファースト」です。例えて謂わば “貴族制” に近い考え方だと私は捉えています。賞金が悪いことではないのですが、プレイヤーファーストという概念と完全には合致しないという主張です。

運営ファースト

ここまで「プレイヤーファーストは絶対ではない」という旨を述べました。ならば他に概念はあるのでしょうか?

よく私が唱えているのは「運営ファースト」です。

字面だけを見ると悪の枢軸のように感じるかもしれませんが、どうかお読み頂きたいです。「大会運営というのは運営陣が長持ちし易いように設計すべき」という発想です。
例えばスマブラのオフ大会の多くはけっこう運営ファーストで出来ていると私は見ています。大会運営はモニターだけ用意しておき、参加者にゲーム機を持参頂いて、各予選ブロックの進行はシード選手にお願いしています。これはプレイヤーよりも運営に都合が良い仕組みです。

他の事例では合気さんが書いていた:

大会を主催していると参加者や視聴者、知り合いから「○○した方がいい」や「○○してほしい」というアドバイスや要望をもらうことも多いと思う。そういったときは主催として「やるべき」や「やらないといけない」だと思ったことは取り入れて、それ以外のことは一切気にする必要はない。

といった考え方も運営ファーストな考え方でしょう( 合気さんブログ )。

こうすると何よりも大会開催が長続きします。すると、プレイヤーが来年も安心して競技の場を求めることができます。シーンにこうした雰囲気があると、他の大会も開催しやすくなります。すると大会数も増え、巡り巡って多くのプレイヤーにいい体験をもたらします。大会数が増えるとルールなどで試行錯誤も可能です。

これが私の「運営ファースト」の意図するところです。特に有志で大会を開いている方々が「プレイヤーファースト」という一見絶対の言葉におびえる必要はなく、自信を持って運営を続けても良いということを知って欲しいです。

ただ、勿論「運営のための運営ファースト」が始まってしまうとよろしくないです。例えば意図的に質の低い機材を用意しても気に留めなかったり、カメラで選手を映すべきタイミングで来賓ゲストばかり映すようになってしまったり。こういう運営ファーストは、ゲーマーである私からしても納得行かないところなので、ここの匙加減は難しく、「プレイヤーにメリットが有る運営ファースト」は常にメンテが必要なところです。プレイヤーファーストが絶対ではないように、運営ファーストも必ずしも良いものとは限りません。

また、このタイミングで申し上げたいですが、企業イベントでも個人イベントでも、運営はけっこうプレイヤーのことが好きです。わざわざ金をかけてゲームのイベントを開いているのは理由があります。運営はプレイヤーの敵・プレイヤーファーストの壁、というわけではありません。そこは今後もたまに思い出して頂きたいです。

実態

本文はプレイヤーファーストは絶対ではなく、運営ファーストの可能性もあることを述べました。

しかし実情として、現代の esports・デジタルゲームの競技シーンでは〈プレイヤー vs 運営〉のように単純な構図になっていません。そこにゲーム会社が別勢力として存在し、〈プレイヤー vs 運営 vs ゲーム会社〉が鼎立するようになっています。時にゲーム会社と運営が融合することもあります(最近はその比率が高いです)。

“代替メッセージ”
[よく想定される構図と、esports シーンの実情を図式化したもの。]

最初に例示したようなスポーツと esports が違うところはここだと感じています。この esports シーンの複雑さは悪いことだとは思いません。出来ることも増えるからです。ただ、考えるべきことも増えます。
例えば古い例ですが、Counter-Strike: Source がリリースされた後に Counter-Strike 1.6 とどちらを大会で採用するべきかは難しい問題だったでしょう。他にも EVO 2019 で『スマブラDX』が部門から削除された時も議論になりました。これらの問題は三者が絡み合った典型的な衝突です。

こうなると、プレイヤーファーストも運営ファーストも、ゲーム会社の意図だったりも全て満たすことは1つのイベントでは不可能です。この全てを1つの公式大会で果たそうとすることで起きる衝突はあるなあと感じています。

そのため「大会の数は多いほうが良い」というところが私の提案です。ゲーム会社がやりたいことを実行できる公式大会もあったほうが良いですし、様々な意図を持った企業によるサードパーティーイベントや、熱意や勢いに乗った非公式大会など群雄割拠すべきです。

このへんについては別の投稿でも色々と書きました。一例をここに置きます:

というわけで本文を締めくくりますと、プレイヤーファーストも運営ファーストも絶対に正しいものではありません。ゲーム会社の意図と併せて定期的に対抗し、バランスを取って調整していく必要はあると思います。実際に10年前と比べてゲームの競技シーンでプレイヤーファーストが注目されるようになった現代は、時代が着実に良い方向へ向かっているとは思います。

“代替メッセージ”
[Riot Games 社は長らく Player Experience First と銘打っています( ウェブサイト )。しかしこのスローガンを掲げた2006年と比較すると、現代はどのタイトルでもプレイヤーファーストの色合いは強くなったと筆者は感じています。]

以上

今回の議論は、政治哲学で言う保守(= 運営)とリベラル(= プレイヤー)の対立そのまんまです。

例えば「遅刻者を優先した結果全体に悪影響があるなら、それは他プレイヤーへの迷惑がかかるのだからプレイヤーファーストじゃない」というツッコミがあると思うのですが、この辺りは本当に保守とリベラルの議論で行われている所だと思います。
大会運営がやりやすい方法を求め続け、プレイヤーが利己的な感覚でモノを言うべきで、この対立からよりよいシーンに持って行くしかありません。そのため大会運営が何かを主張することも、プレイヤーが主張することも天賦のゲーマー権として認めるべきです。

いま、第三者が大会運営を否定する時に「プレイヤーファーストじゃない!」とか、プレイヤーを否定する時に「運営への感謝が足りない!」とかいった理屈を振りかざすことは現実的に起きています。しかし、この理論を当てはめると、これは保守派の人に「お前はリベラルじゃない!」とか、リベラルの人に「お前は保守派じゃない!」と投げかけているのと同じです。そんなことは自明であり、理論上は意味のない行為です。そのため、こうした逆側の理屈を振りかざすことは変だなあと私は思っています。

私はここまでの提案を行って、無責任ですがここで議論を閉じます。もし今後何かを運営する人がいた時に、楽になるようなアイデアがあれば幸いです。