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Nov 1, 2019 - gamerlogy philosophy

私が何故炎上商法を是としないか - トロッコ問題にからめて

「炎上商法」は高度なインターネット文明が成立して以降、あらゆる方面で行われてきた手法です。一方「トロッコ問題」は、この命題が提案されたのは20世紀でありながら、元の概念は18世紀から存在しました。これら2つの命題を関連させてご説明したいです。

過去に講演で一度述べた内容なのですが、より詳細に文面に起こしたものとなります。

導入

21世紀以降、日本では「数字が大事」という概念が普及してきたと思います。それ以前は日本社会と云えば「お金に替えられない価値」とか「人と人とのつながり」といった定性的な価値が重視されて来た勝手なイメージがございます(すみません私は余り20世紀のことを存じ上げません)。更に、日本でも 起業の増加 や、ネット上のインフルエンサー業の台頭により(インスタグラマーやプロゲーマーなど多様, 出典は不要かと思います)、若い人が個人レベルで数字を意識することは増えたと思います。

インフルエンサーの世界は、数字が金額に直結する新しい価値観です。既存の世界では必ずしも線形的な直結ではなく、例えばスタートアップに対する出資であれば、会社の売上(見込)以外にもジャンルの相場・会社の将来性・社員の人間性を加味して総合的に出資額・時価総額が決まるものです。一方インフルエンサーの場合:

  • 「1PVで1円」
  • 「商品紹介してください、条件はフォロワー人数×0.5円で」

といった、数字が直接金額に置換される世界があります(全てのインフルエンサーマーケティングがこの方式ではありませんが、この数字直結型が多いので今回はこちらを考えます)。この思考が暴走した結果、「一度炎上してでもフォロワーを増やした方が良い」というアプローチ、所謂「炎上商法」という手法が一種の正当性を以て世に出回っています。今日 “数字” とは、主に ソーシャルメディアでのフォロワー数・ブログ/動画でのPV数などの意味(①)で用います。

ただ、いかなる場合でも数字を大きくすることは正しい行為でしょうか。

結論から云いますと、私は炎上商法を是としません。これに関して、昨今話題のトロッコ問題とからめて、なぜ否定するのか申し上げます。

炎上商法の論点

炎上商法とは何であり、なぜ行われ、どこに疑問点があるのでしょうか。炎上商法は、上で述べたように、インフルエンサー即ち「インターネットで活動しており、数字(①より、以下特に断りなければこの意)が金銭の収入に直結される方」が、数字の増幅を目的に行う炎上行為です。

インターネット上を想定しております。そのため “炎上” とは「インターネットでの炎上」を指しています。この炎上の定義は難しいです。田中辰雄, 山口真一 著 『ネット炎上の研究:誰があおり、どう対処するのか』(勁草書房、2016年)では

「インターネット上において、不祥事の発覚や失言・詭弁などと判断されたことをきっかけに、非難・批判が殺到して、収拾が付かなくなっている事態や状況」

(以上の引用を②とする)と記しています。同時に「定義は存在しない」とも云っていますが、今回の定義はこちら②を用います。

タダの「炎上」と「炎上商法」は異なります。炎上は失言や、意図しない意見の対立によって議論の応酬(もしくは一方的な砲撃)となることです。一方の炎上商法は、炎上を意図的に起こすことで、自身への注目度を上げることです:注目度は即ち上記の数字のことです。炎上商法は日本に限らず、海外でも言語・文化を問わず用いられています。
Wikipedia では「実例」章にて具体例が挙げられています。

一見、炎上商法をしようと思っても、数字が増加する一方で自分自身の悪評も広まってしまうため、余り効果が得られないのではないかと考えられます。インターネットに馴染みが薄い方はそう思われるでしょう。
実際は様々な理由により、自身の評判を落とすコストを払い炎上を意図的に起こしてでも数字を増やすことのメリットが勝ります。以下の例は私の主観による判断になりますが、例えば以下の理由から炎上商法を選択します:

  • 自分の悪評が広まっていることを誰もが知っているわけでは無いという点
  • 過去に炎上したことの有る数字が大きい人物の方が、善良だけれども数字の小さい人物よりも価値があると判断される場合があるという点
  • テレビなどの伝統的マスメディアでは、インターネットでの炎上が余りイメージに響かないという点。所謂「芸能人」「有名人」と呼ばれる方が炎上商法を用いることが、日本でも海外でも発生しています。 上記と同じWikipedia をご参照あれ
  • 評判がどうなろうとも数字さえあれば収入が得られる場合がある点。例としてコラムニスト小田嶋隆 氏がブログの広告収入を悪用した場合に生まれうるケースと指摘( 「罵詈雑言」市場にどう対抗するべきか”, 東京新聞

どなたでも、狙わずして「炎上」を経験することは有り得るでしょう。インターネットに不得手な方でも、学校・会社で自分の何気ない一言が想定外の人物を傷つけてしまった経験があれば、共感頂けるのではないでしょうか。これが「炎上」です。それとは異なり、炎上商法は意図的に炎上を狙うものですので、②より、炎上商法をする者は狙って意見の対立や・人を傷つける要素を利用することとなります。

これをまとめて抽象化しますと、「炎上商法は道徳に違反する」と云えます。ここは重要なので、読者の皆様のご自身の経験に基づいた直観に照らし合わせて欲しいのですが、炎上商法は道徳・倫理に違反することを利用したマーケティングで異言ないでしょうか?ここが納得行かない場合はこちらで立ち去って頂いて結構です。

すべてをまとめると「炎上商法は、道徳に違反した行為で、自身の持つ数字を大きくする」(③)と云えます。③が今日ここでのキーとなります。

トロッコ問題とは

打って変わって、通称「トロッコ問題」についてです。

“代替メッセージ”
[トロッコ問題の画像。ありがたい Wikipedia より]

画像をご覧になれば意味は一目瞭然かと思いますが、ここではじっくり定義を申し上げます。

「トロッコ問題」とは――「暴走する路面電車の前方に5人の作業員がいる。このままいくと電車は5人をひき殺してしまう。一方、電車の進路を変えて退避線に入れば、その先にいる1人の人間をひき殺すだけで済む。どうすべきか?」……つまり「5人を救うために1人を犠牲にすることは許されるのか?」という問題である。※(電車は止められず、線路上の人たちは逃げられない状況とする)

[ ダヴィンチニュース より]

です。1967年 Nature に採択された文章(author : Philippa Ruth Foot)に登場する思考実験です。おそらく、日本では2009年ごろサンデル教授の講義に登場して親しまれました。

この「トロッコ問題」は倫理的なジレンマであり、解決する方法が今の倫理観では存在しないことが分かっています(Greene J.D. et al. An fMRI Investigation of Emotional Engagement in Moral Judgment, Science (2001) Vol. 293. no. 5537, pp. 2105 - 2108)(④)。よく誤解されるのですが、解決策がある訳ではないのです。概念が似た例では「シュレーディンガーの猫」や「矛盾」等で、結果の確定をすることが目的なのではありません。思想と思想の対立構造を絵におこしたモノです。(ちなみに現代では「自動運転」でも同様の答えのないジレンマが発生しています 『自律走行車は誰を犠牲にすればいいのか? 「トロッコ問題」を巡る新しい課題』, WIRED

特に「トロッコ問題」は、カントとベンサムの思想が対立した構図です。この2名の思想家は18世紀に生きており、生前に直接喧嘩していた訳ではないのですが、1967年に上のFoot氏が提案したトロッコ問題に解答を出そうとすると、どうしてもこの2名の大家が対立することになります。2名の其々の解答はどうなるかと云いますと:

  • ベンサム:一人を轢くように車線変更する
  • カント:立ち去る

となります。
なぜこのような答えになるのか、2名の思想を説明します。私は哲学・倫理の専門家ではなくここは完全にエンジョイ勢ですので、細かい点は見逃して下さい。↓

  • ベンサム:「最大多数の最大幸福」という言葉を云った人です。人間社会全体を考えた時、5人を失うよりも1人を失う方が損失が少ないため、車線を変えて一人を轢きます。人を轢く行為自体は推奨していませんが、なにか起こるとしたら最大限の結果になるように or 最低限の損失になるよう生きるべきという考え方です。
  • カント:カントの思想の中でも義務論が今回当てはまります。大まかに云うと、義務論は行為自体が「どんな場面でも文句なしに善い行い」と判別されるような行為だけを選択して生きていこうというスタンスです。すると、人を轢くという行為自体はダメなことと判別されることが有るため、人を轢く行為には一切関与しないことになります。そのため本問題でレールの切り替えスイッチを目の当たりにしても、関与しないことが正解と考えます。

という感じです。 より一般論的に述べますと、

  • ベンサム(功利主義)は目的や結果を重視し、それを達成するために最適解を取ることを選択しますが (⑤)、
  • カント(義務論)は目的という考えを排除し、いかなる状況下でも行動が道徳規則に則っているかを考慮します (⑥)。

トロッコ問題については以上で、この⑤⑥を意識して次へ進んで下さい。

炎上商法とトロッコ問題の関連点

炎上商法の論点はトロッコ問題と似た構造です。

③に戻って考えてみますと、炎上してでも数字を大きくすることを重視する場合は結果を第一とするため、⑤により炎上商法肯定派はベンサム的と云えます。(炎上商法は功利主義ではなく利己主義なのでは?という考え方もできますがここでは便宜上ベンサム側に入れておいて下さい。)
逆に炎上という行為そのものが倫理に反しているため、⑥により炎上商法を是としない場合はカント的と云えます。

ここは皆様の経験上合致するでしょうか?結果を第一に考える者は炎上商法を肯定し、道徳を重視する者は炎上商法を否定します。周りの友達を思い出して、想像通りであれば喜ばしいです。

重要なのはこの二者が対立したとき、答えは出ていないということです(④より)。こちらをご覧の方は、炎上商法を認めない方も認める方もいらっしゃるかと思いますが、どちらの理由がより優れているのかということは有りません。前提が異なる理論を積み上げていった結果二つの説が衝突しているため、これは二つの正義がぶつかってしまっています。

炎上商法を認めるのか認めないのかについて、哲学・倫理の世界でも明確な答えはまだないことを知っておくと、周りの友達と議論する時に大きく時間を節約できるのではないでしょうか?

私が何故炎上商法を是としないか

というわけで哲学・倫理の世界では結論が出ていません。善悪であったり良識であったり、既存の一般的な価値観では議論をしても炎上商法を否定しきることは出来ないと思います。(すみません、最新の哲学で結論が出ていたら申し訳ないです。私はここはエンジョイ勢なのでご容赦ください。)

ただ今回のテーマである私がなぜ炎上商法を認めないか、自分の価値観から日本市場に関してご説明出来ればと思います。ここから下は主観的な内容ですので、フィクションを読むような気分に頭を切り替えて頂ければと思います。

炎上商法はインターネットでの広告収入をアテにしたものとなっていますので、広告の話をしましょう。前提として日本ではテレビが非常に強いです。(テレビマシンの製造ではなく、テレビ電波を通じて消費できるコンテンツのこと。)「世代別ターゲティングでネットに分がある所も有るのでは?」と思いきや日本の10代後半〜20代のテレビ視聴習慣が有る割合は85%(以下図)で、ネットが最も効果を発揮する世代ですら、ネット広告よりもテレビ広告の方がリーチがあるという残酷なものになっています。

“代替メッセージ”
[ BCNRetail より。インターネットの味方:サイバーエージェント調べでもこの数値となっている。]

リーチという指標では、テレビは日本最強という前提に立ちます。インターネットが広告で勝てるとしたら、それは双方向性やエンゲージメント率に関する点です。エンゲージメント率とは、その広告・宣伝を見た人が行動を取ってくれるかの指標です。詳しくは 筆者のこちら をお読みください。例えば商品を紹介する場合、リーチの面で云えば勿論テレビ番組で取り挙げられた方が合計の売上には繋がるのですが、地上波であれば目安15秒1回100万円の広告料がかかります。一方インターネットであれば格安でメッセージを届けられるのに対し購買につながる可能性が高いということです。

インターネットの即時的双方向性やエンゲージメント率、そして同コミュニティ・スペシャリスト同士への拡散力は目を見張るものがあります。これらへの波及力は共通する要素が関係していると筆者は考えており、それを authenticity と呼んでいます。Authenticity とは字義的には「信憑性」「真心」といった意味で、本当はこれだけで長い理論を説明しないといけないのですが、今は直観的に思考実験して納得してください:あなたが応援する個人のゲーム実況は隅々まで見たいと感じるでしょうが、有名タレントがお金を受け取って企業の商品をステマしていたら全然見たくないと思うでしょう。この心理的な抵抗の差が authenticity の差です。定性的な指標ですが、ネットでの様々な波及力を統一用語で説明するのに役立ちます。ネットでの広告は authenticity が高く、それによってコストに対してのエンゲージメント率が高いため、テレビと比較してネットに広告を出す企業もいらっしゃるということです。(追記: authenticity の解説を書きました

これを受けて、インフルエンサーマーケティングやネット上で数字に応じて入る収入は、ネット広告のエンゲージメント率の高さ・authenticity の高さを企業が(意識的に・無意識に)信用して出稿した広告費が基になっています。そのため、企業がお金を払ってマーケティングをしている場合は「広告」「PR」と表記することを推奨している( 日本インタラクティブ広告協会 )ことは、昨今のニュースに新しいでしょう。

炎上商法は③で述べたように、道徳に違反しますので、authenticity を下げる行為です。行き過ぎて炎上商法がマジョリティとなったインターネットには企業が広告の魅力を感じないでしょう。炎上商法をしている人間だけでなく、その他全員も収入に打撃を受けることになります。炎上商法は、他のネットクリエイターの信用(authenticity)を燃やして、焼き畑的に得ている収入になっていると云えます。少しベクトルは異なるものの、authenticity を悪用しているという点では、「広告/PR」と表記をしないマーケティングと同じような扱いであると考えています。

別の表現をするなら、炎上商法はフリーライダーになっています。他者の築いた信頼・authenticityの上にタダノリしている状態であり、全員が炎上商法をはじめたら成立しません。フリーライダーは現代の価値観では許されないモノと相場が決まっています。

こうした理由で、私は炎上商法を快く思っていません。

以上、

数字だけを追求した場合、「トロッコ問題におけるベンサム的な答え」(=炎上商法を辞さない構え)に至る方も出ると思いますが、筆者の考えでは、それは社会を形成してきた者を踏み台にした手法であると考えています。

飛躍した感想になりますが、「数字が大事」とは云いますが、今インターネットでの物事の優劣を純粋な数字のみで決定せず、本能的に体感できる価値を忘れずに居ることも大事だと思います。面白いとか・熱いとか・美しいとか、そういった本能的な感性を追究した先に数字をトラッキングしておくくらいで考える方がバランスは良いのではないかと思います。

本当は筆者はネット上でプラットフォームを運営している人間ですので、「炎上商法を抑える方法を考えろよ」と云われれわそれはそうなのですが、筆者が棲んでいる Twitch という世界は比較的炎上商法は起こりづらい環境であると考えています。ただ流石に他のプラットフォームまで広告方式を変える口出しまでは出来ないのが私の現状です。