「あなたはずっと esports に携わっていたのですか?」…仕事で新しく関わる方から訊かれることが、よくあります。筆者にそういう自覚はありません。
筆者は厳密には「ライブ配信」の者です。あとはスマブラ勢です。おそらく同様に、長く「対戦ゲーム」に携わっていても「ずっと esports」という自覚が無い方はいらっしゃると思います。そこで、訊かれることも多いので、なぜスマブラをプレイしていた私が “esports” という意識がないのか、個人的な視点をまとめておこうと思い立ちました。
前提として、筆者の視点はアメリカ西海岸で StarCraft, Counter-Strike をやっていた連中の意見を元に構成していること。筆者がスマブラ勢であること。この辺に留意してください。
筆者の周りの方にはそんなに改めて申し上げるような内容ではないのですが、最近はじめられた方や、スマブラ勢向けに記しています。また、註釈にも大きな情報を記しました。違和感があった箇所は、一度註釈(footnote)を確認頂ければ幸いです。
たいそうな内容にはなりましたが、これはあくまで『史記』のように主観の強い内容です。たぶん「esports の歴史」というものは全て、『福音書』のように同じ出来事を異なる立場の人間からそれぞれ語ることで像が出来上がるタイプのストーリーだと思っています。もし、ご指摘や別視点がある場合は、筆者の Twitter へご指摘頂いたり、ご自身の歴史観を拝読できますと幸いです。筆者も知りたいためです。
はじまり
どこから始めましょう。アメリカでは 1970年代の “Pong” や、1980年代の “Space Invader” の対戦会・大会が存在しました。今回は “esports” という単語生誕以前の文脈は不要ではありますが、一つ事例を挙げます。
ある日、Thresh という香港生まれのアメリカ人がいました。今回の文脈でこの人物は定番です。彼は1997年に FPS 作品 “Quake” の大会で優勝して名声を高め、この時代からスポンサーを集め、「世界初のプロゲーマー」として名を挙げます。今は世界初ということでギネス認定されています(註1)。
ご留意頂きたいですが、この時点では “pro gamer” や “cyber athlete” という表現はあったのですが “esports” とは一般的には呼んでいませんでした。
確かに日本でもこの時点でゲームの全国大会は存在しました。『ストリートファイターIIターボ チャンピオンシップ'93 IN 国技館』は映像も残っています。筆者ですと “ポケモン” の『ニンテンドウカップ'97』といった大会の方が馴染み深いです。明らかにしたいのですが、日本では Thresh のように「スポンサー料だけで1000万円相当もらっていた」(註2)といった話は出ていません。
こういった「昔から対戦ゲームはあった」という前提に留意しながらも、本文はこれから “esports” といった単語が登場した文化圏を中心に見て行くこととします。
StarCraft 登場
1998年、ここから10年以上歴史の主役となる “StarCraft” が発売されます。この RTS というジャンルは当時は斬新な PvP として大人気となりました。RTS をご存知ない方は『ピクミン』で PvP の 1on1 対戦をしていると思って下さい。同年の末には “StarCraft: Brood War” が発売され、これが競技化に拍車をかけます。特にアメリカ・韓国で大人気となりました。
PvP のゲームがなぜPCでここまで広まったのか、筆者は決定的な説明を聞き及んだことが無いです。とりあえず「アメリカのITバブル」とか「アジア通貨危機で韓国のPC向け政策」といった説が一般的です。(註3)
この頃から、人類は “チーター” に苦しみます。加えて、この時代はインターネットがあったと言っても、現代ほど接続は強くはありません。それらの結果、対戦相手には同じ「PCバン」内だったり知り合いだったり、信頼の出来る相手を選ぶ風潮がありました(伝聞)。この時代は他者のプレイ動画を見ることも困難ですから、対戦環境と言えばローカルで留まっていました。すると結局、誰が強いのかといった情報は中々分からない状態でもありました。(註4)
[“StarCraft: Brood War” のプレイ映像。1v1のRTS。実は無印版は『NINTENDO64』でも発売されている。]
単語 “esports” 誕生
こんな時代に、韓国では2000年に “KeSPA” が発足します。Korea e-Sports Association の略で、韓国の文化体育観光部(つまりは文化「省」)傘下の団体です。現存します。おそらく正式に・継続して esports という単語を用いた初めての事例です。
この時代、KeSPA には存在意義がありました。プロゲーマーライセンスです。StarCraft は興業化し(註5)、招待制大会を行うにも「本当は誰が強いのか」を説得力を以て可視化する必要がありました。誰が強いのか分からない状況下では、ライセンスは貴重な情報でした。
そして当時は世界的に e-prefix が流行っていました。つまりは:email, e-commerce, e-learning, e-cigarette のようなeのつく造語です。それに倣って「文化体育観光部」のスローガンが e-Culture であり、それを受けてなのか当時 StarCraft のリーグを運営していた OGN のスローガンは “e-Sports to e-Culture” でした。KeSPA が現れた際にはこうした背景があります。文化と体育が同じ省で管轄されていたので、自然な合成です。(伝聞のため有力情報求む)
しかし、これを見た英語圏の人間は驚きました。当時よく用いられていた掲示板
TL.net
では嘲笑のタネとして “esports lol” と大量に書き込みました。その後も八百長事件や大会で問題がある度に侮蔑的な意味を込めて “esports” と書いて笑っていました。
この時点で cyber sports や pro gamer という単語は存在しメジャーだったのですが、esports だけはネタとして受け止められていました。
現代でも「eスポーツ(笑)」のように侮蔑的に用いる方もいらっしゃるのですが、それは既に使い古されたネタです。むしろこの使用法で暫く “esports” は英語圏では普及して行った、というのが筆者の歴史観であります。
[今でも現役の StarCraft シリーズ掲示板 TL.net。TL とはお馴染みの “Team Liquid” のこと。]
ご存知の方であれば、今は高名な “ESL” (Electronic Sports League) が同じ2000年に設立されていることを疑問に思うでしょう。これについては今回の視点からズレるため、これについては最後に申し上げます。
ここは単なる主義の話になりますが、筆者は文化というのは他を巻き込むモノであって、一点に出自を決められるモノではないと思っています(一点に決められるなら文化ではない)。いずれにせよ、この時代にこそ esports という単語を作る「渦」がありました。
大 Mod 時代
“Esports” という単語の発生のその裏で、現代に続く重要なコンテンツが芽生えます。
DotA そして Counter-Strike :つまりは mod 文化です。こうして mod と呼ぶと聞こえは良いですが、日本語で言えば「改造」です。今回はその中でも本文に関係のあるモノを、かなり丸めて説明いたします。
例えば今も健在の王道FPS “Counter-Strike” は、 “Half-Life” というFPSの mod でした。これは、Half-Life という市販のゲームが有り、それにユーザー(意味深)がコンテンツを追加して配布していました。(註6)
[1999年当初の Counter-Strike プレイ映像。Free for All 形式だった Half-Life は、Counter-Strike では最終的に5対5に変化。
元動画
(註7)]
同様の事態が “Warcraft 3” でも発生します。Warcraft 3 シリーズは、StarCraft と同じ Blizzard 社が2002年に発売したRTSタイトルです。Warcraft 3 はとあるユーザーがプログラムに大きく手を加え、 “Defence of the Ancients” 略して “DotA” として配布しました。DotA は余りにも斬新で面白く、RTSという枠組みを超えて「DotA系ゲーム」というジャンルを確立しました(現在で言うMOBA)。様々なゲーマーが「僕の考えた最強の DotA」を作って配布し、中でも “DotA Allstars” は何千万ダウンロードもされたと言われています。
[(左)“Warcraft 3 - Frozen Throne” と(右) “初代 DotA” の比較。出典:
動画1
,
動画2
。Warcraft は上述 StarCraft と同じ版元であり、同じく1対1。一方それをカスタムした DotA はUIこそ似ているものの、マップに「レーン」が生まれており、5対5となっている。]
このようにユーザーが正規のゲームにプログラムの改変を加え配布する文化は、他のゲームでも一気に広まりました。これはインターネットを通じたデータ配布が可能になった側面があります。現代の競技にも通じる代表的なタイトルが Counter-Strike と DotA です。
第三者型大会時代
この流れに乗って申し上げます。この mod 時代(2000~2010年ごろ)、大会の形としては第三者組織が開催するものが多数派でした。WCG, ESWC, CPL といった大会(註8)はゲーム会社主催ではありません。第三者がビジネスとして、複数タイトルを指定して pro gaming league を開催していました。
第三者型大会は mod 文化と地続きです。プレイしているユーザーに繋がりがあります。また、「ゲームの版権を持っている会社ではない第三者組織」が大会を実施するという発想は、ゲーマーの自主性という点で mod と共通します。よく「韓国では00年代からプロゲーマーがスターで〜」という話題が挙がりますが、その代表舞台であった “OGN” も StarCraft の版元ではありません。他の文脈でも、アメリカの格闘ゲームイベント “EVO” もゲーム会社ではありません(当時)。日本でも『闘劇』という大会ブランドがあり、この00年代は第三者型大会が世界的に興隆していました。
これらの「第三者」型の大会群で扱われたゲームタイトルは、StarCraft シリーズを筆頭に、Counter-Strike, Warcraft, Halo, FIFA, Quake …といった面々が続きます。特に定番であった StarCraft と Counter-Strike は共に英語圏でも esports として定着しました。
[大会 “WCG” テーマソング “Beyond the Game” (注意)こちらは本家ではないアップロード元です。…当時としては定番のPVであったものの、現在はWCG公式チャンネルには Steve Aoki がリミックスしたバージョン しか存在していない。]
筆者の視点・肌感覚ですが、 “esports” とはこの時点では「これらのPCゲーム」を指していました。ここまでの流れを見ても、esports とは StarCraft およびそのタイトルと交わる世界を指していた像が見えると思います。
日本勢は格闘ゲームでは歴史を通じて強豪でしたが、「日本は esports後進国」という表現は 2007 から記録があります(註9)。現代人から見ると、「なぜ日本は強いゲームがあったにも拘らず esports 後進国という意識があるのだろう?」と感じるかもしれません。ただ、StarCraft や Counter-Strike といった「これらのPCゲーム」では格闘ゲームほどの実績を挙げていません。否、StarCraft や Counter-Strike で日本勢も一定の勝利結果は出していましたが、人の輪・経済圏としてこれらタイトルの主導権はアメリカ・ドイツ・スウェーデン・韓国にあり、日本にはありませんでした。
そのため、2007年当時は「日本は昔から強いゲームもあったものの、StarCraft や Couter-Strike の主導権は他国にあった」ことを指して「esports 後進国」と言っていたと捉えると辻褄が合います。
この2007年というのは、これらの国々で “esports” という単語が業界で定着しつつありました(註10)。とはいえ今と同程度ではなく、最高優勝賞金額も500万円くらいです。安くも高くもなく、第三者がビジネス・興業として計算すると現実的な金額だったと感じます。
また、この頃はライブ配信はなく、大会を見るには現地に行くかDVDを買う必要がありました。運が良ければようやく現れた YouTube というサービスに試合映像がアップされます。人に依っては、ウェブサイトに直接貼り付けた数MBの動画ファイルをダウンロードして直に視聴するタイトルもあったと思いますが、試合時間が長いゲームはそうも行きませんでした。
2007年頃からは Justin.tv というライブ配信サービスも利用可能でしたが、現代技術ほどの安定性はなく、大会側もライブ配信をする意識はそこまでありませんでした。Twitter やスマホも普及しておらず、世界中の人間が一斉に大会を視聴して興奮するエクスペリエンスは存在しませんでした。注意頂きたいのですが、現代と似たサービスがあっても、マインドや習慣があるとは限らないのです。
[2007年 “ESL” の様子。厳密には
第一回 “IEM”
。おそらく Counter-Strike 1.6 をしているところ。画像は
ESL ウェブサイト
より。]
運命の2011年
Mod や第三者大会が動き回る00年代から一転、2011年に劇的な変化が訪れます。
この年、
- League of Legends (LoL)
- Dota2
- Counter-Strike: Global Offensive (CS:GO)
が一気に生を受けます(正式版もしくはβ版)。
CS:GO はその名の通り、Counter-Strike の正式な後継です。そして LoL は上述の “DotA Allstars” 元開発者の息がかかった有望タイトルです。更にそれに後を追い、Valve 社(Counter-Strike シリーズ版元であり Steam の運営)が権利問題を全て解決させ、満を持して正式な “DotA” をリリースすると発表。これが “Dota2” です。この経緯についてはこちらの Red Bull さんの記事が詳しい です。(註11)
特に LoL, Dota2 は生まれた時から esports でした。2010年まで “esports” という意識のあった特定のタイトルをプレイしていた皆は今までにない波を感じ、一斉にプレイしました。CS:GO を加えたこの3タイトルは10年経った今でも競技として現役です。
そして LoL, Dota2 はすかさずゲーム会社が親ら公式大会を世界規模で開催しました。第三者ではない、第一者 (1st Party) の大会が産声をあげます。
特に Dota2 公式大会の優勝賞金は1億円にのぼり、賞金観は激変。おそらく現代人が思う「esports は賞金が高い」という発想はここで生まれたはずです。
Esports 文化圏の話題は LoL, Dota2 にさらわれました。この当時の熱は、ドキュメンタリー “Free to Play” でご覧になることが出来ます。
[Valve 社が Dota2 の2011年を描いたドキュメンタリー Free to Play 。知り合いも出演しているので必見。現在なんと Netflix でも視聴可能。]
補足ですが、この前年の2010年には “StarCraft Ⅱ” が発売され、esports 文化を牽引していました。“GSL” といった第三者大会が興隆しており、優勝賞金が800万円として大いに話題でした。しかし 2012年から StarCraft Ⅱ も第三者大会から、ゲーム会社が主催する 1st Party 大会へシフトして行きます。第三者大会から 1st Party へ、版権者の手元に競技が還る「渦」が回っていました。(註12)
更にこの2011年、ライブ配信サービス : Twitch がリリースされます。スマホも普及しはじめ、Twitter, Facebook といったソーシャルメディアが広がります。人類はゲームの大会をライブ配信でリアルタイムで視聴し、興味がある仲間たちと一斉にツイートする時代がやって来ました。
おそらく現代の人類が “esports” と言われて想像するであろうエクスペリエンスは、まさにこの2011年に LoL, Dota2, CS:GO を中心とする文化圏で生まれました。
Esports の2013年
ただ、この2011年に日本の方がどれほど esports を意識していたでしょうか?日本でも StarCraft, CS:GO, LoL, Dota2 …等をプレイしていたプレイヤーは居ましたが、当時の日本格闘ゲームでのキーワードは「プロゲーマー」であり “esports” ではありません。梅原大吾さんがスポンサーされてプロ化したところが話題の中心でした。筆者の大学では『ポケモン』対戦が盛んであり、筆者の居た部室では『ぷよぷよ』の100先の話をしている方がいらっしゃいました。そして筆者はスマブラ勢です。
これは伝聞ですが、アメリカでもこの空気は同じでした。CoD勢はCoDをプレイし、Speedrun組は GDQ を立ち上げ、格ゲー勢は雷撃蹴にキレていました。「賞金1億円」はまだ対岸の祭でした。
そんなある日、2013年9月。LoL の年間ファイナル “Worlds” がアメリカはロサンゼルスで開催されました。
LoL Worlds は洗練された競技イベントでした。1年間をかけて各地域の代表チームを選抜し、代表14チームが1ヶ月をかけて世界最強を決定します。試合は全てバスケスタジアムで行われ、チケットは現地民のみならず世界中のファンが詰め寄せて完売します。
実はその1年前も同市での開催でしたが、2013年は規模が拡大。ロサンゼルスは話題で持ちきりになりました。更にこの年は現代にも続く Cloud9, TSM といったアメリカチームが活躍し、前年の波にも乗って現地の温度感は高揚します。決勝戦の SKT vs Royal Club はアジア勢同士のカードでしたが、会場は Staples Center であり収容は2万人。大変な注目度となりました。
この話題性は嘗てないものがあり、アメリカのスポーツメディアが報ずるようになります。
「これは esports だ」
と。遂に西海岸の投資家が目をつけます。アメリカの esports チームは独立企業でしたから、出資を受け、時価総額何十億円というチームが登場しました。年々その額はエスカレートするようになります。
Esports 文化圏の台風の目は、急激に LoL に移行するようになりました。
[古今東西で活用される “esports” の代表画像。
LoL Worlds 2013 Final
LA Staples Center の景色。出典:BAGOGAMES/CREATIVE COMMONS]
“Esports” とぐぐれば、この Staples Center の画像(↑上図)がヒットします。すぐヒットするため、国内で実績のない「esportsイベント」がプレゼン資料で「この画像」を使用することがよく揶揄されます。しかし、それはご尤もです。このイベントはそれまで10年とは規模の異なる衝撃があり、本当にぐぐるとヒットするようになりましたから。
[全世界でのトレンド, esports について。上記の LoL Worlds のあった2013年9月に大きく跳ねる。
Google Trends
]
この勢いに乗って、他のゲームも “esports” を名乗りはじめたと感じています。
それまで FGC は “FGC” であり、スマブラはスマブラであり、100先は100先でした。“Esports” と聴けば思い浮かべるのはなんとなく「あの洋モノのPCゲーで戦ってるヤツ」という印象であり、自分のゲームまで esports という認識はありませんでした。
しかし、この LoL Worlds 直後に筆者がアメリカでのスマブラ大会に行けば急に皆が League of Legends をやっており、それまでは “〇〇 Gaming” しかいなかったゲーミングチームも “〇〇 Esports” という名前のものが湧いてきました。
「俺たちも esports だ」
という意識が、他のゲームの中にも芽生え始めていました。加えて言えば、この頃に父の口からはじめて「お前がやってるのって esports ??」と訊かれました。
このトレンドは遅れて日本にも押し寄せます。日本で流行っている LoL は勿論、格闘ゲームなどアメリカで強かったタイトルから esports のトレンドが日本にも流入します。
例えば2015年には日本に「プロゲーマー専門学校」が登場します。現代をご存じの方は「あれ、Esports専門学校じゃないの?」とも思うはずです。この時点では名称は「プロゲーマー」であり、「Esports 専門学校」となったのはその数年後です。 “Esports” という単語は日本語でも当初は汎用ではなく、こうして「俺たちも esports」という波と共に徐々にやって来ました。
当然ですが esports は舶来の概念です。Esports 概念論を吟味する際、筆者の今回の視点は忘れて頂いて結構です。しかし、日本語で「スポーツとはなにか?」の議論に終始するのではなく、こうした英単語として旅をした道を確認する視点は忘れないで頂きたい、と常々感じています。
[「Esports はスポーツか」について、英語圏でも大変な議論になっており決着はついていません。画像引用元に議論のほどがあります:
View Sonic “Is Esports a Sport?”
]
注意点
イメージを改めて頂きたいのですが、第三者大会時代(MLG 等)は esports イベントと言えば複数のゲームタイトルを一つの大会で扱うことが一般的でした。しかし、ゲーム会社(= 版元)の 1st Party 大会時代に入ると、esports というものは1つの大会で1つのゲームタイトルのみを扱うことが一般的です。
さもありなん。版元が運営しているので、他の会社のIPを扱いたいはずがありません。思考実験頂いても、現代でクラロワの招待制大会と同じイベントの中で CoD の世界選手権を行うことは余り無い、ということは納得頂けるでしょう。
日本の方なら例外がすぐに思い浮かぶでしょう。EVO です。この複数格闘ゲームを扱う祭典は2010年よりも前に始まっているため、今もその形を残しています。同様に、現存する DreamHack なども2010年よりも前に生まれています。
その後
この後、2015年ごろから少し雲行きが変わり「ストリーマー」(ライブ配信者)が台頭する時代が来るのですが、今回申し上げたかった趣旨は是迄ですので詳細は割愛します。
2017年、世界でバトロワ系ゲームが大流行します。特に “PlayerUnknown’s Battlegrounds”(PUBG)は火付け役であり、続いて “Fortnite” が現れ、日本でも大量にゲーミングPCが売れる現象を呼び起こしました。バトロワ系というジャンルの登場により、「大会」から「個人」へ、文化の主導権は着実に移って行きました。
ただタイトル・ジャンルが変われども、已然「俺たちも esports だ」の流れが変わる訳ではありませんでした。
2013年以降に生まれたPvPタイトルは、esports を名告ることにためらいは無いでしょう。「Fortnite で大型賞金大会」というニュースは、迷うことなく日本でも esports として報じられました。
PUBG も “Apex Legends” も、 “Hearthstone” も “Shadowverse” も “Rainbow Six Siege” も “Overwatch” も “Rocket League” もそうです。
新しく入られた方は、既存のゲーマーが「eスポーツ元年」の話題を挙げることに疑問があったことでしょう。PvPや全国大会は昔から存在したのに、なぜ元年が有るのか、なぜ議論になるのかは、本能・直観が備わっていないと意味が分かりません。
筆者の主張としては「俺たちも esports だ」という価値観が、新たに広まり始めたからです。
筆者の認識ですが「日本は esports 後進国」という表現は現在の実態に沿わないのですが、着実にこの表現は存在していました。ただこの表現は、上述の通り2013年以前は「StarCraft や Counter-Strike など特定のゲームの対戦」のことを esports と表していたので用いられた、という視点は憶えていて欲しいです。
断りたいですが、決して「俺たちも esports だ」という流れ自体は悪いものではありません。着実に esports という大義名分のお陰で、筆者の友達は増えました。普遍的で横断的な “esports” がなければ C4LAN は無かったでしょうし、SHAKA さん等と「圧村」で Among Us をすることも無かったでしょう。
[ネットスラングで “We esports now?"(「このゲームはもうesportsって呼べるほど盛り上がりましたか?」の意)があります。例えばこの動画 WE ESPORTS NOW! は Overwatch です。実はこのスラングは 2013-2014頃の『スマブラDX』から来ており(ソースは reddit )、いかに「俺たちも esports だ」と言いたいがために躍起になったかが伝わって来ます。]
スマブラについて
最後に、筆者の出身地であるスマブラ勢についてどう考えているか述べます。
「スマブラは esports なんですか?」これは頻繁に訊かれる質問です。たいていの議論は、スマブラがゲーム性が esports ではない・賞金額が esports ではない、とかに終始します。ただ今回は「スマブラは人が esports ではない」と申し上げたいです。
日本スマブラ勢はスマブラに興味あるファンの獲得・活用には成功しています。ただ、「CS:GO 圏の人にスマブラを観戦させたか」というとそうではないと思っています。CS:GO をしている方は Valorant や PUBG を、時には LoL を観戦するでしょうが、スマブラは文化圏的にまだ離れていると感じています。
これは「スマブラは格ゲーか?」の議論でも同じです。
抽象的に表すと、スマブラは「エレクトロニックなスポーツですか?」と訊かれたら YES なのですが、「esports ですか?」と言うと NO ということです。
ではこれを解決するべきかと言うと、そうでも無いと思います。スマブラは境目の2013年よりも前に生まれたゲームですし、独自の文化手法を築いていました。そのため拡大を図るならば:
- いかにゲームやってない人に見せるか
- いかに学校や職場の知り合いを引き込むか
- いかに親に見せるか
といった所が開拓しどころだと考えています。
ただ、もし筆者とは違って、「スマブラが “esports” として注目されたい」という意志を持った方がいらしたら、一度今回の視点:日本のLoL や CS:GO の文化圏へ送り込む・人を繋げるという視点を持って頂きたいです。
以上
これが、けっこうアメリカ視点のスマブラ勢である筆者からの esports 観でございました。これが全情報ではないにしろ、この視点が無かった方への輔けになれば幸いです。
丁度良い機会だったので、この1年でアメリカ西海岸の知り合い群にあたり、こういった視点を揃えました。今回は特に「2013年」を中心にするがため DotA 系の話が中心になりましたが、本当はもっと Counter-Strike の流れや、DreamHack などの LAN Party、スマブラと MLG, EVO 等の繋がりも追いたかったのですが、既に量が多いためまたの機会に。
ただ ESL についてだけは、途中で述べましたが特筆したいです。ESL と Counter-Strike が esports を広めたという視点は着実に存在すると思います。ただ筆者からは2つツッコミがあります。一つは ESL は2000年の命名時点では Electronic Sports であって esports ではないということ。もう一つは、当時 electronic sports の字面でも普及していなかったためこの固有名詞で商標を取ることが出来たということです。
そのため、今回は2000年の単語としての esports 登場について KeSPA の方に焦点を合わせました。
謝辞が最後になり恐縮ですが、今回そもそものきっかけとなりました「日本は esports 後進国」の出典情報を下さった Yossy さん, 最初に査読頂いた Okawa さん, かなり多くの情報を頂いた uNleashedjp さんには感謝を申し上げます。ありがとうございます。
締めに布教ですが、今回中心に触れた Dota2 をご存じない方へ。筆者が好きなドキュメンタリーがあり、日本語字幕もついていますので是非御覧ください↓。
[ OG’s comeback to win DOTA 2’s TI8 | Against The Odds …「ああ競技ってこういうモノなのか」ということが誰にでも伝わる一本です。]
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初のプロゲーマー Thresh についてはこちらが日本語で詳しいです: 『プロゲーマーの先駆け的存在・大会に優勝しフェラーリを獲得した伝説を持つ「Thresh」がeスポーツの殿堂入りへ』Negitaku.org ↩︎
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Thresh 当時のインタビューにて “making six figures just from sponsorships alone” gameinformer と供述。 ↩︎
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日本を中心に、1990年代のPCでのネットワーク・インターネットの接続状態を表した 翌週さんの記事がこちら ↩︎
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StarCraft の対戦マッチング方法である “Battle.net”(現存)は1996年時点で稼働していましたが、様々な理由により誰もがオンラインのランダムマッチングをしていた訳ではありません。また、当時のあらゆるゲームがマッチング方法を持っていたわけではなく、Mplayer.com などの外部ツールを用いてマッチングすることが一般的でした。(現存しないサービスですが Mplayer.com の英語 Wikipedia がこちら ) ↩︎
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2000年当時の韓国での興業例: KBK Masters ↩︎
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当の Half-Life についてはゲーム会社が mod 開発用の SDK を公開していました。日本の方の考える「改造」と海外の “mod” はどう異なるのか、その温度感は Mod に関するニコニコ大百科 が参考になります。ごく近年ですと Dota2 の mod である “Auto Chess” が今回の文化に該当します。 ↩︎
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Counter-Strike は競技シーンが 5v5 に落ち着きましたが、オンライン上では 8v8 や 12v12 など様々なルールが対戦募集されていました。 Liquipedia に過去バージョンの系譜 があるため、今でも確認が可能です。 ↩︎
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「日本はesports後進国」と記録がある2007年のもの: CNET Japan ↩︎
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SK Gaming や、その象徴的スターである Fatal1ty が活躍していた 2005年には esports という単語が一般的であったと、かの uNleashedjp さんがおっしゃっており、 WCG 2005 日本予選インタビュー にも “e-sports” と述べられています。最終的に頓挫したものの2007年には海外で 大きな大会 が計画されていました。日本でも2007年に 『日本eスポーツ協会設立準備委員会』が発足 しています。 ↩︎
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本編では割愛した内容があります。CS:GO ははじめ人気が不調であり、今のような盤石の地位を得るには2013年以降の CS:GO Major 構想を待たねばなりません。また、Dota2 の登場につきまして(上述の Red Bull さんの記事にありますが)本来は “Heroes of Newerth” というタイトルが関係します。ただ、CS:GO Major 方式も、 Heroes of Newerth からの Dota2 発表までの流れも、同様に「第三者型から 1st Party への移行」という文脈にあたります。 ↩︎
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StarCraft Ⅱ にて、2010年に優勝800万円として話題であった GSL 、および2012年以降に版元が主導した Battle.net World Championship ↩︎