恋心は超グリーディ

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May 7, 2021 - gamerlogy esports

最強の可視化問題

ゲーマーの間では「最強」は可視化されるようになりました。便利で有用な面が大きいですが、これによる目立たない弊害がわずかにあります。一度文章にまとめたいと思いました。

「最強の可視化」は、対戦ゲーム(特に esports と呼ばれて扱われるようなタイトル)の最上位層・強弱の差が可視化したという意味です。

調べれば筆者と同様の論調は見つかりますが、「今後どうすべきか」提案で筆者の意見を出せればと思い記しました。今日はだいぶ曖昧なお話しなので、少しテキトーな口調に出来ればと思います。

背景:最強の可視化とは

以前、インターネットはなく、もしくは影響が少なかったため、人々は好きなことをしていました。一方で、良質な情報や上達するための正しい方法を手に入れるのは非常に難しいものでした。筆者も間違ったセレビィ入手裏技に踊らされ(註1)、暗黒王デスフェニックスを軸にしたデッキ(註2)の構築に独りで必死になりました。

2010年くらいの時点では「最強」はそこまで可視化されていませんでした。「初心者向け情報がない」「上位勢が意図的に情報を隠している」などという謂れなき指摘はガンガンあがっていました。翻って2021年現在。記事・Wikiだけでは補い切れないような機微もカバーする指導動画が大量に有り、情報の面だけで言えば誰でも強くなるステップが手に入る時代になりました。なんとも良い時代になりました。

問題点

しかしながら、情報が有るお陰で、その結果ハードルはどこか上がってはいないでしょうか?

現代では動画(VOD)でもライブ配信でも、何でも情報が目に見える形で手に入ります。オンライン対戦が実装され、見知らぬ強者と次から次へ対戦することになります。現代のオンライン対戦では腕前を上げてステップアップしても、また次の強者と対戦するため苦しいという心理は、既に指摘されている所です。
更には大規模大会は当然のようにライブ配信され、最強プレイヤーの試合は共通財産としてプレイヤー誰もが知るものとなりました。

すると、いまや対戦ゲームでは強キャラを誰もが知る状態になり、誰が「最強」なのかを知っており、自分の好きなカードでゼロからデッキを組むというよりかは一旦有名構築を検索して学ぶようになっています。「最強が可視化」されている状態です。

嘗てはインターネット対戦もなかったため、各地の友達の輪で可能な限りの対戦を行い、一つ一つの輪は中々接点を持つことはありませんでした。ただ、現代では便利になったため、オンライン対戦で世界のプレイヤーは一つの「大きなピラミッド」に組み込まれます。
その結果、リア友をシバいてイキる場は減りました。自分の腕前が客観的にわかってしまい、心理的なハードルが生まれます。独善的な戦術を記した謎の同人誌などを見かける機会は激減し、仲間内でしか通じない専門用語も減りました。

勿論、心理的ハードルを解決するための議論はゲーム開発の方の間で頻繁に行われています。そのため現代ではゲームのマッチングにも工夫があり、PvE要素も充実しています。それでも Google などの検索エンジンや Twitter などのソーシャルメディアがある限りはプレイヤーが嘗てのように「独善的」になることは難しいと思います。「井の中の蛙」状態で楽しかった面は封印されました。

これが「最強の可視化問題」です。

事例

嘗てはゲーマーは独善的でローカル的でした。マンガ『ウメハラ FIGHTING GAMERS!』(角川コミックス・エース)をご覧になっても、90年代当時出回っていた情報の量と質を感じ取れるとは思います。ゲーム関連ではありませんが、マンガ『頭文字D』も現実に背景を基づいたフィクションです。この作品は群馬県某市での地元最強ストリートレーサーが、隣の市の最強と戦うことをモチーフにしています。ゲーマーの読者の方は思い出してほしいですが、今までどれほど「市の代表が隣の市と戦う」という状況を目撃されたでしょうか?

逆に今では大学の文化祭にもプロゲーマーを招待します。関東外の県でイベントを行うにも東京のプロゲーマーを招待します。2020年に新しいゲームが出れば、様々な事業者が「最強のプロを集めたクオリティの高いイベント」を毎月のように実施していました。

この現象はゲーマーに限らず、普遍的に起きていると考えています。例えば食品:お茶漬けやワインのブドウ品種で似た例があります。(註3

“代替メッセージ”
[ワインでは商業化が進んだ結果、最適化された品種が幅を利かせて伝統的な品種が隅に追いやられる現象を「多様性の減少」と表します。スクリーンショットは Winebooks チャンネル より。]

その結果どうなったのか

ここまでに最強を可視化した結果、全プレイヤーは「大きなピラミッド」に組み込まれ、自分の身の程を知ってしまう問題について述べました。ただ、最強の可視化は実力・腕前の問題のみに留まらず、人間関係にも影響します。

ピラミッドに組み込まれた結果、ローカルコミュニティの権威が低下しました。「ローカル」というのは、物理的・地理的にもそうなのですが、リア友・Twitter の FF・同じ Discord 仲間など人生的に近いという意味でもお考えください。
今はリア友の言うウソかもしれない口コミよりも、 Twitter の RT を情報源にしていることでしょう。おそらく、皆様が目撃した経験のあるイベントも、友達同士を集めて開いたモノよりも、プロ同士の試合が多いことでしょう。

これは問題でしょうか?業界全体から内輪感は減り、専門用語は統一され、現代では多くの企業大会も提供されています。一見良さそうな状態です。

問題はあります。ローカルコミュニティが無いと、逆説的ですが他人事感が生まれてしまいます。ローカルな繋がりがあれば遠くで大会が開かれていてもどこか親近感がありますが、どのローカルコミュニティにも所属しない人間は大規模大会に他人事感を覚えてしまい、総じて炎上しやすくなります。簡単に言えば「大きなピラミッド」はそのシーンの盛り上げには逆効果となります。逆説的で分かりづらいですが、この理屈については過去に述べたためこちらをご参照ください:

おそらく今しっかり定着しているゲームは、リアルの友達同士でプレイする文化があると感じています。日本での Apex Legends がそうです。また、オフラインでの対戦が主流のゲーム:ポケモンカードやアナログのボードゲームも、性質上リア友を勧誘する方が多いと感じています。プレイヤーが何かしらの場:学友・職場・店などに所属しています。これはローカルコミュニティが有る状態です。
これですと在野の一人一人のプレイヤーに、人とつながるエクスペリエンス・ストーリーがあります。井の中の蛙の方が幸せな人間は多いはずです。

まとめると、最強が可視化された結果、実力面で心理的なハードルが生まれるのみならず、ローカルな人間関係の形成が希薄になる現象があると申し上げます。

“代替メッセージ”
[最近よく言われているゲーマーの「井の中の蛙」と「ピラミッド」の図式化。]

数字主義

ではなぜ独善的な「井の中の蛙」の時代から、「大きなピラミッド」へ移行したのでしょう?これが普及した原因には「数字主義」がある、というのは筆者の日頃の持論です。現代は「数字 vs 感情」です(註4)。これについても、過去に記した理論がありますのでご参照ください:

特にゲーマーの方は、どこかで「数字が取れるモノが良いモノ」という偏見に陥っていないでしょうか?人間の評価指標が:

  • 「ライブ配信が見られた回数」
  • 「アーカイブの再生数」
  • 「ツイートのインプレッション」

になってしまうと、全ゲーマーは一直線上に並べられ、数値で序列化されることになります。現代では「最強」は、ゲーム内レートや年間ポイントだけでなく、こうした再生数・RT数で可視化されています。誰が最強なのか客観的に分かっており、最強にまつわるイベントを開催することが全主催者の最適解となります。「最強」は崇めるものであり、当然知っておくべき正しいものになってしまいました。

法人・自治体・中には個人の方ですら、イベントを企画する際に「盛り上げよう」として、KPIとして「数字」を用いてしまいます。指標が数字ですと、どんなイベントも最適解は有名プレイヤーやストリーマーを招待することになります。

こうした価値観はイベンターのみならずプレイヤー・若い世代まで広く行き渡っており、コンテンツを楽しむ際も数字を意識してご覧になっているはずです。その結果、日頃ゲームを遊ぶ時点から「プロは大事だけど自分みたいな弱い人は意味がない」「自分がライブ配信しても見る人がいないから意味がない」といった発想が蔓延しています。自分のことを井の中の蛙的ではなく、ピラミッドの中で数字的な相対序列で捉えてしまいがちです。

いや、そもそも最適解が存在すること自体が数字主義的な発想です。本来はゲーマーが楽しむ要因全般というものは:

  • 「自分がどう楽しかったのか」
  • 「私が得られるエクスペリエンスは何か」

といった個人個人の「感情」で語られるべきです。その客観的評価方法の一つとして再生数やインプレッションといった数字があったと思いますが、今は主従が逆転し、数字から考えてしまうことが増えました。

スポーツであれば、部活や区大会で、「再生数がいくつでした」といった評価を拝見していません。ゲームでは皆様の中にも「Among Us をプレイ中は心拍数120だったが Valorant では100だったので、Among Us の方が楽しい」といった数値で趣味の上下を評価する増上慢はいらっしゃらないはずです。なのに「ライブ配信しよう」「大会を開こう」と動作を取ろうとすると何故か数字の話ばかりになっていまいます。これがおそらく、日頃から「最強」ばかりを消費しているマインドの弊害です。

“代替メッセージ”
[1874年『第一回印象派展』に出品されたルノワール『桟敷席』。この伝説的な展示会は「100万回再生された!」はずもなく、注目度は当時の『サロン』の方が上でした。しかし、当時の落第画家たちが集まって新しい価値を提示したから現代まで伝わる名声があります。Photograph by Mike Peel ( www.mikepeel.net )]

どうするべきなのか

「最強の可視化問題」というのは、最強が可視化されることを否定するものではありません。最強を可視化することで得られるメリットを人類は役立てて来ました。攻略情報が溢れているのは良いことですし、最強のゲーマーが招待されることで仕事になれば喜ばしいことです。

「最強の可視化」によるデメリットだけをなんとか対処するべきと考えています。最強を可視化した結果ローカルコミュニティを弱めてしまう問題には、どう対処すべきでしょう?「感情」を思い出すとはどういった手法があるでしょう?

「イベントが盛り上がりました」という報告をスポンサーや関係者に送らなければならないのはご尤もです。「数字を無視しろ」とか「同時視聴1000行っても意味はない」とは申しませんが、数字を得ることだけ考えて計画を立てることからは脱却して欲しい、と今回申し上げます。感情が主であり、数字は従のはずです。

①日頃

日頃のゲームプレイに関して筆者が申している解決策は、「弱者の可視化」です。そんなにゲームが上手くない人でも、自分のプレイ映像をツイートするべきです。最近はコンソールゲーム機にもシェア機能がありますのでだいぶハードルが下がりましたが、それでも遠慮しがちな人も「自分がツイートすることで、もう少し上の腕前の人のハードルを下げられる」と思って発信して下さい。
また、他のゲーマーというよりは、友達や職場の仲間に向けて布教することも有効だと思っています。

②イベント

イベント運営の方でしたら、少し視点を替えましょう。どうしてもKPIが必要であれば、視聴者数ではなく参加人数で測ってはいかがでしょう。他にも、何人がツイートしてくれたか・アンケートの満足度・リピーターの数といった指標を重視することも活きます。また、どうしても日本最強のイベントを目指しがちですが、予算が同じならば各回は安くても良いのでイベントの定例化も人の輪を形成します。「企業イベントですとどうしても難しい」とおっしゃると思いますが、それについては次章『誰がやるべきなのか』を御覧ください。
少しゲーム業界だと難しいかもしれませんが、イベントのチケット・グッズ売上を評価するのも有効です。(ここは各タイトルのガイドラインに則って下さい。)

オフラインイベントがございましたら写真も大事です。ただしステージではなく、参加者の写真も意識しましょう。有名ゲストが登壇して喋っている絵は、部外者からすると正直どこを見ても似たようなものなのですよね。それよりも参加した一般人がどのようなエクスペリエンスを得たのか、楽しいのか真剣なのか、そういった感情が人を呼び寄せます。

③視聴

そしてイベントを視聴している方は、ゲームをしないリア友や、他ゲーをしている人に自分の好きなタイトルをガンガン布教しましょう。この布教力は界隈に依って大きく異なります。同時視聴1000でTwitter全国トレンド入りするイベントもあれば、1万を超えてもトレンド入りしないイベントもあります。トレンド入りを絶対視する訳ではありませんが、布教している人が多いとそこに人の輪が生まれます。
例えば諸学会というものは、「同時接続1万人」とか行く訳ではないのですが、そこに人の輪があるから信頼されています。

“代替メッセージ”
[上述「壇上ではない参加者」の写真。スマブラSPのオフ大会『ウメブラ』の一幕。 @darimoko 出典

誰がやるべきなのか

上の解決案を申し上げますと、すぐに「企業がこういった大会をするべきだ」とか「ゲーム会社が初心者向けの策をするべき」とユーザーから語られがちですが、筆者は逆で考えています。むしろ日本はゲームイベントに関して企業運営は多くてしっかりしている国です。
企業ではなく、在野のプレイヤーにこそ立ち上がって欲しいと今回改めて申し上げたいです。

そこまでゲームの腕前に自信が無い方も、独善的になって、仲間内だけで集まるような大会を開きましょう。所謂「コミュニティイベント」です。もしくは、日頃から Discord サーバーなどを作り、小さな仲間だけでローカルルールで対戦するべきです。安心なさって下さい。もし視聴されていなくとも、RTされなくとも、誰も批難する者はいません。それを卑下する存在は、数字主義を背負った自分しかいません。

パッと思いつく例ですが、どういった方が実際にいらっしゃるか動画で紹介します。

[独自コミュニティの例。動画はこちら スマブラTOプレゼン会:クロマキバレット『クロブラの取組みについて』


[北海道でのスマブラ勢の活動についてのプレゼン。動画はこちら スマブラTOプレゼン会『HSTの活動について』

少しハードル高く感じてしまうかもしれませんが、 『こみゅリポ』の過去回 を探ってみてどのようなゲーマーイベント運営が居るのかも見てみると参考になると思います。

この話題に関しては、ゲーマー自身が今なぜ・どのように大会を開くべきか過去に記しましたので以下をご参照ください:

今回は「数字主義」を克服するために、ゲーマー自身が数字や周りの評価を気にせずに、好きなものを布教することを提案します。

プレイヤーvs運営

注意せねばなりませんが、「ゲーマー主導のイベント運営」とは異なり、「現役プレイヤー」は動画で広告が再生された回数が年収に繋がるため、どうしても数字主義になりがちです。ここで2つ申し上げます:

  • i) プレイヤーの数字主義を、イベント運営の価値と混同してはいけない
  • ii) プレイヤーも広告モデル以外で収入を安定させるべき

i) については、クリエイターではない視聴者側もどうしても数字主義になりがちですが、コミュニティ形成は数字ではありません。クリエイターでも無い方が、自分の参加するイベントについて数字でとやかく心配する必要はないはずです。ましてや大会運営や Discord サーバーを運営する者もこういった価値観に支配される必要はありません。
心無いプレイヤーが「視聴されない大会やる意味ない」とおっしゃるかもしれませんが、それは価値観を混同しています。そのイベントがなくなって困る視聴者は少ないかもしれません。他のイベントを視聴すれば良いですから。でもすごく困る参加者は着実に存在するのです。

また、ii) について、そもそも数字が年収に影響する状態は不安定であると考えています。実際は、筆者が都合上ストリーマーの方を相手にしていると、今は数字を取ることをアドバイスしていません。例えば自分の視聴者の輪を強く形成することを申し上げています。

以上

以上、今回は「最強の可視化」とは何か、それによって最適化が進んでローカルコミュニティが弱体化するといった問題点と、どのように解決すべきかの主張を述べました。

今回のサブテーマですが、個人のエクスペリエンスはざっと統一して数字にしてしまうと、価値が見落とされてしまうのですよね。本来同じ整数値でもエクスペリエンスは同じではないはずです。例えば『東進ハイスクール』の看板文言も「〇〇人合格」なのであって、「講義が100万回再生」ではありません。東進の講義も別にオープン動画制ではありませんが、仮にそうだっとしても「合格」と「視聴」というエクスペリエンスは同等ではありません。大事なエクスペリエンスというのもが、どなたにも有るはずです。

数字が先行しがちな現代ですが、一人一人のゲーマーが楽しむためには、ゲーマーが何をせねばならないのかを思い出して欲しいと常々申し上げています。人間が「面白い」と思うことを追求して欲しいです。
これはつまり、いつも通り、最終的には “Authenticity” を追求して下さいということなのです。それについては以下をご参照ください。

追記

2021.8 に追記しました。よく疑問を頂くからです:

  • 「プロシーンのあるスポーツは、ゲームと比べてハードルが上がっている訳じゃないじゃないか。学校で部活をやっている人はいくらでも居る。」
  • 「最強の可視化が問題なら、どのゲームも esports 化を辞めたほうが良いのか?」

という内容です。

筆者はスポーツ・ゲームのプロシーンについて好意的です。文中でもスポーツについて触れましたし、筆者は日頃は大会運営ですので、自明にも見えますが改めて申し上げます。

繰り返し申し上げますが、「最強の可視化問題」というのは、最強が可視化されることを否定するものではありません。そのデメリット部分だけを対処するべきです。
スポーツにはプロシーンがありますが、部活もあるため「弱者の可視化」が行われています。部活ではどの学校も毎日全国レートで評価されるわけでは無いですし、大会の視聴者数が見られる訳ではありません。

スポーツについては最強の可視化問題とは矛盾するのではなく、寧ろ理想的な状態にあると考えています。最強プレイヤーは可視化されていますが、初心者も独善的に楽しむ環境があります。

そのため、最強の可視化問題を提言するというのは「非 esports 化」と言いたい訳ではなく、寧ろのその逆です。筆者としてはゲームをより楽しむためには esports 化(=「競技化」)を進めるべきという考えであり、それと並行して在野のプレイヤーが独善的に楽しめる土壌が必要だと考えています。



  1. 『ポケットモンスター金・銀』では、通常手に入ることのない伝説のポケモン「セレビィ」を入手する方法に関して、様々なウソが出回っていました。筆者は当時アイテム「きんのはっぱ」「ぎんのはっぱ」を用いたガセネタを学校の友だちから掴まされ、結局セレビィは手に入りませんでした。 ↩︎

  2. 『デュエルマスターズ』で当時発売された「暗黒王デスフェニックス」はカッコよかったのですが、個人的に実戦ではロマン要素が拭いきれなかったと感じています。当時で言えばクリスタルランサーやアストラルリーフを使った方が堅実に強いです。 ↩︎

  3. お茶漬けについて:[ 1 ][ 2 ]。つまり、40年ほど前ならばご家庭の味が多く、各自がバラバラなレシピを持っていお茶漬けですが、現代では商品化が進んだため、イメージの統一化がなされています。本来は好き勝手に各自で作っていたモノも、最強の可視化によって最適化されています。
     ワインについては画像のキャプションと同じく。 Winebooks チャンネル  ↩︎

  4. 「数字 vs 感情」は「功利主義 vs 義務論」というフレーズを意識しています。「功利主義 vs 義務論」は、例えば『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル)や『全体主義の克服』(マルクス・ガブリエル, 中島隆博先生)の中で見ることが出来ます。功利主義は語源とは異なりますが「数値最適化」のような意味で用いられ、義務論も「純粋な善悪の道徳観での視点」として用いられます。 ↩︎