恋心は超グリーディ

普段質問されることを文章起こした場所です。ライブ配信やゲームイベントにまつわるものです。もしくは、たまに筆者の趣味の文章が交じります。

Jan 5, 2014 - review others

ドキドキプリキュア46話感想 〜兼愛主義

ドキドキプリキュアは、今まで見てきたプリキュア10作品で、一番好きな作品に位置づけている。理由は様々だが、特に終盤を迎えた46話で、大演出があったため、そのことについて論じたい。

ドキプリ設定

ドキドキプリキュアは、その名の通り、愛のプリキュアである。

これまで1年間、様々な形の愛を描写してきた。友情・家族をはじめ、離れた家族、養子、いがみ合う幼なじみ、ライバルなど。劇場版では、過去の愛について扱った。
さて、その上で、敵役となる奴等は、今回は「自己中」がモチーフになっている。一般人が自己中心的な心を発芽させたところを元のエネルギーとし、魔獣を召喚する。それをプリキュアが、愛の力で倒す、という構造になっている。とても分かり易い構図である。

登場人物も面白い。この「愛」で戦う強さにふさわしい器を持った面々になっている。

  • マナ:運動神経抜群、愛にあふれるお人好し系、完璧少女。勉強も出来る。
  • りっか:学力抜群、超しっかり者。マナの幼なじみ。母は医者。
  • ありす:大規模財閥の娘。執事がいつも付いている。格闘技やら様々な技術に秀でる。
  • まこぴー:アイドル。もとはトランプ王国から人間界に落ち延びたプリキュア。
  • あぐりちゃん:珍しく小学生。でも口調が大人であり、変身すると姿も大人。あとから参入。

という図である。

ドキプリあらすじ

物語は時系列順では、上記の「トランプ王国」の崩壊から始まる。人間界とは異なる時空にある平和な世界であり、国王・アン王女を中枢に置き、守護者としてプリキュアを構え、万全な毎日が続いていた。しかしある日、ジコチューという名の組織が奇襲をかけ、王国は滅ぶ。ジコチューの首領はキングジコチューといい(分かり易い)、体長が…200mくらい(推定)。
この戦いにより、王国は崩れ、アン王女は行方不明になり、最後のプリキュア;キュアソード(まこぴー)だけを人間界に送り、希望を託すことにした。ジコチュー側は、首領キングジコチューを石化されるという痛手を被った。

ジコチューという悪役たちは、その後人間界にも侵攻をはじめる。人間達からジャネジーを搾取するためである。このジャネジーを貯めると、キングジコチューの封印を解くことが出来る。この戦いの中、人間界で4人のプリキュアが目覚め、ベテランのまこぴーも加えて、5人のドキドキプリキュアが、トランプ王国再興のために立ち上がる。

戦いが進むと同時に、プリキュア達は友情を深め、レディとしての作法を身につけ、新たな愛の形も知り、たくましく成長していく。ここらの繊細な描写は、ぜひプリキュア本編を見て堪能して欲しい。しかし、ストーリーから切り離せない要素はやはり、あぐりvsレジーナの構図である。

敵組織ジコチューの首領キングジコチュー、の娘:レジーナはとてもかわいい。しかしおてんばで自己中な面が強い。一度、主人公マナとの友情を深めてしまい、クリスマスには「好きよ」と宣言する告白回さえあったが、レジーナは自分の意志で父のために戦うことを決意する。一方、ことある毎にレジーナと対立するのがあぐりちゃん;キュアエースである。あぐり・レジーナの二人は姿もよく似ており、こいつらは何者なのか、議論が8月頃から5ヶ月ほどなされてきた。

46話で何が起きたか

本日、ドキプリ46話では、遂にあぐり・レジーナの謎が明かされた。ふたりは元々一つの存在であったのだ。しかも、その元というのが、トランプ王国のアン王女だったのである。

…経緯はこう。トランプ王国は栄華を極めていたが、ある国王の時、王女が生まれると同時に妃は亡くなった。妃と引き替えに生まれた姫こそが、アン王女であり、すくすくと理想のレディに育った。しかしアン王女も、謎の病におかされ、治療は不可能となった。これを嘆いた国王は、禁忌に手を出し、ようやく娘のアン王女を助ける。しかしその禁忌は、国に暗雲を立ちこめさせ、悪い組織「ジコチュー」を王国に解き放ってしまった。即ち、国王は人の上に立つ者でありながら、私情で娘を助け、国家に災いをもたらしてしまったのである。

そのこころの弱さが増幅され、国王はキングジコチューへと化けてしまった。キングジコチューは、なんと、娘であるアン王女の手によって自ら「封印」される。ただし、「封印」であり、トドメが差せなかった。王国が滅びた際、ジコチューの幹部にアン王女は捕らえられ詰問される。
「あなたは王族であるなら、民を思ってキングジコチュー様を殺すべきだったが、私情に負けてトドメが差せなかった。なんとも自己中心的ではないか?」
と。

そこでアン王女は思い詰まり、「父を想う自己中な自分」と「民を思う王族の自分」とで魂を二分し、解き放った。自らの魂は消滅し、新たに二つの魂を世に放った。片方がジコチューのレジーナとなり、もう一方があぐりちゃんとなってプリキュアとして君臨した。

これが、私が感動した大体の筋道である。はっきり言って、本編見ないと真意は伝わりません。

これを見て何を思ったか

  ここで「親愛」と「博愛」は対立するものなのだ、ということを実感させられた。プリキュアという作品で、毎週教訓をハサミながら、主人公らの成長を描きつつ、この対立を描いた今年のスタッフは、本当に素晴らしいと思う。

この思想から、私が思い出すのは墨子である。「墨子」とは、紀元前400年くらいの中国思想家である。儒学を批判した人で、当時は儒家・墨家の学問が天下の2大ブームであったという。墨子は、儒学は「君主・家臣」「親兄弟」のみをうやまう「偏愛」である学問であり、これは内輪を重んじ、他人との争いに口実を与える学問であると非難した。墨子自体の論は、「兼愛」を尊び、誰でも構わず同様に愛することをうたっている。チャップリンの『独裁者』で「人を殺した者は罰せられるが、戦争で殺せば英雄になる」という主旨の言葉が登場するが、同じ言葉が墨子に現れるということが現代のうたい文句。

歴史上、儒家が世間を席巻した訳であり、江戸時代などはまさに武士の時代であったし、中国では清代まで儒学をベースとした試験;科挙が実施されていたし、現代日本でも儒学をベースにした考え方・習慣は大量に残っている。 しかし、それは「偏愛」の勝利を意味するわけではないし、「兼愛」を否定するものでは断じてない。

アン王女は、「私情ではあるが肉親を重んじる愛」「誰をも広く思う愛」の葛藤に結論を見出せず、この結論をレジーナvsあぐりに委ねた。国王は、「私情」を取った結果、キングジコチューとなった。どちらかが倒れるまで結論は出ないのかも知れないが、プリキュアスタッフはこれをどう結論づけるのかが楽しみでしょうがない。 今までも、プリキュア5・スイートなどでアウフヘーベンを起こした結末を用意してくれたプリキュア。毎年この時期は、プリキュアが訴える強烈なテーマに情念が打たれ、日常がそわそわしてしまう。1月末、戦いの結末を見るまではいかなる議論もここでは無意味だが、本当に楽しみでしょうがない。

これからもプリキュアを応援しています!

追記

ドキドキプリキュアの視聴を終えて。

「偏愛」や「自己愛」(今作で云う「自己中」)は、「兼愛」とは相対する思想。どちらが生き残るかは、レジーナとキュアエースの対決に委ねらた。結果、レジーナ・キュアエースおよびキングジコチューは和解する。ただ、キングジコチューは現在悪の王である一方、元は王国の王でもあり、レジーナ・キュアエース双方の親でもあったからこの和解は成立した。

最終回、敵側のしたっぱがキングジコチューの魔の力を吸収し、自己愛(自己中)の化身としてプリキュア5名の前に立ちはだかった。ここで主人公:キュアハートは、本人にしか成し得ない活躍を見せる:

  • 「自己中も一つの愛」
  • 「他者がいなければ迷惑をかけることも出来ないから、自己中が他者を否定することは不可能」

という理屈で、自己愛の化身を丸め込んでしまう。これにて、兼愛・偏愛・自己愛と、全ての愛はキュアハートの下に統一され、世界に平和が訪れる結末となった。
(完)

キュアハートは強大な愛の持ち主。1年をかけてキュアソードをはじめ、レジーナ・キュアエースを含め全ての登場人物を愛で包み、傘下におさめてしまった。プリキュアの主人公としては「運動も勉強もできる生徒会長」という性格は稀であり、その優れた人間性ゆえに、敵陣営の軍容もプリキュア史上最強にデザインされていたと感じる。ヒーローモノとしての達成感も味わえる上に、テーマの「愛」を追究した明確さも文句ナシ。「ドキドキだけがプリキュア」というフレーズに恥じぬ名作だったと考える。

APEX2014 事前情報! APEX2015へのお誘い

comments powered by Disqus