恋心は超グリーディ

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Aug 9, 2022 - review others

ゼノブレイド3 ストーリー考察

こんにちは、5年ぶりゼノブレイド大好き伯爵です。久々に寝る間を惜しんでプレイした超大作JRPG『ゼノブレイド3』のストーリーについて考察しました。まだ発売から一週間であり、他の方の考察を見ていないのですが、ひとまず考えたことを記します。

こちらのブログ記事はプレイ済みの方向けに書いているため、ネタバレが嫌な方はご覧にならないでください。

本文の意図

今作『ゼノブレイド3』の舞台は前作 1, 2 の融合となるため、おそらく “考察” をされる方は個々のパーツの説明をされると思います。例えば:

  • 「ここの地域はこのアルスから来ている」
  • 「機神兵やブレイドがモデルになってる登場人物がいる」
  • 「ケヴェスとは新約聖書で “子羊” という意味である」

他にも各所の伏線といったところです。しかしながら、私がけっこう細かいところにズボラで、余り詰められないため、触れません。

本文は『ゼノブレイド3』全体を通したメッセージの確認をしようと思っています。ただ、今作は不明瞭な点も多く、私から見て「たぶん作った側はこんなことを考えているだろう」という推測で進めます。

“代替メッセージ”
ゼノブレイド3ウェブサイト より]

前提:過去作

ではこれまでの『ゼノブレイド』シリーズのメッセージは何だったでしょう?

『ゼノブレイド』は 1, 2 を通して、「人間 vs 技術」の対比を描きました。そして最終的に、1 では創造主を斬って世界を作り替える結論を選び、2 では世界を維持することを創造主と同意する内容でした。世界の「破壊」と「維持」これらが作品のメッセージであったと私は見ています。この対比に関しては、5年前にこちらの記事で述べています:

この最終メッセージに合わせて作風も選ばれています。1 では深刻な空気が描かれ、力ある主人公たちが未来を選び取る意志が描かれました。一方 2 は(1 と比較しても)世界が危機に瀕していたものの、暮らす人々が楽観的な様子が描かれました。この空気感は、今作『ゼノブレイド3』のケヴェス陣営・アグヌス陣営にも継承されていたと感じます。

備忘録:今作の内容

ここで一旦今作の内容をまとめておきます。私も数年経てば『ゼノブレイド3』の内容を忘れるでしょうから、そのメモも兼ねてです。内容はよく憶えてらっしゃる方々はこの章を飛ばして大丈夫です。

今作『ゼノブレイド3』は、『ゼノブレイド』1と2の世界が交わる内容です。1で作り直した後の世界と、2で保持した世界が自然と引き寄せ合い、「合流」(= 作中では「一つになる」と表現)するところが舞台となります。

しかしその合流は未知の領域です。合流した結果世界は消滅してしまうかもしれません。そこで1のメリアと2のニアが協力し、合流が無事に済むような技術(= オリジン)を準備し、その日を迎える準備をしていました。
それでもなお、合流した結果より悪い世界になってしまうかもしれません。合流は未知の領域にありました。…すると世界のまさに合流中に、人々の「未知なる未来への恐怖」が集まって、その合流を止めてしまいました。今作『ゼノブレイド3』は、こうして 1,2 世界の合流が中途半端に止まってしまった世界「アイオニオン」を舞台にします。

こうした世界観のため、今作は過去作に登場したものと類似した地名・地形・景色・モンスターが登場します。断った通り、地名で過去作との細かい共通点はリストアップしないため、他のファンの方々にお任せしたいです(私も読みたいです)。 まとめて申しますと、過去作の世界が融合した大地を、じっくり旅して行く内容となっています。広いマップは健在です。

一方、プレイヤーがワクワクするような広い大地とは裏腹に、登場人物の空気感は過去作を超えた悲壮感があります。 人間たちは10年という寿命(11歳〜20歳?)を与えられ、殺し合わないと生きていけないシステムになっています。お互いの命を吸い取ることで延命できます。

この世界を支配する管理者として、メビウスという人たちが登場しました。

“代替メッセージ”
[執政官(=メビウス)たち。本稿でも触れます。 ゼノブレイド3ウェブサイト より]

今作のメッセージ

では今作のメッセージは何だったのでしょう?今作『ゼノブレイド3』は「生きる」ことであったと私は考えます。

そして「生きる」ことには 未来・意志 が関係して来ます。

以下、個々の要素を説明することで「生きる」とは何だったのかを説明いたします。

“代替メッセージ”
ゼノブレイド3ウェブサイト より。ここに要約が全てあるのですが、本作は「命の物語」であり、生きるために戦い、寿命は10年なのです。]

未来

『ゼノブレイド』シリーズでは「未来」という単語がよく登場します。 ( “スマブラ” シリーズに出演するシュルクも勝利セリフとして「未来は変えられるんだ」が選ばれています。)

今作『ゼノブレイド3』では「未来」は「明日」という単語でも述べられています。
例えば軍務長の一人マシロは:

「立ち止まることは死ぬこと。戦わなくちゃ明日は来ない」

と言いました。この世界アイオニオンに済む人々は、戦わないといけないシステムの中に居ます。そのため、戦って勝つことで物理的な明日が来ると認識しています。主人公たちも最初はそうでした。

しかしこの物理的な明日はマクロ的に見ると現状維持に過ぎません。 アイオニオンの人は死んだ場合にまた蘇生するようになっており、全員が概ね同じ運命を繰り返すように出来ていました。 10年という短期間の人生をループするように出来ています。「物理的な明日」は、必ずしも「未来」を意味しません。

主人公たちウロボロス一行は、このループ・現状維持を抜け出して、本当の意味での明日・未来に行くことを目的とします。
具体的には、10年という寿命があるシステム・戦わないと延命できない仕組み、これらのない世界を目指していました。そのため、女王ニアに会って以降は2つの世界の合流を進めることを決意します。

この反対にあたる立場がメビウスです。
メビウスたちは「現状維持」を願っていました。作中では「今日」を繰り返すといった言い方もしています。

例えばメビウスとなった先代送り人のクリスは:

「足るを知る」

をノアに促して来ました。クリスは多くの戦友を送った結果、現実に絶望していました。

このようにウロボロス一行は多くのメビウスに会い、未来へ進むことへの拒絶を見せられます。
メビウスは首脳陣を除けば元は人間です。旧友のヨランは何度転生してもダメな自分だったことを嫌がっており、どこか諦めているところがありました。メビウスとしてヨランの相方だった執政官ディーは、命の火時計にこだわらない純粋な殺人鬼であり、時には同胞すら手にかけることを楽しんでいました。死生観や未来に興味のない人物でした。

こうしたメビウスたちに会い、時には同情するエピソードもありましたが、ノアは未来へ進む選択をしました。

未来に進むのかどうかが、生きることのメインテーマとなっています。
私も過去に記しましたが、『ゼノブレイド』1, 2 に登場する「因果律」という用語はリアルの人類史でも「未来」と「意志」に関係しています。

例えば今作第7話でオリジンに突入する前の会話で、「未来」と「思うこと」(= 意志)が「ゼット」(= 未来への恐怖)の支配の外に繋がるということが語られます。それでは生きることや未来に関係する「意志」がどういったものであるか、続いて見ていきましょう。

意志

「意志」は直接言及されることは少ないですが、「思い」といった単語で頻繁に登場しました。

例えばウロボロス一行が女王ニアに会った時、

「結局は意志」

と言われます。未来を望む意志があるならば先に進めるとのアドバイスでした。

生きることと意志については、今作『ゼノブレイド3』で様々な描かれ方をしました。特に、各コロニー毎に区分していたと見ています。
コロニータウの軍務長:ユズリハは死を受け入れており、意志がありませんでした。逆に、ライバル関係が描かれたエセルとカムナビは、生きることよりも大事な意志を戦いの中に見せました。ウロボロス一行ははじめ漠然と「生きていれば良い」という見解を持っていましたが、こうした様々なコロニーの意志と接することで「意志」の重要性に気付いて行きます。

意志に関しては『ゼノブレイド』シリーズの3本目として論じる価値のある重要なテーマです。例えば 1 では主人公シュルクが:

モナドは意志の力

と言っても、2 で主人公レックスが:

俺はこの世界が好きだ

と言っても、所詮は強い者の理論なのですよね。モナド・天の聖杯を持っているからこそ、意思決定して自分の未来を選ぶことが出来ます。
力が無い者・未来への希望が無い者・何をしても上手く行かない者は、未来/意志/託す …といったことに関われません。こうして「未来」をどうしたいかという「意志」を持つことを諦めた人はメビウスになりました。ヨランやシャナイア、そしてエヌがそうだったと思います。

おそらくシナリオの作り手のイメージとしては、『ゼノブレイド』の 1, 2 では主人公陣(敵役も)に共感出来なかったファンが、今作のメビウスに共感できるような構図にしたのだと私は思います。今作の主人公陣も結局はウロボロスの力があるから未来へ進むことが出来た面があるはずです。多くのプレイヤーはメビウスのように「頑張ってもそんなに人生上手く行かないでしょ」と感じる人間です。ただそれでも「意志を持って未来に進んで欲しい」というメッセージが制作陣からはあったのだと思います。

こうした「意志」は勝手に生まれるものではなく、「経験」で決まる様子が描かれました。今回の考察としては最後に、この意志にまつわる経験や一生に関する内容に触れます。

最後はまとめて「命」と見出しをつけましたが、ちょっと総合的な内容となります。

さて、先の段落で述べた「意志」はどのように発生するのでしょう?私がプレイしたところ、「経験」で決まると捉えました。例えば執政官の幹部でもあるワイは、人間は:

「経験を通じて生き方を決める」

と言っています。これは、生き方や意志というのは “命の火時計” システムや遺伝子によって決まるのではなく、誰と会って何をしたかで決まるという意味です。そのためノアとミオも輪廻する人生の中で、毎回少しずつ違う結末を迎えていました。コロニー30軍務長ルディもはじめは執政官の言いなりでしたが、ウロボロス一行と出会うことで機械をもっと大事にする決意をしました。

こうして10年の一生で得た経験やそこから生じた「意志」は、他の者達に「託す」ことが出来ます。 ウロボロス一行はヴァンダムさんに意志を託され、イスルギ軍務長やタイオンはナミから託されました。多くの人物が最期のシーンで何か思いを託す様子が描かれます。作風としては、命とは永遠であることが良いのではなく、死んだとしても「託す」ことこそが重要だと主張しています。

作中で散々描かれた「送り」という行為は、「託す」ことの象徴だと私は捉えています。意志を託すことが作品全体のメッセージと合致しているからです。「託す」とは作中で「思いを届ける」という言い方もしています。命を送っている訳ではないと考えました。
だって遺品だけをシティから送った際も光の粒子は発生していましたから、命を送っている訳ではありません。

公式ツイッター より]

「送り」に関しては作中で仕組みが説明されることがなく、厳密には不明瞭です。どこに何を届けているのかは私は見つけることは出来ませんでした。

もしかしたら、ここは私の推測ですが、『ゼノブレイド3』の世界では “命” と “思い” は全く同一のモノなのかもしれません。アイオニオンには遺体が多く路上に横たわっていて赤い粒子を出しており、これが「命」なのだと説明されていましたが、実は赤い粒子も “思い” に過ぎないのかと思います。
例えば執政官たちは、人間が頑張るほど「命が輝く」(= だから殺し甲斐がある)と言っていました。これは経験を積んで意志が強くなった人間ほど思いが強いので、命の輝きが思いの強さと相関があることにも辻褄が合います。
そういえば1000年前にノアはメビウスになりエヌと改めたにも拘らず、もう一人のノアが転生してしまいました。この理論ならばコレにも説明がつきます。現ノアはエヌの “後悔” だと述べられていました。確かにエヌはメビウスになったのですが、「こうであったなら」という思いが強く残っていたため、その思いが命になって現ノアが再び登場したのでしょう。
些細なことかもしれませんが、ノーマルクエストで「ためらいが生じた結果白い粒子が出なくなった送り人」の話がありました。これも命が思いであると捉えると辻褄が合います。思いを届ける覚悟がなければ白い粒子は出ないのであって、命の有無は関係なさそうなのです。

ちょっと推測の範囲が多いのですが、とりあず「経験」を通して生まれた「意志」=「思い」を次の世代へ託していくことが、「命」であるという構図だけは確かかと私は見ています。シナリオを作られた方はここをベースに全体を考えたのだと思います。

※ ちなみに「命とは何か」「生きること」を描いて、「託すことだ」という結論になる作品は多いです。有名なゲームですと FF9 がコレにあたるでしょう。過去に記しました:

マンガでも『鬼滅の刃』がこういった主張です。永遠の存在である鬼に対し、主人公たち人間は有限な寿命ですが、託すことが出来るから尊いというメッセージでした。

補足:メビウスは何だったのか

「メビウス」に関しては余り自信がなく、推測の域を出ないので補足としました。たぶん他の方々がしっかり考察されると思います。

メビウスとは何だったのでしょう?「ウロボロス」と言えば無限を象徴し、神話由来の単語です。力強いイメージが湧きます。一方でメビウスも同様に「無限」を象徴しますが、フィクションでなにかの表象として用いる際は「永遠の迷路」「現状維持」のニュアンスがあります。どちらかと言えばネガティブな印象です。

私の現時点での主張としては、上で述べたように、メビウスとは「未来に進むのが嫌になった人」です。
アイオニオンでは人は転生して輪廻しますが、こうした意志を持った人を転生の途中でゼットが選んでメビウス化していました。そしてゼット本人は、人々が未来に進みたくないという恐怖の集合と説明されていました。私の周りでは「メビウスの小物感がきらい〜」といったご意見もありましたが、そこは意図的なデザインだったのだと私は見ています。

逆に、転生したのにメビウスにならなかった人を比較してみましょう。エセル・カムナビは戦いたいという意志があり、ミヤビはミオに・ナミはタイオンに意志を託すことが出来ました。意志があって託すことが出来た人はメビウスになっていません。

演出として、最終戦の直前に劇場にてゼットが大量のメビウスを呼び寄せて観客席が埋まるシーンがありました。これは一見すると意味不明だった方も多いと思います。作中では一部の限定された人数しか登場しなかったのに、なぜ最後になって大量に登壇したのでしょう?これは自信がありませんが、「未来へ進みたく無い人」がこれだけたくさん居るというアピールだったのだと思います。

“代替メッセージ”
[メビウスが巨人化した状態。 ゼノブレイド3ウェブサイト より。]

すると、メビウスによる「消滅現象」についても説明はつきます。
メビウスは巨人化できます。この巨人化状態を維持すると「消滅現象」が起きることが分かっています。周りの物を呑み込んで次元の彼方へ飛んでしまう現象です。これも作中で説明が見られなかったのですが、おそらく「自死」と関係があります。
作中では、弱い者の現状維持の行き着く先は「自死」だと述べられています。実際にシャナイアは未来へ進むことを拒否した結果、自死を遂げました。メビウスの巨人化のパワーはメビウスとしての力(= 未来へ進みたくない不安)を基にしているため、過度に使用すると自死(= 消滅現象)が起きてしまうのだと思います。
自然現象としての消滅現象も、アイオニオンが世界の合流を拒んで現状維持をした結果の世界なので、時々消滅現象をしてしまうのだと考えられます。

今回の考察はここまでです。

追記

YON さんからご指摘 があったのですが、消滅現象を起こしたメビウスはインタリンクした オー+ピー、ディー+ジェイ のみでした。そのため、巨人化ではなくインタリンクを続けることが消滅現象の条件のようです。
インタリンクは世界統合の暗喩なので、メビウスにとっては消滅につながることは納得行きます。ただ、これもプレイヤーの推測です。

疑問点

本稿からも分かるように今作『ゼノブレイド3』に関して私は明瞭に理解できなかった点が多いです。

例えばこの理論だとウロボロスの皆さんがインタリンクしても消滅現象が起きてしまう論理がよく分かりません。
ウロボロスが2人居ないとインタリンク出来ない理由は、ゼノブレイド1 を表すケヴェスと, 2 を表すアグヌスが1名ずつ融合することで「未来」を象徴しているからです。これは分かります。ただ、なぜメビウスのみならずインタリンクでも消滅現象が起きてしまうかは理論立てられませんでした。

また、黒い霧は何だったのでしょう?。なぜキャッスルでは立ち込めているのに消滅現象が起きないのでしょうか。
おそらくですが、命は全てキャッスルで転生しているため、人の思いがいっぱいキャッスルに溜まっており黒い霧が立ち込めています。ただ、ニセの女王や囚われの真のケヴェス女王に何かしらコントロールする仕組みがあり、抑えていたのかと思います。

他にも気になる点があります:

  • ウロボロスとは
  • 終の剣とは

私がプレイした限り、この辺が設定がハッキリしませんでした。女王ニアが言うように「結局は意志」なのでしょうが、他にも疑問に思うプレイヤーも居たのかな?とは思います。

以上

謎が多く残るため「ストーリー設定のハギレが悪い作品だなあ」と私は感じました。特に伏線・設定を重視される方は、すべてが明瞭にならないと不満なことも有るでしょう。今作3は、1, 2 のザンザのような分かり易い神が居ないのでやっぱりハッキリしないという意見も分かります。

ただ私の直観としては、今作は「言いたいメッセージは明瞭だった」と感じています。生きることです。
1 で破壊を、2 で維持をテーマにしたのですが、「自死や現状維持はゼノブレイドのテーマとは違うよ」といったところを明瞭にしたかったのだと思います。
※ 余りストーリー設定が明瞭ではない一方でメッセージは分かるなあ、という点では『ゼノブレイドクロス』と似ていると私は感じました。他にも FF13 に同様の印象を抱きます。

そのため、総合するとストーリーの評価としては良かったと感じています。

自分向けのメモとしても残しておきたいのですが、おそらく『ゼノブレイド3』は発売が予定より “早くなった” というとても珍しいゲームです(元々2022年秋に発売と発表していたのに、7月に発売となった)。CG・ムービー制作に限界があって省略された内容もあると思います。そこは DLC が有るみたいなので期待しておきましょう。ファンとして今後も期待しています。

(思い返すと、前作『ゼノブレイド2』の時点では 任天堂ガイドライン が出てなかったのですよね。今作は画像をふんだんに使って感想を書くことが出来ました。)