title: ゲーム実況は思考を共有する存在 date: 2021-10-22 01:00:34 +0900 draft: false toc: false comments: false categories: tags: twitterImage: true
「ゲーム実況」はゲームを共有するもの、と一見考えられがちですが、「そうではない」というのが筆者の見方です。特に個人が行うライブ配信は、視聴者から見てどのような認識・感覚が動作しているのでしょうか?
背景
「ゲーム実況」を視聴する時、人は何を見ているのでしょうか?
2015年以前、国内では:
ゲーム実況がネットで広まってしまうと、買わずに満足してしまうユーザーが多いのでは?
…という懸念が主流でした。
つまり個人が行うゲーム実況は「海賊版」もしくは現代の「ファスト映画」と同様の扱いを受けていました。
この時点でゲーム実況を視聴することは「ゲームというコンテンツを視聴する」という解釈です。
しかしながら、2021年現在の実情は異なります。多くのゲームタイトルは国内産のものであっても、ガイドラインを守れば個人ユーザーは実況することが許可されています。勿論例外タイトルも有りますし、ゲーム内で一部分だけゲーム実況が許可されていない場合もありますが、概ね大丈夫な情勢です。
この国内の歴史的な流れについては、CEDEC2020 にて講演があります。(註1)
また、そもそも2010年以前であっても、海外版元であればゲームをプレイしてネット上で映像・ライブ配信をシェアすることについては、割と積極的な姿勢がありました。
本文は「最近はゲーム実況って認可されていますよね」といった事実を追う訳では無く、筆者として解釈をするものです。この「ゲーム実況は駄目」から「ゲーム実況を許諾」への変化は何が根底に有るでしょうか?
これは「ゲームをコンテンツとして視聴する文化」が認可されたのでしょうか?それとも、ゲーム実況とはコンテンツ視聴ではなく、なにか違う行動と捉えられたのでしょうか?
導入
疑問を論じる時に、筆者は経験に基づいて始めたいです。まずはゲーマーの感覚・直観を探ってみましょう。
回答数9000件の「ゲーマー国勢調査」では、ゲームの動画配信を視聴する理由で「ゲームスキル向上」が1位に挙がっています。 https://fpsjp.net/archives/370476/4
ゲーマーは「ゲーム実況」を視聴するにあたって、学習を一番の目的にするという結果です。
実際に筆者も Valorant で情報収集するために動画をあさりました。新作の対戦ゲームでは、情報収集能力で実力差がつきますから。
そして、Valorant の大会を視聴しました。リリース当初は真面目に真剣に視聴していましたが、今年に入って自分で手を動かさなくなってからも Valorant の大会中継(VCT 等)は私のサブモニタの中心に座りました。ちょっと目を離すことがあっても、スピーカーからはずっと VCT の中継音が流れていました。
しかし、「ゲーム動画配信を視聴する」と一口に言っても、パターンが色々あります:
- 動画なのか
- 大会中継なのか
- 個人のライブ配信なのか
…これらで其々意味が大きく異なります。
確かに「動画」ではスキル向上のための情報収集をするでしょう。筆者も Valorant で数十通りの検索ワードで、何十本もの動画をクリックはしたのではないでしょうか?また、勝負の場を目撃するために大会中継を視聴することもあります。
ただ、一人のプレイヤーがランクマッチをしている様子をライブ配信で眺めるというのは、それらと異なる体験です。フォローしている一つのチャンネルをまったりONにし続けます。筆者はじっくり弱火でコトコト視聴です。動画や大会とは一線を画すものです。
本来、本文は動画や大会ではなく、個人ライブ配信を扱いたいものでした。それではライブ配信に関するゲーマーの統計的経験に目を移しましょう。
例えば日本国内でも上位ストリーマーは月200時間以上のライブ配信を行い、これに平均して数千から1万以上の同時接続がついています。これは視聴者が「情報収集する」という域を遥かに超えています。「戦術を摂取する」とかそういう体験ではありません。そこにストリーマーと視聴者が、何時間も同じ体験を過ごす場や空気に意味があると筆者は捉えています。
https://www.giken.tv/news/august21-channels
国内ライブ配信の視聴時間は所謂 “コロナ禍” 以前と以後で2倍以上へ成長しました。安易な推測ですがコロナ禍で失われた何かがライブ配信に求められているとも言えます。
という訳で、今回は 個人が行うゲームのライブ配信について視聴者は何を見ているのか? …という内容を考えます。
ゲーム実況を見る
「人のゲームプレイを見るというのは、思考を見ている」と考えています。これが今回の筆者の提案です。
ふと思考実験してみてください。
日頃会話をしていても、人と仕事をしていても、めちゃくちゃ思考が見える訳ではありません。同じ部署で3年ほど過ごし、他人に興味があるタイプの人で漸く「あの人はこの食べ物が好き」という知見がある程度です。「弱点を指摘された時に自分の非を認められない」とか「数字を扱う時はミスらないけど対人のプレッシャーでミスる」みたいな細かい思考はそこまで仕事仲間に伝わるモノでは有りません。
しかし、ゲーム実況ならば1回数時間の実況を視聴すれば、かなり相手の思考が伝わって来るでしょう:
- 「情報量が多い乱戦でも正確に判断が下せる人なんだなあ」
- 「重要なマッチポイントでプレッシャー感じる人なんだなあ」
- 「かなりやられても焦らない人なんだなあ」
とか様々な思考、喜怒哀楽の判断基準が見えてきます。
ライブ配信でもこのくらい思考が伝わりますが、一緒にゲームをプレイすれば尚の事伝わります。
人間同士が日頃のコミュニケーションでは取り切れない思考・感情の共有に、触媒・増幅器のような働きをゲームはしてくれている、というのが筆者の今回の発想です。
「ゲームは思考を共有する、そんなん当たり前じゃん」
と思われるかもしれませんが、思考を共有することがライブ配信のメイン(最大の情報量)であって、ゲームとはインフラであるという関係が筆者の提案です。
→ 例えばゲーム実況にとっての思考とゲームの関係とは、飲食店での食材に近いです。飲食店はもちろん肉や小麦とかを使わねば出来ませんが、使うからといって農家・JA・牛が「いやうちの許諾とってるの?」とは言いません。法的にはさておき、今のゲームは概念的にはこうしたインフラに近付いていると捉えています。 だからといってゲームが不要でなんでもいい訳ではありません。
「思考が見えるのって、コンテンツを見るのと何が違うの?」
という疑問があることでしょう。それについて深堀りします:
思考に関する学問
他人の答案をご覧になったことが有るでしょうか?
逆に言えば、思考が分からない相手には不信感があります。
・[PDF] ソーシャルメディアによる感情共有と創造的思考の関係 → イマイチ ・擬似同期を用いた動画共有によるビデオ視聴者の感情高揚 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsoft/24/5/24_944/_pdf → まあまあ ・[PDF] 感情共有コミュニケーション尺度開発の試み → まあまあ
・感情心理学 https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/gf_09/12/notes/ja/12endo.pdf → 感情とはそもそも何かについて。
・共有体験の理論→子育て向け: 英会話授業における「自尊感情を高める共有体験」に関する調査 : 学生の内的要因に着目して https://ci.nii.ac.jp/naid/120006622151/ 学習ですら共有体験が大事らしい
→ 前提として、思考・感情・体験を他者と共有するのは良いこと、という背景があります。
弱点を共有すると仲間意識が高まる研究
そのため、元来人間は思考を共有することに喜びがあり、もしくは他者の思考・感覚が分かることで親近感を覚えるような生き物です。だからこそライブ配信でゲームを見ると面白い、
ライブ配信
そもそもライブ配信というのは、 コンテンツというよりも時間を共有するもの
コミュニティ的
元々ゲームライブ配信では「思考を共有する」ことが大事だと言われていたのですが、 寧ろ今回は「思考を共有することが主なのでは?」と申し上げたい次第です。
「Apex やってるのになんで視聴者がつかないの?」 といった相談を頂くことがよくあります。これは「ライブ配信はコンテンツを見ているのではなく、思考を見ている」という発想を見ると説明しやすいです。
ゲーマー中心主義
そのため筆者はゲーマー中心視点で理論を申しています。
ライブ配信とか、 非公式大会とか
ゲームが中心という見方は勿論あるのですが、そういった理論は一般的であるため、少し この世があるとしたら、原点をゲームの方ではなくプレイヤーの方に置いた理論。そういう感じに受け取って頂ければと思います。
以上
こんな感じです。
有り得そうな反論について、下に述べておきます。
補足:「ゲーマーの個人主義」との違い
ここを強く申したいのですが、「ゲーマー中心主義」はコミュニタリアンに基づく発想であり、 「ゲーマー個人主義」とは異なるということです。
ゲーマー個人主義は「ゲーマーリバタリアン」とも言い換えられますが、 これは昨今強い勢力があります。
例えば「大好きな実況者がFF10をやるのでプレイせずに待ってた」 それは他の FF10 が好きなプレイヤーたちの不利益・そのストリーマーのファンコミュニティの不利益である可能性があります。 → 思考を共有するからこそ、初めてのプレイを視聴で済ませてしまうのはよろしくない。違法とまでは言えませんが、良い体験とは言えません。
ハッキリ申し上げますが、私は「大好きな実況者がFF10をやるのでプレイせずに待ってた」と言う人は凄くイヤです。
- フリーライダー
- 一人でFF10をプレイする喜びを知らない(JSミルの「満足した豚」状態にある)
- 献身的な節制を美徳だと誤解している(ソシャゲを「無課金で頑張る」という心理と似た状態)
色々状態が考えられますが、コミュニタリアン的に考えると、ファンコミュニティの不利益だからよろしくない、と言えます。
→ Authenticity の理論は共通善じゃないといけない。他コミュニティにも通用する概念じゃないといけない。
[図1. Zoom通話 Before → After。同じウェブカメラでもこれだけの変化を出せます。]
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「ほぼ違法」から「適時適法」の時代へ。ゲーム実況の過去・現在・未来を振り返る【CEDEC2020レポート】 . CEDEC での中田氏発表を電ファミニコゲーマーさんがまとめたもの。 ↩︎