恋心は超グリーディ

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Jan 13, 2021 - gamerlogy esports

ゲーマーのコミュニティとは

ゲーマーが使う用語である「コミュニティ」とは何でしょうか?

多くのゲームにコミュニティがあります。スマブラにも Valorant にも Dota2 にも「コミュニティ」は有ります。逆に、筆者は SHAKAさん の輪でよく Among Us というゲームをしていますが、これは「SHAKAさんのコミュニティで Among Us をやってる」とは言いますが、「Among Us のコミュニティ」とは言いません。(筆者の感覚です。)

問題提起

この認識の差はどこにあるのでしょうか?

筆者が「コミュニティ」について考えていたところで、丁度 『こみゅリポ Advent Calendar 2020』 を拝見したため、勝手ながら参照しながら概念をまとめました。

“代替メッセージ”
『こみゅリポ Advent Calendar 2020』 のスクリーンショット。以下 “Advent Calendar” と述べた場合はこれを示します。]

こちらの Advent Calendar は、25名の方(特に TO = Tournament Organizer)が各自の「コミュニティ」について書かれたものです。参加された方々はおそらく何かしらの共通意識があって「コミュニティ」について書いたりしているはずです。しかし、プレイするゲームが違うのに共通すると感じる「コミュニティ」という概念は何でしょうか?

例えば、「コンボ」という単語を取ってもスマブラ・Dota2・デュエマをしている者では思い浮かべるモノが異なります。PCゲーの方が思い浮かべる「LAN」とスマブラ勢が想像する「オフ」で意味する概念は、似ていますが厳密には異なります。このようにゲーム外用語では必ずしも共通しないモノがありますが、「コミュニティ」は共通していると信じられています。この言葉の指す概念は一体何でしょう?

(※今回「〇〇勢」という用語は「〇〇コミュニティに属する人たち」と同じ意味で用いています。)

「コミュニティ」とは「非ゲーム会社」か

最初の発想として、ゲーム会社と対比して、プレイするユーザー群を「コミュニティ」と表すと思います。ただ、コミュニティを「ゲーム会社ではない方」といった捉え方をすると、上手く行かない場面が以下にあります:

i) 「コミュニティに寄り添ったゲーム会社」という状態があります。例えばプロチームのスキンをゲーム内で販売する Ubisoft さんは「コミュニティに寄り添っている」と表現されることが有ります。つまりは、コミュニティとゲーム会社とは完全に排反ではないということです。

ii) 区分を「ゲーム会社 vs ユーザー」という対比で考えてしまうと、先程の「SHAKAさんのチャンネルでAmong Usをやってる人たち」は「Among Us勢」ということになります。しかし我々は経験的に、これは「SHAKAコミュニティ」であって「Among Usコミュニティ」ではないということを知っています。そのためこの理論は実測に矛盾します。

これら i) ii) を総合して、「コミュニティとは何か」を分類するのに形式的・枠組的なものを用いると限界があります。

他にも形式的な分類法を挙げます:コミュニティとは「人の繋がり」と置くのはどうでしょう?コミュニティに属するゲーマーは知り合いで繋がっています。逆に、学校で友達とだけスマブラをしているプレイヤーがいたとして、ネットでは情報を一切調べておらず本当に友達付き合いでだけプレイしている場合、「スマブラ勢」という分類に含まれますでしょうか?経験上、答えはNOです。「人の繋がりが無いから」と説明できます。
しかしながら、それでは筆者が社交でたまたまスマブラをしてしまった方もスマブラ勢になってしまいます。スマブラ勢のリア友をスマブラ勢と呼ばずに区別する理由はどこにあるでしょう?この理論も不適に見えます。

形式的な分類にはこうした限界があります。そのため今回はより精神的な基準を提案しようというものです。

今回挙げたいものは「価値観」です。今回は「価値観」に注目して「コミュニティ」の特徴を捉えて行きます。

価値観

「コミュニティ」を定義する価値観とは何でしょう?例えば「同じゲームで勝利を目指している」でしょうか? Odaさんの文章 では、ガチ勢は勝利を目指しているけれどもエンジョイ勢はそうではない旨が書かれています。これではエンジョイ勢はコミュニティの一部ではなくなってしまいますが、ガチ勢とエンジョイ勢は完全な排反ではなく、連続的にコミュニティの一部として関わるものです。上手く包括する定義が必要です。

筆者の提案ですが、それは「何を重要だと感じるか」であると定義します。一つのコミュニティに属する者たちは同じモノに重要性を感じます。

提案パートなので詳細に彫ります。例えばスマブラ勢は何を重要だと感じているでしょうか?答は単一ではありません。例えばオンライン・オフラインの大会で勝つことであったり、ランキング(JPR や PGR)であったり、「Genesis という大会はデカい」という印象であったり、ゲーム外では「麺屋こうじが美味い」であったり、様々な像が寄せ集まって個々人の思考を構成していることでしょう。この辺が「何を重要だと感じるか」という直観的・複雑系的な価値観です。

個々人によって複雑な思考は完全に一致はしませんが、スマブラ勢は同じ情報に影響を受け、同じことをきっかけに感情を動かされます。同じ大会を視ますし、上位プレイヤーの解説に耳を傾けます。自分は優勝を目指すのかエンジョイで居るかの姿勢は人次第ですが、どのイベントに行きたいか・誰が強いのか・何のニュースにスキャンダルを感じるのかという価値観はコミュニティの中で繋がっているということです。完全一致はしないまでも、どこかで価値観が地続きになっています。

“代替メッセージ”
[画像は『スマブラハウス』 【Ver 7.0】王・MkLeoによるキャラランク解説!これには小池も納得 より。例が身近で恐縮ですが、「MkLeo は正しい」とか「なんでミュウツーそこなの?」とか「ヨッシーは?」と思っている価値観が「スマブラ勢」ということです。]

この「重要さの判断基準が地続きになっている状態」を「同じ価値観」と申しています。(註1

「同じゲームをプレイする者」か

重要なポイントとしては、よく「コミュニティ」とは「同じゲームをプレイする者」と説明される方が多いですが、これは不十分ということです。上の ii) の繰り返しですが「同じゲームをプレイする者」ではSHAKAさんのチャンネルで Among Us をプレイする人たちの説明がつきません。他にも「昔はやり込んでいたけれど今はそれほどでも無い、ただ人間関係は続いている」ようなコミュニティに居座っている “引退勢” という方がいらっしゃいます。「同じゲームをプレイする者」では “引退勢” の説明がつきません。

今回はそうではなく、「何が重要かの判断基準が同じ」という価値観を定義に置きたいというものです。

Advent Calendar との対照

Advent Calendar でも、ゲームを超えて価値観が暗に共通しています。ゲームタイトルは大量に亘りましたが、「数字が大事」「スポンサーの意向」ということを第一に置いている方は一人もいらっしゃいませんでした。基本的にはゲーム愛であったり、その人の輪を楽しむことが第一です。 BASARAさんの文 でもスポンサーの重要性が説かれていましたが、「スポンサーがついたからゲームより大事なものが出来た」とはおっしゃっていません。

例えば Advent Calendar にて、ゲーム愛や情熱について述べていた内容を以下に抜粋します。「」は引用で『』はタイトルです。:

直接的ではないですが、 さけねこさん の「風をつかむ」という表現もこれに当てはまると思います。こうした「愛」(筆者としては「重要なモノ」と置き換えて解釈しています)が存在することが、どこのコミュニティという概念にも共通していると捉えています。

cawata さんの文章 では:

ゲームタイトルが違うとコミュニティ大会に対する考え方の違いも大きく現れます

という表現がありました。一文ながらこれには重要な前提があります。ゲームタイトルが違ってもコミュニティというモノは存在し、それでいて異なるタイトルのコミュニティは考え方が違う、が成立せねばなりません。そこで、コミュニティとは「何が重要という価値観が共通している者たち」で説明すると矛盾がありません。これで本日の問題提起「プレイするゲームが違うのに共通すると感じるコミュニティという概念は何なのでしょう?」は解決します。

どうなるとコミュニティではないのか

今回ゲームコミュニティとはなにか?を考えて最も述べたかった点は、何がコミュニティ的では無いのかを明確にし、その理由を説明できるようにすることです。また、筆者自身が行動を選択するにあたり「コミュニティ的じゃないのにコミュニティと銘打ってはいないか?」という自律にする目的です。

有名ですが、ゲーマーがこれら↓を見た時に違和感があることは既に業界的に言及されています:

  • 日本の大会なのに、海外大会での写真を使った告知画像
  • イベントの告知ポスターが選手ではなく、呼んだタレントMCになっている
  • ゲーム内映像のみを用いた大会PVや、ゲーム会社の公式アセットのみを使ったポスター

これらを今回のコミュニティの定義と絡めて説明すると、告知という最も大事な部分で「なにが大事なのか」という価値観をゲーマーと一致させていないから、となります。

このように「コミュニティとはどこまでの範囲かという線引」をハッキリさせることは、今ゲーマーに必要だと考えています。この線引を行わなければ、数字至上主義に陥る(陥っている)からです。数字至上主義とは、各種フォロワー・ライブ配信の同時視聴者数・動画の再生数を伸ばすことを第一に優先してしまうことです。

例えば個人が主催して「コミュニティイベント」と銘打っていても、費用を出してタレントを呼んだり、フォロワーの多いクリエイターに近いプレイヤーをきっちり招待してショーを仕立てるケースはあります。しかしこういったイベントを見て「コミュニティイベント」という単語に疑問は湧かないでしょうか?

「コミュニティとは何か」を念頭に置かねば、会社のコミュニティマネージャーは数字を取ることが最適解になります。筆者も社会人なのでその意味は分かります。予算を使ってイベントを開催したらKPIを設定して数字を会社に報告するのは当然です。しかし数字至上主義になれば、芸能人 or 有名ストリーマーにゲームをしてもらうことが最適解です。その結果、コミュニティマネジメントとは特定の有名人を自社イベントで連打することになってしまいます。しかしコミュニティとはそういうものではないというのが筆者の持論です。

「最強決定戦」と看板を掲げた大会で、現役を退いたストリーマーを集めていたら違和感があるでしょう。「最強」に矛盾するからです。ただこの単語が「コミュニティ」に置き換わると曖昧になり、数字を持つストリーマーが優遇されます。これは、コミュニティを「同じゲームを遊んでいる人」「ゲーム会社では無い存在」で形式的に分類してしまっているが故の混同であると考えます。
筆者はストリーマーを否定している訳ではなく、コミュニティは数字を持たない多くの存在で成り立っていることを意識されて欲しいです。コミュニティのためにストリーマーを抜擢していても、それは「そのストリーマーのコミュニティ」であって「そのゲームのコミュニティ」とは限りません。

“代替メッセージ”
[参考: 大阪大学 COデザインセンター より。こちらに文化人類学的アプローチからコミュニティの解説をしたページがあります。筆者の哲学的アプローチとは異なりますが豊富な資料がございます。]

こう分類しますと、結果として、「個人イベント」や「非公式イベント」が「コミュニティイベント」とほぼ一致して来ます。どうしても企業が絡むと「これがやりたい」という価値観を好きなように維持できないからです。(註2

筆者は「企業イベントや公式大会はコミュニティたりえない」と申して諦めている訳ではありません。コミュニティ大会は通常は公式大会たりえないですが、公式大会はコミュニティに「寄り添っている」という表現をすることはあります。例えば 「公式大会でもコミュニティに寄り添った企画が得意(中略)」とウェブサイトに謳っている運営会社 も実在します。これは、公式大会がコミュニティと同じ価値観を共有した時に成立する状態です。

ここまで否定を長く並べましたが、では何がコミュニティ的であるかについては、 『こみゅリポ Advent Calendar 2020』 に25例が載っていますので、どうかそちらをご参考になさってください。(註3
この度は さとけん さん本当にお疲れ様です。ありがとうございました。

以上

今回は以上です。

Advent Calendar を拝見してドサドサと引用したため、大雑把になってしまい恐縮です。また、今回は筆者の都合で精神的な部分に注目したため、ノウハウや経験に関するものは全然挙げませんでしたが、いずれも本質が詰まっており真理の湧く内容です。是非原典をご覧になってみてください。

実は今回の「コミュニティとは何か」の概念は、20世紀の哲学者で「コミュニタリアン」と呼ばれた人たち(共産主義者とは違います)に則り、ゲーマー用に筆者がアレンジしたものです。Community という単語自体はラテン語から存在する古いものですが、使用頻度はコミュニタリアン登場以降急激に伸びています(Oxford Languages より)。そのため言語学的な視点よりは哲学的な視点で解釈することが最適であると考えました。

ちょっと大変ですが、日本でも流行したマイケル・サンデルや、その師のチャールズ・テイラーがコミュニタリアンに当たるため、興味が有る方は是非あたってみて下さい。筆者としては20世紀のゲームがない時代にこれほどの「コミュニティ」の定義を用意したチャールズ・テイラーには驚くばかりです。(註4)(註5

(2021年追記)
コミュニティについて、より厳密に記した内容を用意しました。こちらの投稿を御覧ください→ 『コミュニティとは』

蛇足1:予期される質問

コミュニティの定義とは「何を大事だと思うか」という価値観が繋がっている人々だという定義をしました。しかしこの定義は「自分は〇〇勢だと思っている人たち」では駄目なんですか? …という質問が予期されます。実際「自分を〇〇勢と思っている人」で定義しても今日の議論で矛盾しません。

これは非常に本質的な質問です。先程挙げたコミュニタリアンと呼ばれる思想家の間では、コミュニティとはアイデンティティだからです。

一見論理が飛んでいるので深堀りします。昔はアイデンティティとは貴族だけのモノで、信仰や社会的地位で決めていましたが、現代ではそこら中の人が自分でアイデンティティを決めねばなりません。すると「何が好きか」「何をしているか」がアイデンティティとなります。皆様の social media のプロフィールにも、基本的には何が好きか・何をしているかが書いてあるでしょう。これが皆様のアイデンティティです。

現代では、同じモノが好きであったり、同じコトに authenticity を感じる人たちは正しく同じ価値観を持つ者たちであり、同じコミュニティに属すと言えます。すると、アイデンティティを表す内容とコミュニティを表す内容は理論上繋がっています。そのため「何を大事だと思うか」と「〇〇勢である」は、コミュニタリアンの理論ですと、同じであるということです。

この理論で言いますと esports というコミュニティは存在しません(もしくは局所的です)。
今までも「あらゆるゲームを esports という単語で一括にして分析すること」に限界や違和感があることは業界的に指摘されていました。筆者はそれは “esports勢” というコミュニティが無いからと捉えます。今までは「同じゲームをプレイする人たち」を一つのコミュニティと見ていた方は、「ゲームをプレイする人たち全体」と形式的にまとめて esports として分類しようと試みたと推測できます。
しかし筆者はこうは分類しません。上述の cawata さん の言のように、「ゲームタイトルが違うとコミュニティ大会に対する考え方の違いも大き」いです。今回の理論では価値観が違う集合は同じコミュニティと表現することは出来ません。

自分を esports というアイデンティティに置いている人は希少かと経験上感じています。おそらく今回の対象にしているゲーマー的な仲では発生しづらく、普段は他の業種と接している方が他業種と比較して “esports” というアイデンティティを持つのかと推測します。

蛇足2:価値観は継続

今回の Advent Calendar では以下のTOの方々が「継続が大事」と述べられています。

逆に「継続は大事じゃない」とおっしゃっている方はいらっしゃいませんでした。他にもこうした表現があります:

コミュニティは様々な形を変えながらも維持されるものです。これも継続の一種と捉えます。

継続を重要視する風土は、コミュニティを価値観と定義した今回の十分条件になります。価値観やマインドは単発では形成されず、理論は多方向からありますが、継続性が重要と説かれるからです。美術やアートといった価値観を売る場合でも継続が重視され、現代流行りの D2C やサブスクモデルのビジネスでも「コミュニティ形成のために継続が大事」という表現が使われます。

上で「数字至上主義」について述べましたが、はじめて開く「コミュニティ大会」でスポンサーを集めて、制作会社に依頼してプロを招待し、しっかりしたMCへ仕事を依頼することは素晴らしいことですが、参加者はそこまで求めているのかどうかを一考して欲しいです。それよりは安くて良いから継続が求められているのではないでしょうか?


  1. 「何を重要だと感じるか」が共通する集団をコミュニティと呼ぶ線引は「コミュニタリアン」という哲学に基づいています。また、筆者はコミュニティについて心理学の 「共同体感覚」から説明をしたモノ がございます。哲学と心理学とで異なるジャンルからの視点なのですが、コミュニティというのは何かしらの形で「地続き」という発想が共通しているところは面白いです。 ↩︎

  2. 筆者としての公式大会とコミュニティ大会の差の見解はこちら( 『ゲーム:公式大会と非公式大会』 )。 ↩︎

  3. 筆者が 「コミュニティ大会」について で「コミュニティ大会」の定義に「イベント運営の意思が独立している」を置いています。スポンサーや関連企業の意思に左右されないという意味です。「コミュニティが大事だと思うこと」を追求しているかどうかという点で、今回の趣旨と共通しています。 ↩︎

  4. 筆者の理論で毎回登場する Authenticity について も、原典はチャールズ・テイラーです。 ↩︎

  5. コミュニタリアンについては、こちらを御覧ください 【共同体主義(コミュニタリアニズム)とは】主な主張をわかりやすく解説 - リベラルアーツガイド ↩︎

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