恋心は超グリーディ

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Dec 3, 2021 - esports tournament gamerlogy

ゲーム大会こんなことあった事例集

「ゲーマーが大会を運営してこんな揉め事がありました」という事例で、私がよくご紹介するものをまとめて公開することとしました。

今回の内容は、 「こみゅリポ Advent Calendar 2021」 で用いるものです。

今回について

トーナメントサービス “Tonamel” コミュニティマネジャーの さとけん さんと「いろいろなゲームコミュニティのイベントオーガナイザーが集まって、ゲームコミュニティの魅力や謎を明らかにしていく」(引用) 「こみゅリポ」という番組 があります。本 Advent Calendar はその関係者によるブログ集です。

以下に詳細がございます:

[今回の 「こみゅリポAdvent Calendar 2021」

「コミュニティや大会運営に関すること何でも」というお題なのですが、筆者(私)は過去の事例紹介をすることにいたしました。

本文は「こんなやらかしがあった」というゲーマーを叩くような悲観的内容ではなく、一緒に事例を考えられる楽観的な内容にしたつもりです。

ゲームのコミュニティ大会運営は、「ゲームをやっておしまい」には留まりません。大会のうちライブ配信で映る部分(例:映像制作・トーナメント進行など)、ウェブサイト・ルールで文面に起こされた内容は目につきますが、目に留まらない “不文律” もいっぱいあります。だからこそ何かが起きた時、立ち尽くして苦しむ場面が大会運営のどなたにも有ると思います。そこで、ゲーマーが開催するコミュニティ大会運営で “楽” になる手法をご紹介できればと思った次第です。

※ 「コミュニティ大会」とは、非公式大会・ユーザー大会と同じ意味です。筆者は「コミュニティ大会」を個人主催のゲーマー大会としてしか使いません。企業がユーザー向けに開催するイベントを指しません。これについての視点は過去の投稿を御覧ください:

“代替メッセージ”
[筆者がイメージするコミュニティ大会(= 非公式大会・ユーザー大会)。2019年ウメブラSP7, darimoko より。]

導入

ここから具体的な 事例 を話し、その 問題点 を挙げ、どうすべきだったと筆者が考えているかその 解決策 を述べます。

「過去の大会事例をご紹介する」と申しましても、具体的に「こんなゲームでこの大会がやらかした!」なんて紹介する訳ありません。ただ、具体例を挙げられないからこそこれまで紹介できなかった事例もあり、継承された教訓として人に紹介する時に不便でした。そのため、今回は過去の事例を匿名化し、ご紹介できる形に起こしました。

そこで、以下の注意点をご認識頂ければ幸いです:

  • 今回挙げる事例は全てフィクションです。
  • ある程度実例に基づいたストーリーだったとしても、2つ以上の事例を混ぜたり、局所で追加・削除している部分もございます。
  • 「これってあの事件かなあ」と邪推しないで下さい。

それでは、以下3つのフィクション事例をご紹介します。

事例① 大人気プレイヤー

以下を御覧ください:

ある時、ゲームAがありました。このゲームAは非常に人気で、ユーザー主催の非公式大会も多く行われていました。

中でも最強を誇るプレイヤーXがいました。X選手は人気も No.1 で、ライブ配信の視聴者でもダントツというスーパースターでした。年収何千万円とも言われ、結婚も果たし、「プロゲーマーの理想像」とも形容されました。

X選手は人気になり過ぎました。非公式大会にX選手が出ればその大会は盛り上がり、出なければ盛り上がらないという極端な二元化がゲームAのユーザーの間で進みました。

そこでX選手は、「自分が大会に出場して欲しいなら招待料を払って欲しい」と非公式大会の運営陣に呼びかけるようになりました。

非公式大会というのは、ご存知の通り個人の趣味でやっているものですから、毎回数千円〜数万円の赤字になることが多くキツいものです。それに加えて選手の招待料10万円ほどが上乗せされると、個人の財布は大変なことになります。
これを受けて、非公式大会を開いている方はX選手の熱狂的なファンも多かったため、

  • 「X選手のために大会をしているんだから」
  • 「X選手が出場することがゲームAのためになる」
  • 「招待料を払うべき」

…と思うスタッフが多い流れになりました。大会を運営するユーザーたちは、お金を払いながら大会を続けました。

そんなある日、招待料を払わず、X選手ぬきで大会を行うところが現れました。X選手はすかさずその大会を自分のライブ配信で批判しました。「あの大会はこのゲームAの盛り上がりに貢献していない」 と。
狂信的なファンは行動し、その大会は誹謗中傷の嵐に遭い、長続きしませんでした。

しかし、波はこの大会だけで収まりませんでした。これに恐れをなしたのか、ゲームAは徐々に大会を運営したいユーザーが減り、大会数自体が減って行きました。開催されたとしても、ゲームA人気が選手X頼みだったところもあり、すごく盛り上がる一部の大会と、話題にならない多くの大会に分離し、大会を開く気概のある運営が減って行きました。すると連鎖的に大会が減り、負のスパイラルに入りました。

その結果、ゲームAの全体的勢いが鈍りました。もっともゲームA自体は人気があり、YouTuber 等は維持されましたが、「みんなで同じ大会を視聴する」という様な中央集権的・esports 的盛り上がりが鎮火しました。「ゲームA勢」というくくりが求心力を失い、公式大会への関心も薄れて行きました。

このケースは国内外で似た事例がちらほらございます。もし読まれている皆様がこのゲームAで大会運営をされていたら、「どこでどうすべきだったか」と良い案がございますでしょうか?

問題点

色々と問題点が考えられます。勿論思い浮かべて頂いたものは何でも一考する価値があるのですが、ここでは便宜上一つに絞りましょう。
これは、大会運営のスタッフが「大人気プロプレイヤー」を「大会の継続」よりも優先してしまったことに問題があります。ファンがそう思うのも無理は無いですが、大会運営がそうなってしまうのは危ういです。

この事例の話をすると誤解されがちですが、選手Xが悪い訳ではありません。今回は「こみゅリポ」ですから、大会運営の視点を考えます。元々大会運営をしたい人が多かったのに、そのモチベを失ってしまったところに①の問題があると筆者は捉えます。

それでは筆者から問います。大会は何のために在り、何をするのでしょう?

これついて、よくある返答はこちらです:

  • 「ゲームの盛り上がり」
  • 「界隈への貢献」

こういった見方があります。確かにオリンピックや、スポーツイベントの殆どに「健全な育成」「社会への貢献」といったスローガンが掲げられています。

しかし筆者の視点は異なります。大会は究極的には「大会をしたいから開く」であるべきです。

「界隈への貢献」が唱えられると、逆に「界隈のためにならない大会は開いてはならない」とななります。
この考えに陥ってしまうと、「プロの出ない大会は意味ない」とか「視聴されなければ意味ない」となりがちですが、大会とはそういうものではないはずです。そんなに強く無い方々が仲間内で戦いたい時もありますし、地域で絞って戦いたかったりします。
今回の事例①:ゲームAと選手Xのものでは、おそらく大会運営の方々が「盛り上がるから開く」「視聴されるから開く」という動機で大会運営をしていたため、「盛り上がらないなら開かなくていいや」と思ってしまったことが原因にあると考えています。

確かにスポーツも「社会貢献するからスポーツには価値がある」という概念がずっとありました(外在主義)。古代ギリシアから始まり、20世紀でも Creig K. Lehman 等の論客はその派閥でした。しかし1990年頃から、スポーツ哲学でも「スポーツは社会貢献ではなく、スポーツ自体に意味がある」という考え方が人気になって来ました(内在主義)。
(スポーツの大会に「健全育成」と書いてあるのは、筆者の見立てでは、伝統という側面が大きい作法かと思われます。)

どのゲームも、プロ向けの公式大会・地域ごとの予選・学生大会・仲間内での大会・テキトーなイベント等いろんな要素で成り立っています。「大会は一個で良い」というゲームを見たことがありません。
大会というのは、知っている人が集まってコミュニケーションを取り、試合をして一喜一憂し、それを大会後に語り合うのが面白いのですよね。そして時々新しいプレイヤーとも出会い、数年後に振り返って「あの時ああいう試合あったね」と絶対語り合う筈なのです。こういう人為的な機会がなければ出来ない物語・人の輪を作ることに、大会運営としての純粋な魅力があると筆者は感じています。社会貢献(外在主義)ではなく、大会そのものに意味がある(内在主義)という立場です。
そんな大会を開くことに、界隈への貢献とか視聴者数がどうとかそこまで関係がないはずなのです。勿論、最終的に大会がすごく盛り上がったから界隈への発展に寄与することも有るのですが、それは結果であって、第一の動機が貢献となると疲れてしまいます。

解決策

今回①のような事案を防ぐためには、非公式大会・コミュニティイベントを開く大会運営の心持ちとして:

  • 「大会を開きたいから開く」という心を大事にすること
  • 「界隈への貢献」に囚われないこと
  • (継続する場合)大会の維持を優先すること

をオススメしています。安堵と継続を最重視して申し上げます。

これはつまり「人気プレイヤーが来なくとも気にしない」ことを含みます。「話題のために人気プレイヤーを使わないのだとしたらどうやって盛り上げれば良いですか?」という疑問も有ると思います。それに対しては、複数の人間が、楽しそうに(or 悔しそうに)している様子を発信し続けることをオススメします。参加者の口コミで来る新規勢は維持率が高いと言われています。大会のクリップを拡散頂くのもアリですし、参加された一人一人に自分の体験を発信して頂きましょう。

特に最近は「同時接続1000!」とか具体的な数値目標を持ってしまいがちですが、筆者は一度同時接続がすごく大きくなったのに、その後解散した大会を多く見て参りました。視聴者数で大会の意味を測るのは外在主義の一種です。
また、伝説は数字から測ることは出来ません。たとえ現代の EVO Japan の方が視聴者数が多かったからと言っても、“獣道2” や “小川 vs ヲシゲ” が伝説であることに変わりはありません。

皆さんは、例えば自分がメインでやっているゲーム以外の大会の最大同時接続をご存知でしょうか?色々挙げますが、LoL・Valorant・SFV・スマブラ・PUBG …etc これらのゲームが(特に非公式大会が)どのくらいなのか全てご存知でしょうか?専門家でも把握している方は少ないと思います。そういうものです。大会の視聴者が増えても、そのゲームをしていない人にはほぼ伝わらないものです。界隈への貢献を考えていても、「視聴者が増えたから貢献できた」とも限らず、最も恩恵を受けるべき存在である「参加者」にとって結局は大会を続けて貰うことが一番ありがたかったりします。

大会運営の安堵と継続を一度考えて頂き、どうか好きな大会を開くことを発想としてお見知り置き下さい。

“代替メッセージ”
[上図は 配信技研 より。一般に、「息が長いゲーム」を確認するには「視聴時間が大きい」とか「人気プレイヤーが居る」とかでなく、「配信時間 (Hours Broadcasted) が長い」という項目をチェックします。配信時間が長いタイトルはコミュニティが活発で長寿です。]

事例② インフルエンサーで招待制大会

上の問題①については別の視点もあります。「大会での選手の不平等はどこまで許されるのか?」という視点です。他の選手は参加費を払ってエントリーしているのに、人気選手だけ招待料を貰うのは不平等です。
ただ、大会には不平等が現に存在します。言ってみれば「シード選手」も一種の不平等です。シード選手はトーナメント表で他の強いプレイヤーと当たらないように配置されています。それでも経験上、選手のシード配置はダメなものとして排除されていません。上の大人気X選手と、大会によくあるシード制度の差はどこにあるのでしょうか?

では、続いて以下の問題では「不平等」一般について見てみましょう:

ある時、ゲームαはとてつもない盛り上がりを見せていました。
最も盛り上がっているリーグ戦は6チームで進行し、毎週試合がありました。そして決勝戦はすごく大きな会場で、観客を入れて行われました。

そんな時代に、大人気チームZがいました。このチームZは実力があり、かっこいいブランディングで人気を博していました。名実ともにスターだったのですが、徐々に年月が経つにつれて実力に陰りが見えて来ました。

在野のプレイヤーでより強そうなチームは出現して来ていました。ただ、既存の大人気チームZをクビにして、「実力はあるけど人気はまだない」という新規チームを出場させるのはリスクがあります。
大会のライブ中継の視聴者が減り、Twitter トレンドにも浮上しなくなると、大会スポンサーも離れますし、出場している他チームが「なんで視聴者減るのにあのチームをクビにしたんだ!」と言うようになります。

そんな背景があるため、リーグの出場チームは固定化されます。チームZの実力が落ちても、人気があるからこそ出場権を維持します。その結果、招待制のリーグ戦に出場しているのは「強いプレイヤー」というよりも「フォロワーが多いプレイヤー」という実態になります。

更にチームZは試合に勝てなくなりますが、チームZにもジレンマがあります。既存の「弱い人気選手」をクビにして、次の新しい選手を迎え入れれば良いだけの話なのですが、それが出来ないのです。人気選手をクビにしたら、自分たちについているスポンサーが降りてしまい、チーム存続の危機になるからです。
そこでチームZは招待制リーグの運営に相談をしました。解決策として、色々難癖をつけて、他の強いチームを出禁にしてしまいました。

無事チームZの天下は戻りました。ファンが望んだ展開に大会の視聴者数も巨大化し、大会関連のツイートも大量にRTされ、理論上最大の盛り上がりとなりました。

…にも関わらず、次の年、大会の勢いは衰退しました。巨大なスポンサーがついて賞金額も大きくなり、ビジネス的に大きな期待をされていたのに、昨年の0.1倍ほどの視聴者しか出なくなりました。また、大会への関心だけでなく、ゲームのアクティブユーザーも減り、そのゲーム全体が嘗ての栄光から離れてしまいました。

大会運営はよかれと思って取った策ですが、どこに問題が有ったでしょうか?

問題点

これはいろんなゲームでよく見る件かと思います。細かいパターンは異なり、今回のように「フォロワーが多い過去の英雄」を優遇するケースもあれば、実力をひっくり返して有名タレントや芸能人を大会に入れるケースもあります。

今回は「こみゅリポ」なので、公式大会のような企業意志(プロモーション都合など)が関係するケースは除きましょう。コミュニティイベント・非公式大会でこうした「インフルエンサー優遇」という “不平等” の危険について考えます。
…競技 (game) というモノの民主性・公正性については、ジョン・デューイ氏が1930年代にも指摘しています。競技が不平等な時に不満は起こるものです。

大会運営者がインフルエンサー(= フォロワーが多い人)を優遇することには不満のタネがあります。大会は前提としてゲームの skill で勝敗を決する場所です。勿論 skill も知名度も伴う選手は良いのですが、知名度ゆえに skill 以上の優遇をされる場合が危険です。これは大会にて:

  • 参加者を skill 以外の要素で評価している
  • 招待制大会に参加する一番の方法は skill 向上ではなくなってしまう

が起きることが問題です。人間社会で喩えると、この状態は「貴族制」に近いと言えます。貴族制というのは、「職業・ポジションへの機会が仕事の skill ではないもので決定される社会」という意味です。

筆者の見方ですが、大会運営が「功利主義」に陥ると「貴族制」になりがちだと考えています。功利主義だとまだ意味が広いため、筆者の用語で「数字主義」と呼んでも構いません。
大会の数字主義(功利主義)というのは、大会にとって大事なものが視聴者数・RT数・フォロワー数 …etc といった数字になってしまうことです。こうなってしまうと、インフルエンサーを大会に呼ぶことが最適解になってしまいます。上の問題のケースが成立する背景には、全てこの数字主義が絡んでいます。

ここで再び ① を思い出して欲しいのですが、大会は何故開くのでしょうか?大会を開きたいからです。数字を取るためではありません。

インフルエンサーの招待制大会自体が悪いわけではありません。そのインフルエンサー同士が本当に仲が良くて、仲間内大会をやりたい時だってありますから。そうではなく、「数字が取れるから」という理由以外なしに大会を開くことに危険があると申したいです。

特に重要な最強を決めるべき大会にインフルエンサーを優先して入れてしまったり、リーグ戦で新規と入れ替えが無かったりしますと、未出場の選手にとっては「そのゲームで強くなっても評価されない」という状態に繋がります。すると上位層がモチベを失い、徐々に引退の波が広がります。
数字主義というのはたしかにその瞬間・その年に大きな成果を出すには適しているのですが、「あと3年同じゲームをプレイし続けたい」という時に適していない手法なのです。現実の「貴族制」も、今GDPを大きくするのには向いている部分があるのですが、50年・100年と国家を維持するのに向いていないと言われています。

※数字主義の危うさについては、過去に違う形でも一度述べました:

解決策

リベラルの大家:ジョン・ロールズ氏は、現代で言う「公正とは何か」を提案しました。ロールズ氏は、身分の差が無い平等な世界(非貴族制)でも、資本主義のように勝敗の格差が生まれる社会で「公正」とはどうあるべきか主張します。
ロールズ氏の “格差原理” では、社会の競争で勝敗の格差(不平等)が生まれることを認めています。ただ、格差(不平等)が発生する場合は以下の条件をつけています:

  • エントリーが何かしらの道をたどって全ての人に開かれているようにすること

例をゲームで挙げます。スマブラSPの公式リーグであった「スマッシュボール杯」や、スプラトゥーンシリーズの公式大会である「スプラトゥーン甲子園」は、全てオープン大会を経て代表が選ばれる形でした。スマッシュボール杯は東西で何回かの予選が行われ、勝ち抜いた選手6名が参加しました。スプラトゥーン甲子園はより広い地域で予選が行われました。
これは運営元がTwitterのフォロワー数で選手を選んだ訳ではなく、誰でも出られる大会から skill を基に選ばれたと言えます。公式大会本戦出場という格差が、エントリーをたどると全ての人に開かれている大会を基にしている状態です。上の “格差原理” に合致します。筆者はこの形式にかなり納得が行っています。

一方でフォロワーが多い選手をリーグ戦に維持する②のようなケースは、「貴族制」にあたります。Skill 以外の要素で大会という場に選抜しているためです。

では、「シード選手」はどうでしょう?更に踏み込むと、スマブラの非公式大会では満員になりそうな大会にて過去の実績があるプレイヤーを優先出場させる方式が一般的です。「シード」や「優先出場」は貴族制でしょうか?
結論として、筆者はこれらは貴族制ではないとしています。シードや優先出場は、過去のオープン大会結果を基に作成しているため、「道をたどると全ての人に開かれている」状態です。上の “格差原理” の範囲内になります。

数字主義を撤廃した場合は、最強決定戦でフォロワーを基に選手を優遇するのはダメなものの、過去の大会実績に基づいたシード選手はOK、という結論は皆様の感覚にも合致するでしょうか?筆者が経験を大事にするので、感覚と照らし合わせて頂きたいです。
そのため今回②の解決策としては、一時的に視聴者が減ったりスポンサーが離れたとしても、チームZはしかるべき実力あるチームと入れ替え戦を行うべきだったと申し上げます。1年後〜3年後の大会維持や視聴者のためには、この方が良いこともあります。

再述になりますが、招待制大会が悪い訳ではありません。Skill で雌雄を決する場なのにフォロワー数を優先してしまったり、フォロワーが多い選手を呼ぶ理由が数字しか無いことが危険だと申しています。

“代替メッセージ”
[欧州スーパーリーグ問題。画像は Getty Images より。欧州各国では其々数十チーム所属するサッカーリーグが有りますが、それに取って代わって「なんか俺たち有名チームだけで別リーグ作ればよくね?」と言い出した一件が最近ありました。今回の②と似て、一部の有名チームだけで招待制リーグ「欧州スーパーリーグ」を作ってしまう計画です。しかし、イギリス議会・王子の反発が起こり、実現しませんでした。民主主義議会が、スポーツビジネスに公正を押し付けた結末です。]

事例③ スキャンダル

最後に、多くの方が経験あるであろう例を見ましょう:

ある時、チームに所属する選手がそのチームと大きく揉めました。大会運営がチーム及び選手に罰を下しましたが、選手はそれにもまだ納得が行きませんでした。

すると、選手は揉めた内容を感情的な文章に起こし、Twitter で拡散しました。

ファンはかなり過敏に捉え「運営はゴミ!」「選手を大事にして欲しい!」と訴えました。そのうち、ゲームの枠を越えて大きな話題になります。
それはまるで、選手の肩を持って「選手がかわいそう!」と立場表明することが、あらゆるゲーマーの使命かのような波でした。
「だから日本は esports 後進国なんだ」
という煽情的な論調に繋がりました。

これをまとめたメディア記事も登場しました。これを受けてそのチームが出場する大会の運営は、やむを得ず超規則的な処置を発表しました。

しかし、次回大会は開かれることはなく、数ヶ月すると大会運営も解散することが発表されました。

この事例(正しくはこれに似た事例)は、大会運営の方々に限らず、参加者・視聴者の目線でも非常によく出くわすことかと存じます。普通は「駄目な運営を改善しよう!」といった文章を書くのですが、今回は「こみゅリポ」ですので、少し違った内容を申し上げます。

問題点

この③事例でよくあるパターンは、選手の Twitter での供述が関係者・当事者の見解と少し異なるということです。拡散される内容は選手寄りの情報になことが多いですが、オオゴトになってしまうと、大会運営は已むを得ず特殊な措置(= 重い罰と今後の防止策の設置)をしがちです。

ただ、現実として、警察や裁判所では被害者の口述だけで事態を決定しません。実際は「推定無罪」という手法が取られます。そうして加害者・第三者の供述や、物的証拠などを集め、事前に制定されているこの国の法律に照らし合わせ(= 感情で裁くのではない)、総合的に判断します。また、事前に決めておいたルール(= 法律)を覆してまで罰則を与えたりはしません。人類が磨いて来たこれらの手法・制度は、一考の余地があると筆者は申し上げたいです。大会運営は、判断を下す時に罰則を重くすれば良いという訳では無いのです。

被害者の視点に立ちましても、供述が強調されて報道されて人に認知されることは問題を解決することに直接的な関係は無いはずです。極端な例ですが、筆者が仮に反社会的勢力に恐喝された場合も、それを Twitter に書き込んだからといって警察や裁判所の手続きが済む訳ではありません。寧ろ、場合によりますが、こうした法的措置のケースでは「不利になるからネットに書き込むな」というアドバイスを受けた経験のある方もいらっしゃるでしょう。

こうした事情から、ゲームの大会で選手がたとえ被害があったとしても、ネットで公開して訴えることは物事を解決しないという視点に立っています。これが③事例の問題点として提起します。

特にゲーマーのコミュニティイベントは、運営しているのもゲーマーです。「選手を大事にして欲しい!」という波に乗って大会を叩くのは、叩いている側は善行をしている意識があるかもしれませんが、運営をしているスタッフの精神に大きなダメージが有ります。スタッフがゲームごと引退してしまい、大会のサービスが落ちる or 大会ごとなくなる場合もあります。すると、Twitter で拡散した結果、大会が消え・選手の問題点は解決せず・ただRTだけが残ることとなります。
大会がなくなるところまでは行かないにしろ、有名プレイヤーが Twitter で被害を呼びかけた場合、大会運営は特に重点的な対応をしてしまいがちですが、これも余り理想的ではありません。②と繋がりますが、有名プレイヤーだからしっかり対応してしまうのも、次回別の問題が起きた時に他のプレイヤーとの不平等となってしまいます。常に冷静に、公正な判断を下せなければなりません。

被害者を無視しろと申しているのではありません。勿論、被害者の受けた問題を解決するのは第一の優先事項です。今回申したいのは、被害者の方が Twitter に書き込んでも問題は解決しないため、優先事項が達成できないという視点です。一言で申せば「参加者が Twitter で晒さなければ…」となるのですが、これに関して大会運営の者が出来ることを申し上げます。今回は「こみゅリポ」ですので。

解決策

遠回りになりますが、今回の解決策には共同体感覚(sense of community)を育てることが理想的だと考えます。

簡単に申しますと、「大会の参加者が運営者と同じ輪にいること」を実感して貰うことです。
繰り返しになりますが、非公式大会・コミュニティイベントでは大会運営もゲーマーの一人です。この感覚を人為的に普及させると、今回の解決策に近付きます。殆どの人間は、同じ輪の人間の悪口をいきなり悪意を持ってネットで拡散させたりはしません。寧ろ、問題が起きた時「自分もなにか協力が出来ることは無いか?」と思うようになります。この辺はコミュニティ心理学で様々な実験結果が出ています。
コミュニティ心理学については、過去の筆者の投稿を御覧ください:

そのためにはプレイヤー一人一人が、ゲーマーの輪への接点が必要です。Twitter での絡みに留まらず、オンライン・オフラインの大会に参加して頂き、Discord に入って対話し、「自分はここに属している」と思って頂きます。大きな一つの輪を作るのは難しいですが、使用キャラ毎・地域毎・大学毎 etc に輪を作って頂き、其々の輪がなにかしらの知り合いを通じて架け橋・接点がある状態になれば繋がっている実感があります。大会参加経験者の Discord があって、そこで大会運営以外の話題をしていても良いでしょう。

…どうしても新規でいらした若い方ほど「困ったときは大会運営の人に相談して良いんだ」という発想がありません。筆者の偏見ですが、学校以外で活動をしていないと、「困ったことがあったらTwitterで拡散する」が最適解だと思っている方も多いです。「同じコミュニティに居る」という感覚は、毎年意識して伝えて行かねばなりません。

こうした習慣を作ることが、今回のような問題を未然に防ぐ一番の策だと考えています。そして、こうした策はプレイヤー同士の中では、有名選手よりも大会運営の人間がリードを取れると思っています。
そして、実際に参加者の方にお問い合わせ頂いた問題内容については、どうかしっかりご対応下さい。判断に迷うことも有ると思いますが、困ったら今回の「こみゅリポ Advent Calendar」に参加されている方にご相談してみて下さい。同じ苦しみを共有する者としてアドバイスが出てくるはずです。具体的な罰則はゲームに依って異なるため、ちょっと今回まとめて申し上げるスペースが有りませんが、ヒントになれば幸いです。

“代替メッセージ”
[共同体感覚については過去にこうした説明を設けました。上はイメージ図です。 『共同体感覚とゲームシーン』 より]

以上

以上で、事例のご紹介を終わります。

今回は総じて、①に還りますが、何かあった際に:

  • 「この界隈のためにならない」
  • 「日本の esports のためにならない」

という論調になりがちな事例を並べました。大義名分を持ち出されるとどんどん大会を叩く方へ世論が流れてしまいます。つい大会運営も大義名分に則る判断をしがちなところですが、こうした事例を紹介することで大会運営の方が “楽” になればと思います。

大会運営が楽な界隈が最もコミュニティの力が強いと筆者は信じています。筆者は仕事で Twitch のことをしておりソフトウェアでこうした支援を行っていまして、今回の Advent Calendar を主催されているさとけんさんの Tonamel もまさしく大会を楽にするサービスだとは思います。ただこうしたサービス面だけでは大会は出来ず、最初に申し上げたような “不文律” のようなマインド面もなければ成立しないと筆者は考えています。という理由で、今回の筆者の文章が本 Advent Calendar の趣旨に合いましたら幸いです。

今回の「こみゅリポ Advent Calendar 2021」、筆者の次の日は mekasue さんです。格ゲーの方ですが、ジャンル幅広くゲーマー論を展開しています:

更にこのあと、今年の 12/25 まで Advent Calendar は続きます。筆者のような抽象論と異なり、手応えのある具体的エピソードが目白押しになりますから、お楽しみになさっていて下さい。